第三章
既に診療時間は終わっていたので、私は鉢植えを敷地内に戻すために屋外に出、「閉院」のプレートをドアノブに掛けた。
戻ってみると、室内はすっかり暗くなっていた。いつもならば、やもめ暮らしなりにも一品くらいは煮炊きしたものを用意するのだが、この日は遅くまで話し込んでしまったこともあり、また一つ思い当たるところがあり、冷蔵庫からチーズと白ワインだけ取り出し書斎に向かった。
やはり精神科医であった父の代から、著名な専門書はできる限り買いそろえるようにしている。そのためすでに書斎の中に収まりきらず、この十数年のうちに膨大な書籍は廊下にまであふれ出していた。
幸い、その書物は私が二十代の頃に仲間内で一回話題になったことがあり、書架のどの辺りにあったか、おおよそ見当がついていた。私は脚立を登り、落ちてくる埃に咳込みつつも、数分のうちに何とかこの手に取ることができた。
テオドール・フルルノワ著『インドから火星へ』ドイツ語版。
もとはフランス語で記された、一般向けの心理学書。著者は、エレーヌという霊媒師の女性が行なったとされる「火星との交信」を長期にわたって取材し、それを精緻な分析と豊かな教養によって、読み物としても大変価値のある手記として、1900年に出版した(※1)。
フルルノワは著書の中で、エレーヌの「異言」、すなわち彼女自身が学者の前で行ったとされる火星との交信について、「彼女が幼児期の読書によって得たサンスクリット語の知識がベースとなっている」と結論している。
文学的な素養のある人物が翻訳を手掛けたのであろう、私が理解できるドイツ語版を通しても、研究に対する学者の熱意、また取材対象に対するユーモアを交えた愛情が行間のいたるところに感ぜられた。
先程、私はヘロネアの夢について、彼女自身の意志とは別のなにかが背景にあるのではないかと漏らしたが、当然なんら確信があってのことではない。あくまでもそれはミロシュ・ヨヴァノヴィチというひとりの中年男性の抱いた単なる「感想」であって、むしろこうして努めて誠実に、対象の発言を細かく記録し、読書子の判断に委ねることくらいしか、精神科医の役割は無いと考えている。
膨大な専門書を何十年も紐解き続けた結果、私は自分の携わるこの精神分析という分野において、整合性のとれた説明が期待できる統一的な理論など存在しないのだという事実を、すべての人文の徒が「世の中」というものに対して抱くのと同様に、ある種の前向きな虚無感とともに受け入れるようになっていた。
フルルノワの著書を読めば読むほど、私はエレーヌという霊媒師の言行録が、ヘロネアのとりとめもない夢語りと重複するのを感じていた。
幼少期にサンスクリット語という、ある種呪術的な側面を持った言語に慣れ親しむ機会を持ち、成年してから異言を発するようになった霊媒師エレーヌ。
印欧語族の中で最もキリスト教の受容が遅く、今なお異教的な習俗を多く留めると言われているリトアニアの言語を学ぶにつれ、夜ごと魔術師の世界を幻視するようになったヘロネア。
PCの電源を入れ、ネットに接続する。
「リトアニア語」「サンスクリット語」「比較」。
Googleのフィールドに3つほどフレーズを入力し検索をかける。
両者が近親関係にあることを、知識としては知っていたが、表示されるそれぞれの単語が私の想像を超えてあまりにも似通っていること、両者が歴史的にも地理的にも遠く離れていながら、ここまで似通った形態を保持したまま語られ続けてきた事実に、私は驚きを禁じ得なかった。
私は美しい親類の女性に対する好奇心が否応なく強まって行くのを感じ、手にした白ワインを一息に飲み干した。
(続く)
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注釈
※1…同じ年に「夢判断」を出版したフロイトも、フルルノワの結論に同調的であった。つまり科学がいわゆる「オカルト的」なものとまだまだ不分明であった時代から、徐々に理性によってあらゆる現象を説明しようとする人知主義の時代への、移り変わりの時期である。
ところが、こと精神分析において事情はさほど単純ではない。自然科学の諸分野が「オカルト的」なものとの決別を果たした20世紀初頭、ひとり精神分析は「精神を分析する主体もまた、ひとりの観察者の精神にすぎない」という逃れがたい事実によって、「実証性」や「再現性」、「反証可能性」が当然のごとく求められる自然科学とは一線を画されるべきである、と言われ続けてきた。文化的背景によって症例も分析も大きく異なる精神分析という分野を、むしろ社会科学の一分野としてカテゴライズすべきである、などと主張する学者もいる。
実際、心理学者のC.G.ユングはフルルノワのレポートに強い影響を受け、1903年に「集合的無意識」という大変オカルティックな概念を提唱した。ユングはエレーヌの「火星人」そのものの存在は否定しつつも、彼女の証言の背後には「幼少期の記憶」以外に、個人の意識を超えた共同体の意志が働いていると考えたのである。