第22話 猫山さんをわからせたい!
元日。
待ち合わせの時間に遅れないよう、俺は少し早めに家を出た。
今日はいよいよ、猫山さんとの初詣だ。
……いや、別に浮かれているわけじゃない。
せっかくの休みだからといって寝坊するわけにもいかないし、待たせるのも悪い。それだけだ。
そんな言い訳をしながら待ち合わせ場所に向かうと、見慣れた姿が目に入った。
「先輩!」
俺に気づいた猫山さんが、笑顔で手を振っている。
その姿を見て、俺は思わず足を止めた。
いつもの制服姿とは違う。
猫山さんが着ていたのは、淡い桜色を基調に、白や金の花柄があしらわれた華やかな振袖だった。帯も綺麗に結ばれていて、長い袖が動くたびにふわりと揺れる。髪もいつもより丁寧に整えられており、普段よりも大人びて見えた。
……可愛い。
思わず見とれてしまい、俺はしばらく言葉を失っていた。
「……先輩?」
「あ、いや……」
「もしかして、見とれてました?」
猫山さんは、にやりと笑った。
……しまった。いつもの調子に戻ってしまった。
「いや、いつもと雰囲気が違うなと思っただけだよ」
「へえ? それって、褒めてくれてるんですか?」
「……似合ってるよ。すごく」
少し恥ずかしかったが、素直に伝えた。
せっかく、こんなにおしゃれをしてきてくれたのだ。きちんと褒めるくらいはいいだろう。
猫山さんは一瞬きょとんとしたあと、頬を赤くした。
「……そ、そうですか。ありがとうございます」
いつもならすぐにからかい返してくるのに、今日は珍しく言葉に詰まっている。
その反応が可愛らしくて、俺はつい笑ってしまった。
「な、なんですか?」
「いや、別に?」
「……先輩、あとで覚えていてくださいね」
そう言いながらも、猫山さんの口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
……やっぱり、生意気な後輩だ。
でも、今日くらいはその生意気さも悪くないと思った。
***
神社に着くと、境内は初詣に訪れた人たちで賑わっていた。
俺たちは参拝の列に並び、少しずつ前へ進んでいく。
「結構、人が多いですね」
「元日だからな。まあ、初詣だし」
「先輩、ちゃんとはぐれないようについてきてくださいね?」
「いや、それ俺が言う台詞じゃないか?」
「ふふっ。先輩、意外と頼りないですから」
「お前なぁ……」
相変わらずの調子に、思わずため息が出る。
やがて順番が来て、俺たちは並んでお参りをした。
目を閉じ、手を合わせる。
今年も健康に過ごせますように。
仕事で大きな失敗をしませんように。
それから――。
……いや、最後の願いはやめておこう。
隣に猫山さんがいると思うと、なんだか妙に意識してしまう。
お参りを終えて目を開けると、猫山さんがこちらを見ていた。
「先輩、何をお願いしたんですか?」
「秘密」
「えー、教えてくださいよ」
「猫山さんこそ、何をお願いしたんだよ?」
「私も秘密です!」
「なら聞くなよ!」
「ふふっ。先輩のお願い事、ちょっと気になりますけどね?」
猫山さんは楽しそうに笑った。
そのあと、二人でおみくじを引くことにした。
俺が引いたのは中吉。可もなく不可もなく、といったところだ。
一方、猫山さんはというと――。
「……あっ、大吉です!」
「おお、すごいじゃん」
「ふふん。やっぱり、今年はいい一年になりそうですね!」
「まだ始まったばかりだろ」
「いいんです。こういうのは気持ちが大事ですから!」
嬉しそうにおみくじを眺める猫山さん。
その横顔を見ていると、俺までなんだかいい一年になりそうな気がしてきた。
……単純だな、俺も。
***
参拝を終えた俺たちは、境内の屋台を見て回ることにした。
温かい飲み物を買い、並んで歩く。特別なことをしているわけではないのに、猫山さんと過ごす時間は思っていた以上に楽しかった。
「先輩、これ食べません?」
猫山さんが、屋台で買った玉こんにゃくを差し出してきた。
「自分で食べればいいだろ」
「二つ買ったので、一つあげようと思ったんですけど?」
「あ、そうなのか。じゃあ、ありがたく」
「ふふっ。素直でよろしい!」
「……お前、ほんと一言多いな」
そんなやり取りをしながら、俺たちは神社をあとにした。
帰り道。
人通りが少なくなったところで、俺は猫山さんに声をかけた。
「今日は誘ってくれてありがとう。楽しかったよ」
「……え?」
猫山さんが驚いたようにこちらを見た。
「いや、初詣。誘ってくれてよかったってこと」
「あ……」
猫山さんは視線を落とし、振袖の長い袖をそっと握った。
「……私も、楽しかったです」
いつもの明るい声とは違う、少し控えめな声だった。
俺まで照れくさくなり、前を向く。
「そっか。ならよかった」
しばらく、二人で並んで歩いた。
いつもなら、猫山さんがすぐに何か言ってくるはずなのに、今は妙に静かだ。
どうしたんだろう。
そう思って隣を見ると、猫山さんは何かを言いかけては、口を閉じていた。
いつもの彼女らしくない。
「……猫山さん?」
「……先輩。少し、いいですか?」
猫山さんが足を止めた。
俺も立ち止まり、振り返る。
「どうした?」
猫山さんはすぐには答えなかった。
振袖の袖を握る手に、きゅっと力がこもる。
いつものように笑って、冗談めかして何かを言うことだってできるはずだ。
けれど、今日の猫山さんはそうしなかった。
一度、小さく息を吸う。
そして、まっすぐに俺を見つめた。
「……私、先輩に伝えたいことがあるんです」
「伝えたいこと?」
「はい」
猫山さんの頬は赤くなっていた。
それでも、視線をそらさない。
いつもの生意気な笑顔も、からかうような口調もない。
その真剣な表情に、俺まで緊張してしまった。
「……先輩」
猫山さんは小さく息を吸い、覚悟を決めたように口を開いた。
「……好きです」
「…………え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
好き。
今、猫山さんが、俺に。
頭の中が真っ白になる。
「い、いや……え? ちょっと待って。今、なんて?」
心臓がうるさい。
聞き間違いじゃないのか。
いつもの冗談じゃないのか。
そう思って猫山さんを見るが、彼女はまだ俺をまっすぐ見つめていた。
頬を赤く染めながらも、その表情には迷いと緊張が浮かんでいる。
……本気、なのか?
「……猫山さん、それって……」
俺が続きを口にしようとした、そのときだった。
「……っ、なーんて!」
猫山さんは、ぱっと顔をそらした。
「う、嘘ですよ! 先輩、すっごく慌ててましたね!」
「……は?」
ようやく、いつもの生意気な笑顔が戻ってくる。
「だって、先輩がどんな反応をするのか、気になっちゃったんです!」
「お、お前なぁっ!」
「ふふっ。まさか、あんなに驚くなんて思いませんでした!」
「冗談にも限度があるだろ!」
「えー? でも、先輩の顔、すごく面白かったですよ?」
「面白がるな!」
抗議する俺を見て、猫山さんは楽しそうに笑った。
……なんなんだ、こいつは。
こっちは心臓が止まるかと思ったぞ。
けれど、どうしても気になった。
さっきの猫山さんは、本当に冗談を言っているようには見えなかった。
だから、俺は思わず尋ねていた。
「……本当に、嘘なんだよな?」
「……え?」
猫山さんの笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。
彼女は視線を落とし、振袖の袖をそっと握る。
その頬は、まだ赤いままだった。
やがて、猫山さんは顔を上げた。
「……さあ? どうでしょうね?」
「おい!」
「ふふっ。秘密です、先輩!」
今度こそ、いつもの笑顔でそう言うと、猫山さんはくるりと前を向いた。
「ほら、先輩! 置いていっちゃいますよ!」
「待てって!」
俺は慌てて、その後を追いかけた。
……やっぱり、こいつは生意気だ。
人の気持ちを散々かき乱しておいて、最後には秘密だなんて。
いつか絶対、わからせてやる。
絶対に。
そう決意したはずなのに、隣で笑う猫山さんを見ていると、どうにも調子が狂ってしまう。
きっと今年も、こいつには振り回されっぱなしなのだろう。
……まあ、それも悪くない。
「先輩、今年もよろしくお願いしますね!」
猫山さんが、こちらを振り返って笑った。
俺は小さく息をつき、それから笑い返した。
「ああ。今年もよろしくな、猫山さん」
――やっぱり、生意気な後輩だ。
いつか絶対にわからせてやる。
俺と猫山さんの戦いは、まだまだ終わりそうにない。




