第一章8 『エクセレーネ邸の朝』
レールカの弱みはまた、世間知らずという点にもある。
幽閉されている環境下にいたため、部屋を出て廊下を少し歩いた先にある書庫がレールカの世界を彩る全てであった。
だからこそ――本にない、予想外な言動を取り続けているネリーハが恐ろしく思えたのだ。
「見て、レールちゃん。絵本を描いてみたの」
朝ごはんのパンケーキを食べている横から、ネリーハが絵本を開いて見せつけてくる。いつの間に、とも思ったが、レールカがパンケーキを頬張っている横で描いていた。
つまり完成が早すぎるだけなのだ。
「お馬さんによる、お馬さんのためだけのラブロマンスなの!」
本当に描いたのか――という感想を持つよりも先に、その完成度にレールカは目を張った。それぞれどのお馬さんなのかがわかるように、きちんと個性がつけられている。
それにとてつもなく見やすい。
幼い頃は絵本にも触れていたレールカの見識では、これはお馬さんが主役でなければ売れただろう、といった評価が下される。
「お姉さんは……お馬さんが好きなのですか?」
「いいえ、全く」
それを即答してくるから、微妙に気まずくなる。
じゃあなんで描いたんだ、という思いを解き放つ前にネリーハの方から説明が紡がれた。
「思い立ったら吉日って言うじゃない? だからやろうと思ったことは必ず記憶の片隅に入れて、出来る限りの時間で早めにやるようにしているの。つまりそう、レールちゃんとは正反対ね」
どこか棘があるような言い方だったが、全てネリーハは美人だなという感想で上書きされる。淡い桃色の長い髪を靡かせ、綺麗な紅の瞳でレールカを見つめてくるのだ。
同姓なのに思わず見惚れそうになる。どうやらレールカは自分で思っていたよりも面食いだったらしい。
「ねぇ、レールちゃん? 貴女は無実ばかりの汚名を着せてきた家に復讐したいとかは思わないのかしら?」
「……どうしてですか? お姉さんにだけ教えますが、私は外に出るために、あの能無しな母と父を散々と利用してきた身ですからね。それに――復讐なら既に済んでいますし」
「……へ?」
悪い笑みを浮かべているレールカから返ってきた言葉に、ネリーハは不意にキョトンとする。
「私が幽閉されていた別館の至るところにプレゼント箱を置いてきました。中身はもちろん、びっくり箱仕様です。開けたら最後、きっと腰を抜かすでしょうね。ふふっ!」
復讐というよりかは随分と子どもらしく、そして何とも可愛らしい悪戯だ。それに無邪気にレールカが笑うものだから、ネリーハは不意に笑みを溢した。
「そう。かわいいのね、レールちゃん」
「……っ可愛くありません!」
レールカは顔を赤くして、照れ気味にネリーハの言葉を否定した。しかしすぐさまに真剣な顔をして、自分が置かれていた境遇の違和感を深々と考え込む。
「ですが、気になりますよね。私に罪を着せるにしても、それを国が黙認していることが。それどころか、あの無能な父と母、そして兄では私に汚名を着せるために、罪をでっち上げる証拠を作成することすら叶いません。何か、よからぬものが裏で動いていそうですね」
それをパンケーキを美味しそうに頬張りながら言うものだから、ネリーハは目を見開いていた。以外にそこまで頭が回るのかと、レールカという少女を改めて見直していたのだ。
「貴女……可愛らしいだけでなく、ちゃんと考えているのね」
「か、可愛らしくないですから!!」
レールカは気を取り直すために咳払いをすると、懸命な顔をしてネリーハに問う。
「お姉さんは、どうしてエクセレーネの土地に? イリオスさんに……魔女についているのですか?」
「重い話になるけれど、聞く覚悟は?」
躊躇わずに答えてくれるあたり、それを話すことには抵抗がないらしい。そのためレールカは懸命な顔をして、躊躇うこともなく軽く頷いた。
「ワタシはね、10年前まではとある国の皇女様だったの。でも……父様、皇帝陛下の判断で国から追放されたわ。お前はいずれ国を壊すって……まぁ異常に力が強いから何とも言えないけれどね。それで追放されたの」
「…………」
「生きたいという思いで路頭に彷徨っていたところ、エクセレーネの土地についた。そこで今の魔女、イリオスと出会ったのよ。彼はワタシの言葉を聞いてくれて、ここで暮らしていいと言ってきてね。それで仕事までくれた。だからワタシは彼に忠誠を誓っているのよ」
レールカは思わず言葉をつぐませた。
ここに来る前に述べられた『居場所をなくした人たちの集まり』という言葉が、レールカの脳裏に遮られる。
そうか。ネリーハもた、強者から一方的に大切な居場所を奪われた人間なのだ。そう腑に落としたと同時に、レールカは不安のあまりに眉を寄せた。
「他の……他の皆さんも……同じ、なのですかっ? 居場所を奪われて、それで……」
「ええ。何より、イリオス自身がそうなのよ。まぁ今の彼は至る所で身分を捏造して動いているようだから、今はどの国ににも居場所はあるようだけれどね」
「……許せ、ないです。お姉さんや、他の方々の居場所を奪った人たちが……悲しんでいる人がいるというのは、心が痛くなります」
自分の居場所が奪われる分には怒りは湧いてこない。
しかし、他にも同じような人がいるというのは――どうにも胸が苦しくなる。そういった人たちに対して、自分が行えることがないというのもまた苦しくなる。
「そんな悲しい顔しないの、レールちゃん。私が追放されたのなんてもう昔のことよ」
すると、食堂の出入り口の方からこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
「ネリーハの言う通りだ、お嬢さん」
イリオスだ。仕事だとか言っていた割に、平然として杖をつきながら歩きてきている。そして彼の右肩には一匹のリスが捕まっていた。
「他者を思うことは素晴らしいことだが、それで自分を責めるなんてことはしてはいけない。変えられないことは割り切るのが一番さ」
彼は盲目の割に、見えているかのような仕草でレールカの隣の椅子に腰をかけた。
「あの……お仕事は?」
「部下に任せたら、私がやることが無くなってしまった」
「…………」
それは何とも口を挟みにくい理由だ。
それにイリオスに見つめられていると、どうにも胸がうるさくなる。そのためレールカは咄嗟に目を逸らし、疑問に思ったことを聞いてみた。
「イリオス、さんは……目が見えていないのでは? どうして的確に私の位置を……?」
「ああ、それはこのリスの精霊に視覚共有をしてもらっているんだ。私のペットであり、長年の相棒だな」
予想外の答えが返ってきたため、レールカは目を丸くさせて身体を硬直させる。
「……ペットで、相棒……リスの、精霊……?」
「ああ。それより話は聞かせてもらっていたが、お嬢さんが疑問に思っていることこそが今私が部下に任せている仕事なんだ。お嬢さんの無罪を証明し、裏で動いているものを表に導き出すというものでね」
「……つまり、イリオスさんもまた睨んでいるのですね。あの国の闇の深さを」
「ああ」
レールカとイリオスの間で進んでいく会話に、ネリーハは一人置いてけぼりにされていた。とにかく二人が何の話をしているのかが分からず、ただ穏やかに微笑んで理解している風に振る舞っている。
「そして、お嬢さん。ずっとこの屋敷にいるのも退屈だろう? 一週間後、私が侯爵の身分を偽っている国で夜会が開かれるんだが……一緒に来るかい?」
もう何から口を挟めばいいのかわからなくなる。
侯爵の身分を偽っている――つまり、彼は本当に様々な国で別の仮面をつけて過ごしているのだ。
それに他国とはいえ、罪人であるレールカがいけばそれこそ問題になるのでなないだろうか。
「大丈夫。バレないように仕向けるさ。それに私の側を離れない限り、誰一人としてお嬢さんに指一本たりとも触れさせやしない。だからこそ、そこは安心してほしい」
「……ですが私、ドレスも何も持っていませんし……車椅子になりますよ?」
「問題ない。ドレスならば私が見繕うし、体が弱い上での車椅子なんて変ではないからな。今回の夜会は情報の収集も兼ねているからこそ、手伝って欲しいんだ」
「……わかり、ました。そこまでしてくれるのでしたら、断る理由がありませんから」
レールカは懸命な顔をして答えた。
イリオスの役に立てるのではあれば、それだけで自分に価値を加えることができる。ここにいてもいいと思える。
すると、ネリーハは不服そうにして口を挟んできた。
「リスの精霊がいなければ完全に盲目である万年ボッチさんにドレスは見繕えないでしょう。しかも男よ? レールちゃんのドレスは私が見繕うわ」
「確かに君の方が適任かもしれないな。では任せたぞ、ネリーハ。君のセンスを信じ……られはしないから、やはり他の者にも任せよう」
イリオスのその一言によって、ネリーハとイリオスの口喧嘩が幕を開けることになる。その口喧嘩の横でパンケーキを頬張っているレールカは止めるでもなく、甘味を食べれて幸せそうにしていた。




