昇天の階(しょうてんのきざはし)
その国、**光冠王国**において、「光」は生存の証明であり、絶対的な階級そのものであった。王族は皮膚から黄金の燐光を放ち、その輝きが強いほど、神に近いとされる。
だが、この眩耀の国に、一切の光を持たぬ漆黒の肌で生まれた王子がいた。
名は、**ナディリス・ヴェスペル・デ・コロナリス**。
「コロナリス王国の、もっとも深き夜(天底)」という意味を持つその名は、祝福ではなく、彼を奈落へ突き落とすための重石であった。
生後三日、彼は陽光の届かぬ「地底塔」へと放り捨てられた。
彼に与えられたのは、通称**「ナディル」**。そして、一度でも天を仰げば全身が発火して灰になるという、魂に刻まれた強烈な**「呪」**であった。
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地底塔の壁は、湿った苔と、過去に捨てられた者たちの腐った脂でぬらぬらと光っている。
ナディルは、爪が剥がれ、指の骨が露出してもなお、垂直の壁を登り続けた。
彼の鼻腔を突くのは、地下水の錆びた鉄の匂いと、己の傷口から滴る血の生臭さ。
だが、その悪臭の中に、時折、上層から零れ落ちてくる「コロナリスの栄華」が混じる。薔薇の香水、焼きたてのパン、そして——圧倒的な「光」の予感。
「昇る。コロナリスの頂へ。すべてを、この手に」
彼の**成り上がり**への執着は、もはや生存本能を超えていた。
空腹を満たすためではなく、ただ「天頂」という概念を犯すために、彼は闇の中で筋肉を研ぎ澄ませ、数万回、数億回の試行錯誤を繰り返した。
ある夜。あるいは昼か。
彼の指が、ついに石造りの滑らかな床を捉えた。
王城の最深部、玉座の間へと続く回廊である。
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回廊を抜けると、そこは黄金の輝きが満ちる円卓の間であった。
中央には、年老いた父王が、眩いばかりの光を放ちながら鎮座している。
その輝きはあまりに強く、ナディルの漆黒の皮膚をじりじりと焼き始めた。
「……来たか、コロナリスの不浄よ」
父王の声は、重厚な鐘の音のように響く。
ナディルは、燃え上がる肉体の痛みに耐えながら、醜く歪んだ笑みを浮かべた。
「ああ。地底の底から、玉座を奪いに来たぞ」
彼は、呪いの制約を思い出した。
**「天を仰げば、灰になる」**
だが、彼は首を曲げなかった。眼球だけを剥き出しにし、上へと向け、父王の頭上で輝く「光冠」を凝視した。
その瞬間、世界の色彩が反転した。
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ナディルの全身が、猛烈な勢いで発火した。
しかし、それは彼が「死ぬ」ための火ではなかった。
彼が王冠を、そしてその向こうにある「空」を視認した瞬間、光冠王国そのものが、そして国中の「光」が、猛烈な勢いでナディルの漆黒の肉体へと吸い込まれ始めたのだ。
父王は一瞬で光を失い、ただの干からびた肉塊へと成り果て、崩れ落ちた。
国中の貴族たちが放っていた燐光が消え、世界は一瞬にして絶対的な「無」の闇に包まれる。
ナディルは気づいた。
彼にかけられた呪い「天を仰げば灰になる」とは、処罰ではなかった。
**「光を飲み込み、世界を灰にする」という、太陽を喰らう『特異点』としての本性を封じ込めるための、最後の結界だったのだ。**
ナディルは、今や自分自身が「唯一の光源」となった玉座で、暗闇に怯える国民たちの悲鳴を聴いた。
彼は、成り上がった。
だが、彼が手に入れたのは「光の王国」ではない。
**彼が輝けば輝くほど、周囲のすべてが漆黒の灰へと変わっていく、永遠の虚無という名の支配であった。**
ナディルは、灰になった父の残骸を優雅に踏みつけ、誰にも見えない闇に向かって、冷酷で、かつ恍惚とした声を響かせた。
「ああ……。ようやく、コロナリスは私と同じ色になったな」




