表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

視線 

落ち着きを取り戻したエリスは、ふと小さく息をつき、父へと視線を向けた。

「……あの、お父様。少し、ご相談がございますの」


「なんだ?」


「……今のわたくしの部屋は、どうにも落ち着きがなく、品位にも欠けている気がいたします。ですから、もう少し……シンプルで静かな空間に整えたいのです」

言葉を選ぶようにして口にしたエリスは、さらに続けた。

「お母様のお部屋が、当時のまま家具も大切に手入れされていると伺いました。もし許していただけるなら……その家具を、使わせていただけないでしょうか」


 エドムンドは一瞬だけ目を伏せ、それから小さく首を振った。

「家具だけ、ではない。……いっそ、部屋ごと使えばよい」


「……え?」


「マリアンヌの部屋は、この家の中で日当たりが最もよく、ずっと変わらず綺麗に保たれている。今のお前ならば、大切にできるだろう」


「……よろしいのですか?」

 驚きに目を見開いたエリスが、思わず問い返す。


「よいのだ」

 穏やかな声で告げると、父はほんの一瞬、低く呟いた。

「私も……そろそろ変わらねばならんようだしな」


 その最後の言葉は、エリスの耳にははっきりとは届かなかった。


 けれど、エドムンドの視線がすぐに彼女の装いへと移る。

「……そのドレスは」


 エリスは胸元に視線を落とし、そっと布を撫でる。

「……お母様が残してくださったものです。」


 クラウスが小さく頷いたのを見て、エドムンドは静かに目を細めた。

「そうか、マリアが…よく似合っている」


マリアは父が母を呼ぶときだけの特別な響きだった。


「ありがとうございます……お父様」

ぱっと笑みを浮かべるエリス。その笑顔は、先ほどの涙に濡れた顔とはまるで別人のように明るかった。


「――さて、そろそろ朝食の時間だろう。準備ができたら、大食堂へ行こう」


父に促され、エリスは立ち上がった。



大食堂の扉が静かに開かれると、煌びやかな光景が広がった。

高い天井からは重厚なシャンデリアが垂れ下がり、朝の光を受けて宝石のような輝きを放っている。長大なテーブルは磨き上げられた銀器と絹のクロスで整えられ、両脇には整然と椅子が並び、壁際には侍従たちが控えていた。


貴族の威光と格式を示すにふさわしい、荘厳な空間――。


そこに現れたのは、瑠璃色のドレスを纏ったエリス。

深い青は白い肌を際立たせ、幼さを残した顔立ちに凛とした陰影を与えている。


その姿に、侍女や従僕たちが思わず小声を漏らした。


「……エリスお嬢様?」

「なんだか、いつもと……」

「本当に、あのお嬢様なのか…」


ざわめきが広がっていく。


無理もない。

これまでのエリスは気に入らないことがあれば癇癪を起こし、従者に八つ当たりをするのが常だった。彼らにとって“姫君”は恐れと緊張の対象であり、腫れ物に触るように接してきたのだ。


その空気を断ち切るように、クラウスが一歩前へ出て鋭く視線を走らせる。

冷ややかな眼差しに射すくめられた従者たちは、息を呑み、途端に声を失った。


大食堂には再び静寂が戻り、瑠璃色の裾を揺らすエリスの足音だけが響く。


(……みんな、驚いているわね)


向けられる視線に、エリスは内心小さく胸を痛めた。

かつて自分が彼らをどれだけ困らせてきたかを思い出し、頬がわずかに熱を帯びる。


(本当に……申し訳ないことをしてきたわ。これからは、きちんとしないと)


椅子に腰を下ろした瞬間、違和感が彼女を襲った。

いつもの席なのに身体のサイズ感が昨日までと違うからか、座り心地が妙に変わっている。背筋を伸ばしても落ち着かず、指先はそわそわと膝の上をさまよった。


そんな娘の様子を、エドムンドは口元に柔らかな笑みを浮かべて見守っていた。


しばしの静寂の後、扉の向こうから足音が近づいてくる。

やがて現れたのは、二人の青年――エリスの兄たちだった。


(ロイドお兄様…ヴィルお兄様――)


兄たちの姿を瞳に映した瞬間、胸の奥がひりつくように痛む。


エリスの顔はぎこちなく歪み、


視線が――交わった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ