必要なこと
応接室を辞したエリスは、扉を閉めた瞬間に小さく息を吐いた。
張り詰めていた笑みが溶け、胸の奥から力が抜けていく。
「お嬢様!」
待ち構えていたサラが駆け寄る。
心配そうな瞳に、エリスは精いっぱい微笑みをつくった。
「大丈夫よ。……少し疲れただけですわ」
そう言って早足で歩き出すと、サラは黙って横につき従った。
やがて自室に戻ると、扉が閉じられた途端――エリスはベッドへと身を投げ出す。
「……っはぁぁぁぁ……!」
張りつめていた緊張が一気に弛緩し、体の芯までぐったりと重くなる。
ただ座っていただけなのに、全力疾走でもしたかのような疲労感だった。
「お、お嬢様!?」
慌てて駆け寄るサラを片手で制し、エリスは横になったまま苦笑する。
「平気よ……。でも、少し……ゆっくりしたいですわ」
その言葉に呼応するかのように、控えていたクラウスが扉を叩く音が響く。
エリスが「どうぞ」と声を掛けると、銀盆を手に執事長が姿を現した。
「朝食の残りを……とのご所望でしたので」
盆の上には、温め直されたスープと焼き直されたパン、切り分けられた果実。
普段の彼女なら決して口にするはずのない“残り物”である。
クラウスはどこか逡巡する面持ちを浮かべていたが、エリスは静かに首を振った。
「クラウス、ありがとう。……今のわたくしには、これが何よりありがたいのですわ」
匙を口に運ぶと、疲れに染み渡る温かさが広がる。
エリスにとって、今は“まともな食事”こそが贅沢だった。
もう、食べ物を粗末にするなどという行為は、到底できることではない。
しばし静かな時間が流れる。
エリスはセドリックとの婚約を断ったいま、自身が何をしていけばいいか悩んでいた。
(少なくとも殿下とは公の場以外で会うのを極力避けなければならないわ。そもそも、フィオナが現れて、何事もなく二人が結ばれたからといってわたくしは殺されないのかしら。)
――いいえ。
エリスは断罪間際の記憶を振り返る。
あの時のフィオナはなにかが”変”だった。聖女と崇められた彼女にエリス自身確証はないが、なにか違和感を感じた。
(あのフィオナが私をそのままにしておくかしら…わからない。それに、過去あった出来事がなくなるのかも現時点では不明。やれることはしておかなければ…)
やがて器が半分ほど空になったところで、エリスはスープ皿をそっと置き、二人を見上げた。
「クラウス、サラ。……生きていくためにどんなことを身に着ければいいかしら?」
突拍子もない問いに、二人は同時に目を見張った。
サラが「え……」と声を漏らす横で、クラウスは眉をひそめ、慎重に言葉を探す。
「淑女として最低限お持ちいただきたいのは、歴史についての知識や礼儀作法でございますが……」
「それも大事ですけれど、身分に頼らず生きていくとしたら……」
ボソッと独り言のように呟く。
エリスは真剣に頷きながら、さらに言葉を重ねる。
「身分とか関係なく、人が生きていくのに必要なことを知りたいのよ」
サラは腕を組んで唸り、やがてぽつりと答えた。
「……お金の稼ぎ方や使い方とか、ですかね? あとは家事とか……お嬢様にはこの”サラが”お側におりますから、必要ないことかもしれませんが…」
クラウスが続く
「そうですね。家事はともかく、金銭の扱いなどにつきましては・・・」
「いや、それでしたら――」
「あぁ、あとは――」
それから三人の話し合いは思いがけず白熱し、あっという間に時間が過ぎていった。
――そして最後にエリスが口にした言葉は。
「よし!筋トレしましょう!」




