第5話 戦いの後、肉食系お姉さんに狙われまして
ホブゴブリンを倒し、張り詰めていた糸が切れた僕は、雨に濡れたベンチへどさりと腰を下ろした。
全身から止めどなく汗が吹き出し、肺が熱い。魔石を取り出す気力さえ残っていなかった。
「はぁ……はぁ……なんとか、勝てた……」
「お疲れ様、碧お兄ちゃん。本当にかっこよかったよ」
隣に座った空ちゃんが、タオルで僕の汗を拭いながら、自販機で買ったスポーツドリンクを差し出してくれる。 冷たい液体が喉を潤すと、ようやく思考が回り始めた。
「……ありがと。でも、あれ本当にただのホブゴブリンだったのかな? 皮膚が異常に硬かったし、力も桁違いだった気がするんだけど」
「そうですわね……。過去の討伐映像と比較しても、明らかにステータスが高すぎましたわ」
空ちゃんが小首をかしげ、ブツブツと分析を始めようとした――その時だ。
「それについては、あたしが答えてあげようか?」
背後から、凛とした大人の女性の声が聞こえた。
振り返ると、そこには紺色のジャケットにダメージジーンズを合わせた、スタイルの良い女性が立っていた。
長い黒髪をポニーテールにまとめ、健康的に焼けた小麦色の肌が雨上がりの光に映える。強者のオーラを纏ったその女性を、僕は見たことがない。けれど、空ちゃんは驚いたように声を上げた。
「あら、梢さん? 大阪のAランクダンジョンに行っていたんじゃありませんの?」
「調査が終わったついでにね。空が会いたがってた『運命の人』の顔を拝みに来たんだけど……まさかこんな騒ぎになってるなんてね」
親しげに話す二人に、僕は問いかける。
「えっと、空ちゃん。知り合いなの?」
「ええ、紹介しますわ。こちらは藤原梢さん。現役のAランク冒険者の方ですわ」
「Aランク……!?」
雲の上の存在に、僕は息を呑む。そんなすごい人がどうしてここに?
「私が東京にいた頃、一時期ボディーガードをしてくれていたんですの。私の数少ない理解者の一人ですわ」
「よっ。久しぶりだね、空」
梢さんは片手を上げて挨拶すると、値踏みするように僕の顔を覗き込んできた。
その距離はわずか数センチ。
整った大人の顔立ちと、甘い香水と雨の匂いが混じり合い、僕は思わず身を固くする。
「へぇ……この子が例の……。ちょっと、冗談でしょ? どこからどう見ても美少女じゃない」
梢さんの視線が、僕の顔から鎖骨、そして腰のラインへと舐めるように這う。
「あ、あの……僕、男なんですけど」
「うっそだぁ。……ちょっと失礼」
「ひゃっ!?」
梢さんの手が伸びてきて、僕の頬をムニッとつまんだ。さらに身体の線を確かめるようにボディタッチをしてくる。
「うわ、肌すっべすべ! 筋肉も柔らかいのに芯がある……。え、本当に男の子? 素材が良すぎない?」
「こ、梢ちゃん! 私の碧お兄ちゃんに何お触りしてますのッ! そこは私の聖域ですわよ!」
空ちゃんが「シャーッ!」と猫のように威嚇して割って入る。
「あはは、ごめんごめん。あたしは藤原梢。よろしくね、少年」
梢さんは悪びれもせずウィンクをして、僕の手を取って力強く握手をした。
その手には、剣だこがいくつもあった。間違いなく、修羅場を潜り抜けてきた強者の手だ。
「それで、さっきの話だけど……。こいつはただのホブゴブリンじゃないよ」
梢さんはホブゴブリンの死体に歩み寄ると、右手の指を揃え、まるで刃物のようにピンと伸ばした。
「ふんっ」
短い呼気と共に繰り出されたのは、なんの変哲もない『手刀』だ。
しかし、その威力は僕の常識を遥かに超えていた。
ズブッ!!
「……えっ?」
僕は我が目を疑った。僕がスキルを連発し、必死の思いでようやく刃を通したあの鋼のような皮膚が、まるで濡れた紙か何かのように、いともたやすく貫かれたのだ。
武器ですらない、ただの素手によって。
「な、なんて威力……。あんなに硬かった皮膚を、素手で簡単に貫くなんて……」
「ん? ああ、コツさえ掴めばこんなもんさ。これでも『身体強化』には自信があってね」
驚愕で言葉を失う僕を他所に、梢さんは平然と肉の中に手を差し込むと、グリグリと中を探り、無造作に魔石を引き抜いた。
雨水で血を洗い流すと、その魔石はどす黒いほどに濃い紫色の輝きを放っていた。
「見てみな。色が濃いだろう? これは『上位種』へ進化する直前の個体だ」
「進化する……直前?」
「そう。Cランク以上のダンジョンでは稀にあることなんだけど、魔力溜まりの影響を受けた個体が変異を起こすんだ。コイツは運が悪かったね。進化する前に、君みたいなとんでもない新人に狩られちまって」
梢さんは魔石を放り投げ、僕にキャッチさせた。
「君、すごいよ。進化直前のホブゴブリンなんて、ソロで倒せる新人はそうそういない。あたしが保証する。君は上位にいけるよ」
「……ありがとうございます」
Aランク冒険者からの言葉に、胸が熱くなる。
すると梢さんは、ニヤリと肉食獣のような笑みを浮かべ、空ちゃんを肘で小突いた。
「それにしても空ちゃん、いい彼氏見つけたねぇ。羨ましいぞ、このこの」
「えへへ……まだ付き合ってはいないんですけれど、時間の問題ですわ。外堀から埋めて、逃げられないようにしますので」
「うわ、重いねぇ。……ま、碧君が上位冒険者になったら、あたしを『第二夫人』に立候補させてもらおうかな?」
「ええっ!?」
僕が素っ頓狂な声を上げると、梢さんは真顔で頷いた。
世界にダンジョンが発生した直後、魔物の襲撃や混乱によって人類の人口は激減してしまった。
そのため、政府は人口回復策の一環として、十分な経済力と実力を持つ者に限り『重婚』を法的に認めるようになったのだ。 特に生存率が高く、高収入な上位冒険者の間では、複数の配偶者を持つことはもはや珍しいことではない。
「冗談じゃないよ? このご時世、実力ある冒険者の一夫多妻は珍しくないし。
あたしに言い寄ってくる男なんて、筋肉ダルマか勘違い野郎ばっかりでさ。
……その点、君は可愛いし、強くて性格も良さそう。
ぶっちゃけ、あたしのドストライクだ」
梢さんは僕の顎を指先ですくい上げ、流し目を送ってくる。
「可愛い年下の旦那様……悪くない響きだと思わない?」
「こ、梢ちゃん! ドサクサに紛れて口説かないでくださる!? ライバルが増えるのは困りますの!」
「あはは、早い者勝ちだよ。……おっと、長話が過ぎたね。あたしはそろそろ報告に行かないと」
梢さんは駅の方へ体を向けると、思い出したように振り返った。
「そうそう。冒険者学校への『推薦状』、あたしが出しといてあげるから。空ちゃんは飛び級入学が決まってるし、一緒に入れたほうがいいでしょ?」
「わぁ~~!! ちょっ、梢ちゃん!? それは私がサプライズで言おうと思ってましたのにーッ!!」
「あ、ごめん。言っちゃった」
テヘッと舌を出して笑うと、梢さんはヒラヒラと手を振って去っていった。 嵐のような人だった……。
「……ふぅ。今日はもう疲れたし、帰ろうか」
「そうですわね……。あ、お兄ちゃん。お腹空きませんこと?」
「それなら、スーパーに寄って帰ろうか。僕が何か作るよ」
「やった! お兄ちゃんの手料理! ……ふふ、まさに『新妻』の味ですわね♡」
「誰が新妻だ」
軽口を叩きながら、僕たちは並んで歩き出す。 雨上がりの空には、綺麗な虹がかかっていた。




