第3話 冒険者の覚悟:ゴブリンの襲撃前編
ステータスを確認した翌日。
霧のような冷たい雨が降っていた。傘がいらないほどの小雨だが、肌寒い。
水たまりを歩くたび、ピチャピチャと音が鳴る。そのリズムは、まるでプレゼントを待ちきれない子供の足音のように弾んでいた。
僕は空ちゃんにせがまれ、相合傘をしながら市街地を歩いていた。
向かう先は、いつもの荒野のダンジョン。
スライムしか出ないその場所で、新しく手に入れたスキルを試すつもりだ。
自分がスキルを使える――その事実に、ワクワク感が抑えきれない。
いつもと同じ通学路なのに、周囲の視線が妙に気になった。
すれ違う通行人が、皆一様に振り返って僕たちを見ている。
昨日までは腫れ物を扱うような目で見られ、避けられていたのに。
「……変だな。なんか、すれ違う人たちがみんな振り返って見てくる気がするんだけど」
僕は思わず、隣を歩く空ちゃんにそう零した。
昨日とはあまりに違う反応に、なんとも不思議な気分だ。
「これほど美しくなられたのですもの、衆目が釘付けになるのも無理はありませんわ」
空ちゃんはそう言って、僕の腕に自分の腕を絡め、さらに密着してくる。
「むしろ、この有象無象の視線からお兄ちゃんを隔離したいくらいですわ。……ふふ、でもこの優越感も悪くありませんの」
「昨日までの視線と全然違うから、まだ慣れないし、ちょっとむず痒いよ」
「そのようなことは3日もあれば気にならなくなりますわ」
「ほんとかな~……」
慣れない視線に戸惑いながらも歩を進めていると、不意に遠くの方から悲鳴と、動物の唸り声のような音が聞こえてきた。
「今の悲鳴はなに?」
「わかりませんわ。……ですが、警戒を強めた方がよろしいかと」
視線の先、声が聞こえた方角から、大学生くらいの男性が血相を変えて走ってきた。
僕は彼を呼び止める。
「すみません、向こうで何があったんですか?」
「た、大量の、ゴ、ゴブリンが街に出てきたんだよ! 君達も早く逃げた方がいい!」
男性はそう叫び捨て、慌てて走り去っていった。
ゴブリン……。ダンジョンの魔物が、街に?
僕は拳を握りしめる。
「予期せぬ遭遇ですが……やるしかありませんわね。お兄ちゃん、覚悟はおありかしら? それとも先程の方と同じように逃げますか?」
「……逃げないよ。此処で覚悟を示せないようじゃ、冒険者になんてなれないよ……よし!!」
僕は気合を入れるため、パァン! と両手で自分の頬を叩いた。
「素晴らしい、その意気ですわ! では私からも、愛の鞭を注入して差し上げます!」
バシッ、と背中……ではなくお尻に衝撃が走る。
「空ちゃん、こんな時にふざけないで!」
「ふざけてなどおりませんわ! 愛情を込めようとしたらちょっと手元が狂っただけですの。決してどさくさに紛れてお兄ちゃんのお尻を触りたいとか思ってませんわ」
「どさくさに紛れてって、それ絶対触ろうと――」
「と、とにかく! それよりもよろしいですか? スキルの使い方は、己の内側に問いかければ自ずと脳裏に思い浮かびますわ。まずは……そうですわね、『甲冑召喚』と『聖剣召喚』を発動させてみてくださいまし!」
……なんか強引に遮られた気がするが、とりあえず『甲冑召喚』を試してみることにした。
彼女の言葉に従い、自分自身のスキルを強くイメージする。
すると、自然に使い方が頭の中に流れ込んできた。
昨日までの自分と、これからの自分を変えるために――僕は心の中でその名を唱えた。
(甲冑召喚!)
瞬間、光が僕を包む。
現れたのは、金色の蛇の刺繍が施された赤いドレス。胸当て、籠手、そして腰の左右には白銀の鎧が輝きを放っている。
続けて、もう一つのスキルを唱える。
(聖剣召喚!)
右手に、透き通る赤い水晶のような刃を持つ長剣が現れた。
ゴブリンは倒した事はない。けれど、今の僕になら倒せる気がする。
「申し訳ありません、お兄ちゃん……。今の私のスキルには戦闘用スキルも魔法もないの。武器もメンテ中で戦力外ですの……」
空ちゃんは悔しげに唇を噛むが、すぐにキッと顔を上げた。
「ですが、逃げ遅れた一般市民の確保も重要ですわ。後方支援はお任せくださいまし!」
「わかった。危険だけど一緒に行こう。絶対に離れないで」
騒ぎの中心に到着すると、そこはまさに地獄絵図だった。
緑色の肌をしたゴブリンたちが、あちこちで暴れ回っている。
ある群れはショーウィンドウをこん棒で粉砕して商品を面白半分にまき散らし、別の群れは駐車された車の車体を凹ませ、窓ガラスを叩き割りながら、「ギャッ、ギャッ」と下卑た笑い声を上げていた。
ステータスを持たない一般人にとって、凶暴なゴブリン一匹でも絶対的な恐怖の対象だ。街の機能は完全に麻痺していた。
ふと遠くを見渡せば、市街地のあちこちから黒い煙が立ち上っているのが見えた。
どうやらゴブリンの群れはここだけでなく、かなり広範囲にわたって暴れ回っているらしい。きっと今頃、他の冒険者たちも各地で事態の収拾に追われているのだろう。
周囲を見回すが、応援に駆けつけてきそうな冒険者の姿はどこにもない。
――つまり、今この場で逃げ遅れた人たちを守れるのは、僕しかいないのだ。
「空ちゃんは逃げ遅れた人がいないか捜索を。離れすぎないようにね!」
「わかりましたわ、碧お兄ちゃんもお気をつけて!」
僕はすぐ近くで暴れていた一匹に狙いを定め、切り込んでいく。
「はぁぁっ!」
覚醒して初めての戦闘。
初めて実体化させた聖剣の重さや、間合いの取り方に戸惑い、その動きはひどくぎこちないものだった。
それでも、レベルアップした身体能力に任せて強引に振り下ろした刃が、ゴブリンの肉に深々と食い込んだ。
「ギャァ」と悲鳴を上げ、ゴブリンが絶命する。
――初めて人型の魔物を斬った、生々しく、重い感触。
急激な吐き気が胃の奥からこみ上げ、手が震えて聖剣を取り落としそうになる。
だが、僕は奥歯を噛み締め、すんでのところで柄をきつく握り直した。
「やめて、来ないでぇっ!」
「お母さん、怖いよぉ……っ」
耳に届く悲痛な声が、僕を現実に引き戻す。
視線を向けると、壁際まで追い詰められた母親が、小さな女の子を必死に庇うようにうずくまっていた。
それを取り囲む三匹のゴブリンは、絶望に震える親子をよだれを垂らしながら下劣に嘲笑い、今まさに無慈悲なこん棒を振り下ろそうとしていた。
「やめろぉっ!!」
僕はもう一度頬を叩き、震える足を叱咤して駆け出した。
間に合え。強く念じながら地面を蹴った瞬間――僕の身体が、羽のように軽く跳躍した。
あの親子を助けたいと願う僕の決意に呼応するかのように、魂の奥底で『女騎士』の職業が真の目覚めを果たす。
気高き守護の剣術が脳内に溢れ出す。
さっきまでのぎこちなさが嘘のように、剣が身体の一部になったような感覚。
――『スラッシュ』!
魔力を帯びた赤い刃が空気を切り裂く。
一閃。脳天から振り下ろされた一撃は、ゴブリンたちのこん棒ごと、その胴体を鮮やかに両断した。
ドチャッ、と両断された醜悪な体が水たまりに崩れ落ちる音。
僕は剣の血糊を振り払い、親子を背中で庇うように立ち塞がった。
雨上がりの風に、深紅のドレスアーマーと白銀の髪が美しく舞う。
「え……?」
死を覚悟していた母親が、呆然と僕を見上げる。
「もう大丈夫ですよ。お怪我はありませんか?」
努めて優しく微笑みかけると、母親はハッとして、ボロボロと安堵の涙をこぼしながら何度も頷いた。
すると、母親の腕の中にいた小さな女の子が、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げ、ぱぁっと瞳を輝かせる。
「あ、リリーだ! テレビといっしょだ! リリーがたすけにきてくれた!」
(……リリー?)
女の子の言葉に首を傾げたが、今は考える時じゃない。
「もう大丈夫だよ。あっちに僕の仲間がいるから、早く逃げて」
僕は少しだけ身をかがめ、女の子の頭を優しく撫でた。
すると女の子は「うん!」と元気に頷き、母親と共に空ちゃんのいる安全な方向へと走っていった。
――守るべき存在の言葉が、僕の背中を力強く押してくれた。
そこからの僕は、自分でも驚くほど冷静だった。
戦うたびに『女騎士』の剣術が洗練されていく。
群がってくる残りのゴブリンたちの攻撃を流れるように躱すたび、深紅のドレスアーマーが美しく舞い、無駄のない一撃で次々と命を刈り取っていく。
気がつけば、あらかたのゴブリンは血の海に倒れ伏していた。
残るは、他の個体よりも一回り以上も巨大な一匹だけ。
「お兄ちゃん、警戒してくださいまし! あれは……『ホブゴブリン』ですわ!」




