第10話 聖女の奇跡。傷だらけの受付嬢を癒やす光
僕の手のひらが森崎さんの頬に触れた、その瞬間――。触れた手の隙間から無数の光の粒子が溢れ出した。それはまるで、純白の星屑を零したかのような輝き。キラキラと舞う光の粒が、優しく彼女の傷へと降り注いでいく。
「……っ!?」
森崎さんが息を呑む。僕は全神経を集中させ、傷の奥に巣食う「呪い」の本体へと魔力を叩き込む。 だが――。
(……重いッ!?)
予想以上の反発だった。
彼女の傷に染み付いた呪毒は、まるで底なし沼のように深く、粘り気があった。
僕の放った聖女の光を、黒い霧が必死に押し返そうと抵抗してくるのだ。
(くっ、魔力の消費が早すぎる……! このままだと、浄化しきる前に僕がガス欠になる……!)
額に脂汗が滲む。視界がぐらりと揺れた。レベルアップで魔力量は増えたはずなのに、根深い呪いを焼き払うには、まだ足りないのか。けれど、ここで止めるわけにはいかない。中途半端に止めれば、呪いが逆流して森崎さんを傷つけるかもしれない。
「はぁ、はぁ……ッ、まだだ……!」
僕が歯を食いしばるが、限界は近い。ガクン、と膝から力が抜け、身体が傾いた――その時だ。
「おかあちゃん、まけないでーっ!!」
ドサッ、と僕の腰に小さな身体がぶつかってきた。
ルトだ。彼女は倒れそうになる僕の身体を小さな腕で必死に支え、食い止めてくれていたのだ。
「るともてつだう……! だから、おかあちゃん、がんばって……っ!」
ルトの全身から、黄金色の光が溢れ出し、僕の体へと流れ込んでくる。
それは、従魔から主人への魔力譲渡。
ルトは自分の魔力を惜しげもなく、すべて僕に注ぎ込んでくれている。その小さな身体が、小刻みに震えているのが伝わってきた。
(……ごめん、ルト。ありがとう……!)
ルトの想いと、純粋で膨大な魔力が、僕の聖なる力を何倍にも増幅させる。力が、再び全身にみなぎった。
「うおおおおぉぉっ!! これで、終わりだぁぁぁッ!!」
カァァァァァッ!!
僕の手のひらから、先ほどとは桁違いの光の奔流が放たれた。
視界を白く染め上げる圧倒的な光量は、抵抗していた黒い霧を一瞬で飲み込み、消滅させる。
ジュワァァァ……。
最後の黒い煙が空気に溶け、森崎さんの頬に温かな赤みが戻っていく。
えぐれていた肉が盛り上がり、傷跡が塞がり、本来のきめ細やかな白い肌へと再生されていく。
今度こそ、完全に呪いの気配が消えた。
僕は深く息を吐き、ゆっくりと頬から手を離しその場に座り込む。
「……終わりましたよ、森崎さん」
光が収まった部屋の中、森崎さんは呆然としていた。
恐る恐る、震える指先を自分の右頬へと伸ばす。いつもなら、そこに触れるのは凹凸のある醜い傷跡だったはずだ。けれど――
「……あ……嘘……」
指先が触れたのは、どこまでも滑らかで、柔らかな肌の感触。
彼女は信じられないといった様子で、何度も、何度もそこを撫でた。
「おねえしゃん、きれー……」
魔力を使い果たしたのか、僕の足にしがみついたまま、ルトがとろんとした目で嬉しそうに声を上げた。その純粋な賛辞が、何よりの証拠だった。
「鏡があればいいんですが……。ちょっと失礼しますね」
僕はポケットからスマートフォンを取り出すと、呆然としている森崎さんにレンズを向け、シャッターを切った。
カシャッ。
静寂に、電子音が響く。僕は撮ったばかりの写真を画面に表示させ、彼女に手渡した。
「ほら、見てください。これが今の森崎さんです」
森崎さんは壊れ物に触れるようにスマホを受け取り、恐る恐る画面を覗き込んだ。
そこに映っていたのは――かつての傷など微塵も残っていない、涙に濡れた美しい女性の顔。
「……消えて、る……。あんなに、何をやっても消えなかったのに……」
ポロリ、と画面の上に涙が落ちる。
森崎さんは両手で顔を覆い、堰を切ったように泣き崩れた。
「うっ、ぐすっ……! 夢じゃ、ないんですよね……? もう、化け物なんて言われないんですよね……?」
「夢じゃありません。それが、本来のあなたの姿です」
僕はそっと彼女の肩に手を置く。
森崎さんは子供のようにしゃくりあげながら、僕の手をすがりつくように握り返してきた。
「ありがとう……っ! ありがとうございます、碧君……! 私、私……ッ!」
その涙は、長年彼女を縛り付けていた鎖が解けた証だった。
かつて泥だらけの僕を救ってくれた彼女を、今度は僕とルトの力で救うことができた。
「……本当に……よかった」
安堵の言葉が、吐息と共に漏れる。
それを見届けた瞬間、張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れた。
カクン、と視界が急激に暗転する。
魔力を根こそぎ使い果たした反動が、一気に押し寄せてきたのだ。
「え……? 碧君!?」
遠くで森崎さんの悲鳴のような声が聞こえた気がしたが、僕の意識はそこで途切れた。
※
「……おかあちゃん、しんじゃやだぁ……」
碧君が倒れたその横で、ルトちゃんがポロポロと涙を流しながら彼の服を掴んでいた。私は慌てて碧君の脈を取り、呼吸を確認する。……よかった、安らかな寝息を立てている。
「大丈夫ですよ、ルトちゃん。死んでなんていませんからね」
私は彼女の小さな頭を優しく撫でて、安心させるように微笑みかけた。
「一気に魔力を使いすぎて、気絶してしまっただけです。少し眠れば、また元気になりますよ」
「……ほんと?」
「ええ、本当です。……あんな凄い奇跡を起こしたんですもの、無理もありません」
私は碧君の寝顔を見下ろす。長い睫毛に、透き通るような肌。こうして見ると、本当に陶器のお人形さんのようだ。
「ここでは休めませんから、救護室のベッドに運びましょう」
私は碧君の背中と膝裏に手を回し、ひょいと抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこだ。
(……軽い)
彼の身体は、驚くほど軽かった。まるで羽毛布団でも運んでいるようだ。彼が今まで、どれだけ過酷な環境でやせ細っていたのかを思い出し、胸が少し痛む。
「よし。ルトちゃん、ついてきてね」
「あい!」
私は腕の中の碧君を落とさないようしっかりと抱え、応接室を出た。すると、廊下の角を曲がったところで、ちょうど書類を抱えた男性と鉢合わせた。
「おや、森崎君? どうしたんだね、そんな誰かを抱え……て……」
冒険者組合の支部長、中沢さんだ。 彼は不思議そうに私を見て――次の瞬間、抱えていた書類をバサバサと床に取り落とした。
「も、森崎君ッ!? き、君、その顔……ッ!?」
中沢さんは目を見開き、私の顔を指差して絶句している。無理もない。ついさっきまで、私の右頬には見るも無惨な傷跡があったのだから。
「傷が、無くなっている……!? あんなに、どんな高位の回復魔法も効かなかったのに……一体どうして!?」
「ふふん、おじしゃん、おどろいた?」
私が答えるより先に、ルトちゃんが得意げに胸を張って割って入った。
「これはね、おかあちゃんがなおしてくれたの! おかあちゃん、すごいでしょー!」
「お、お母さん……?」
中沢さんの視線が、私の腕の中で眠る碧君と、ルトちゃんを交互に行き来する。
「こ、こんな幼い女の子がお母さん!? いや待て、確かによく見ると顔立ちは似ているような気もするが……」
碧君の美貌と、ルトちゃんの可愛らしさを見比べ、支部長は激しく混乱しているようだ。
「支部長、そのことについては後ほど詳しくご報告いたします。今は彼を、救護室で休ませたいので」
「あ、ああ、すまない! 引き止めてしまったね。急ぎたまえ。……しかし森崎君、君のその美貌……いやぁ、見違えたよ! 本当におめでとう! ……ん? 彼?」
中沢さんは混乱しつつも、私の回復を心から喜んでくれた。その言葉に胸を熱くしながら、私は頭を下げて歩き出す。
救護室に到着すると、私は碧君を清潔なシーツの上にそっと寝かせた。彼は泥のように深く眠っている。
「ルトちゃん、ここで碧君を見ていてくれますか? お茶とお菓子を持ってきますから」
「わ~い! おかし!」
ルトちゃんにお願いして、私は給湯室へと向かった。
お湯を沸かしている間、ふと、壁に備え付けられた洗面台の鏡が目に入った。
私は吸い寄せられるように、鏡の前へと歩み寄る。
「…………」
そこには、見慣れない――いいえ、ずっと見たいと願い続けていた自分の顔があった。
醜い引きつりも、どす黒い変色もない。滑らかで、白い肌。
私は震える指で、そっと頬に触れる。
「……よかった……」
指先から伝わる温もりが、夢ではないと教えてくれる。もう、髪で顔を隠さなくていい。人の視線に怯えて、下を向いて歩かなくていいんだ。
「……よかったよぉ……っ」
堪えていたものが決壊した。
鏡に映る私の顔が、涙でぐしゃぐしゃに歪んでいく。けれど、それは今まで流してきた悔し涙とは違う。胸の奥からこみ上げてくるのは、彼への感謝と、未来への希望だった。
誰もいない給湯室で、私はしばらくの間、声を殺して泣き続けた。




