第 40 章
どこからか聞いたことのない声が聞こえると、アンサイはすぐに声がする方へと頭を向けた。
「皆のもの、気を引き締めよ! 敵はこの者を捕らえ、目を見えなくさせおった!」
頭の上にブラを乗せたアンサイが言った。
「この者のスキルを使えなくさせおったのじゃ!」
「ああもう、アンサイ! 動くな、余計に絡まるだろ!」
「ブレア! 上よ!」
灰色の空を見上げると、ご満悦そうに腰に手を当てて立っている女のシルエットがあった。俺はすぐにアンサイの方を見た。
ストレリチアは剣を呼び出し、ファイティングポーズを取った。
「ブレア、私があの女を仕留めるわ! あなたは師匠を助けてあげて──」
「だめだ、あんなエロい下着を『ヘビ取りワナ』なんて言いやがって。好きにさせておくわけにはいかない」
「前例なき者! 取り乱してはいかん、お前さんの相手ではない!」
「こら、クネクネするな。もっと絡まって窒息死でもしたら俺たちも終わりだ。そうなったらアンサイのせいだぞ」
「きゃはぁ! 私と戦いたいって言ってるの?」
女は大きな声で言った。
「ならお望み通りにしてあげようじゃない!」
「私があなたたちを守るわ!」
ストレリチアが叫んだ。
俺が思っていた以上に展開は速かった。俺が目を向けた瞬間、女は不敵な笑みを浮かべてストレリチアに突進していくところだった。
ストレリチアが剣を一振りした時に女は言った──
「やっだぁ、本気じゃなかったのよ」
女は含み笑いをしていたが、忽然と──その上奇妙な感じで──視界から消えると、ストレリチアの後ろへと立った。ストレリチアはまだ空を見上げていたが、そんなストレリチアをよそに女は尻で彼女を押し転倒させた。
「まだまだね」
そう言うと女は歩き出した。
俺は女を見た。赤茶色の髪をしたグラマラスな女だった。肩までの髪に灰色の瞳、銀色の毛皮が襟の部分についた緑色の長いコートを着ている。黒いスキニーパンツを履き、年季の入ったブーツの中に裾は入れられていた。白いシャツのボタンは、女の大きな胸の谷間がチラリと見えるあたりまでかけられていない。そんな着方をしているものだから、身につけているランジェリーまで見えていた──言うまでもない、紐がいっぱいのハーネスブラだ。
下着に目が引きつけられたが、視線を上げ女と目線を合わせた。前に見たことがあるような瞳をしている──誰か狡猾なやつの瞳……女を「おちゃらけたやつ」と判断するのは時期尚早かもしれない。
女の目はカメラのシャッターを切るように、いろいろなものを捉えていた。ストレリチアを尻で転倒させた時に俺が配置させた15個の牙は、すでにチェック済みだ。一つひとつを目で確認するかのように漏れなく見、すべてを確認し終えるとようやく視線を俺へと向けた。
俺は表情ひとつ変えることなく女を見ていた。
すると女が微笑んだ。
「手を借してあげましょうか? 私の『ヘビ取りワナ』から外したいんでしょう?」
女のかすかな笑い声を俺は聞き逃さなかった。
「前例なき者、あの女を信じてはいかん! この者の首をへし折る気じゃ」
ブラを頭に乗せたアンサイが言った。
「ブレア! 気をつけて!」
ストレリチアは、手を震わせながら剣を握りしめていた。顔には泥がついていた。
「あらまぁ」
女はそう言うと、ピンク色の手を差し出した。
「冗談はこれまでにしましょう。私はただお役に立ちたいだけ」
女はストレリチアをチラリと見た。
「ヘビを助けるのを手伝いましょう。もしも私が変なことをしたら、その炎のような剣で私を切り刻んだらいいわ」
ストレリチアがためらいながらもうなずくと、女は座った。俺はアンサイの方へと視線を移したが、牙たちはまだ女の方へと向けられていた。
「お前のブラなんだろ」
俺はボソッと言った。
「毎日身につけるものがこんな面倒を起こしてしまうなんておもしろいじゃない、ねぇ?」
女は紐を何本か引っ張ると、アンサイが起こしたこの厄介ごとの解決法がわかったようだった。
「前例なき者! 何やら知らぬ感触がする──」
「アンサイ、お願いだ、落ち着いてくれ。これ以上絡ませたらもっと大変なことになる」
「小さなヘビさん、彼の言うことをお聞きなさい」
女は笑いながら言った。女の手と俺の手が触れると、女は視線を下にずらした。
「ん?」
女は一瞬表情を変えると、俺に笑顔を見せた。
俺は女の手に触れた自分の手を見つめ続けていた──そこには俺の印がある。俺は感情の波を一切荒立てることなく、アンサイの絡みが解かれるのを見ていた。
「さぁ、終わったわ」
女はそう言うとブラを取り、クルクルと巻き取った。
「ヘビさん、どんなお気持ちかしら?」
アンサイは俺の腕を登り、肩の上に落ち着いた。
「もう大丈夫じゃ。お前さんの『ヘビ取りワナ』は世にも恐ろしいワナじゃな」
女は手を頬に添え、悪だくみしているような笑顔を俺たちへ向けた。
「私のすることはなんだって恐ろしいのよ」
そう言うと女は俺にウィンクしたが、まるで悪魔にウィンクされたかのように、顔から血の気が一気に退いていくような恐ろしさを感じた。
女はクスクスと笑いながら立ち上がった。俺たちも立ち上がり、女が服についた土埃を払う姿をじっと見ていた。ストレリチアは小走りし、俺の横に立った。
「さて」
女は続けた。
「私はフローレンスよ」
女はストレリチアの方へと手を差し出したが、ストレリチアは頑なに手も体も微動だにさせなかった。
「あら、握手しないの? 私みたいなフレンドリーな有望者に出会えたっていうのに」
女は俺の方に視線を移しニコリとした──その瞬間に背筋がゾッとするのを感じた。
「印縛権者はあなたね。握手していただける?」
女が差し出したのは左手だった。俺も同じように左手を出した。
「よろしく、フローレンス。俺はブレア……友好的な奴に出会えて嬉しいよ」
「私もあなたが理性的に対応してくれて嬉しいわ」
「はぁ……」
女は俺の手をつかみ、印が入った方を表にした。
「ふーん、ふぅん、ふ〜ん」
女は俺たち全員に見つめられていることを知りながら、印を舐めるように見ていた。
すると、俺は肩に乗っているアンサイが懸念のようなものを発しているのを感じた。少しするとアンサイは肩から降り、手に乗って印を隠すようにした。
「手を離してくれんかの」
フローレンスは始末が悪いような笑顔を見せた。
「あら、ごめんなさい、ヘビさん。あなたがそんなに嫉妬するなんて思ってなかったわ」
ストレリチアはズンズンと歩いていき、俺とフローレンスの間に立った。アンサイは俺からストレリチアの方へジャンプし、ストレリチアの肩に登っていった。
「あらら……あなたたち二人とも、私を彼に近づけたくないのね……」
フローレンスは手を背中の方へ置いたが、顔を俺の方へ突き出して俺に笑ってみせた。
「これをうまく解決する方法を知ってるわよ」
フローレンスはアンサイとストレリチアをチラリと見た。
「あなたたちがそんなに私を信用できないって言うんなら、こういうのはどう?」
フローレンスは俺に特大のスマイルを向けた。
「私をあなたの印縛処に入れて従属させるのよ」
「なんだって?!」
俺は思わず大きな声で叫んだ。
「ちょっと待て! 君を信用してないってだけで、そんな思い切ったことする奴がいるか──」
「よろしい」
アンサイが間髪入れずに言った。
「その女を迎え入れよ、前例なき者」
「待て待て、アンサイ、君もこの案に乗るってのか?!」
フローレンスはフフッと笑った。
「私があなたたち誰も傷つけようとしていないって保証するには、手っ取り早くて一番効果的な方法でしょう」
「この者は賛成じゃ──」
「話で解決できないか? それにつけても、その腹黒な悪魔みたいなオーラを送るのは止めてくれ!」
「『腹黒』? 『悪魔』? 誰が? 私のこと?」
フローレンスは歩き出し、ストレリチアを避けて俺の前へと立った。
「あなたは私のことを信用していないかもしれないけど、私って実際のところ全然弱いの。だから強い相手に従属したい、っていうのはごく自然なことじゃない?」
茶化す気は微塵もなかった。俺は真面目な顔をした。
「君は俺たちを知らない。俺たちが強いなんてのもわからないはずだし、俺たちが悪い奴らじゃないってことも知ってるわけがないだろ」
フローレンスは変わらず笑顔を作ったままだった。
「私には誰が良い人かわかるのよ」
俺の表情は何一つ変わらなかった。すると、フローレンスの表情から不満の色がにじみ出た。
「ほら」
フローレンスは俺の胸に手を置き言った。
「あなたは若くて健康な男性なんでしょう? 美しい女性があなたの足元で懇願している姿を見たら考えちゃわない……?」
続けてフローレンスはその豊満な胸を俺に押し付けてきた。
「それか、あなたの好みのタイプじゃないのかしら?」
「俺はお前を殺すこともできるんだぞ」
俺は間髪入れずに答えた。
俺の言葉を聞き、フローレンスの顔にはまた不満の色が浮かび上がった。しかし、だからと言って俺の心は変わることはなかった。地球にいた時にグループのリーダーに猫撫で声ですりよっていく女や男どもを見たことがある──俺はこんなことに巻き込まれたことはなかったけど、その姿は完全にお笑いだった。楽するためか、メシにありつくためか、もしくは単に生きやすくするためか──そいつらのやり口を俺はずっと見てきた。言うまでもないが、フローレンスにイラつくよりも、これから何が降りかかってくるのかと不安に思う気持ちの方がずっと大きかった。
「そんなことしないのは承知の上よ」
指で俺の胸をツンツンとしながら、フローレンスは挑発的に言葉を放った。フローレンスは俺の目から視線をずらすことはなかった。身長差があるからか、俺の目元には彼女の頭があった。見つめていると、どこからかふわりと花の香りがしてくる──フローレンス……彼女が魅力的な女なのは間違いない。
「フローレンス、お前は自分の運命を俺に委ねようとしてるんだぞ」
フローレンスは顔をくしゃっとさせた笑顔を作り、俺の唇ギリギリのところまで自らの唇を近づけてきた。
「か弱いんだもの、そうするのが当然でしょう」
俺はストレリチアとアンサイの方へ目をやった──ストレリチアの顔は真っ赤になっていたが、アンサイはいつも通り平然としていた。
「迎え入れよ」
アンサイは先ほどと同じ言葉を放った──ある意味アンサイの方がよっぽど「腹黒」だ。
「もう一人迎え入れることは可能じゃぞ」
俺はため息をつき、フローレンスを見た。
「わかったよ。どうしたらいいんだ?」
フローレンスが左手を上げるとアンサイが話し出した。
「お前さんの左手を彼女の左手と合わせるのじゃ。ゾーンを開く必要もないぞ。ただ、意思表示すればいい」
フローレンスの手に俺の手を合わせると、フローレンスはすぐさま俺の手に指を絡ませてきた。
「ブレア、あなたは私を従属者とし、あなたの印縛処に私を迎え入れますか?」
「……迎え入れます……」
ルーン文字が入ったリングが現れ、俺たちの手を包み込むと回転を続け、ついには小さくなると糸のようになり、俺たちを結びつけた。最後には光が放たれ、一連の「儀式」は終了した。
「ふぅ」
手のひらを見つめ俺は言った。
「これでフローレンスは俺たちの仲間だ。フローレンス、気分はどう──えっ」
フローレンスを見ると、予想だにしていなかった彼女の姿が目に飛び込んできた。
「きゃあ、もう、なんて素敵なの……はあぁぁぁ、こんな気持ちになるなんて考えてもいなかった……」
フローレンスはまるで最愛の恋人にするかのように、左手の甲に頬ずりをしていた。
「フ、フローレンス?」
「うーん、はぁぁ……」
フローレンスはまるで心地よい夢から起きたばかりの女のような返事をした。
「大丈夫よ、見ての通り。受け入れてくれて感謝するわ」
そう言うとフローレンスは咳払いをし、俺たち三人の前に立った。
「もう一度自己紹介をさせてね。私はフローレンス・ボロノヴァ。お世話になるわ」
軽く会釈をすると笑顔を見せた。
「ボ、ボロノヴァ……」
ストレリチアはそう呟いた後、ハッとしたような顔つきになった。
「名前に聞き覚えでも?」
「そ、その家系について先生が一度教えてくれたことがあったの──世界の多くの情報を握っているって、他の家系が知らないような情報すらも……でも彼らのことをよく知る人はほとんどいないって。最高の仲間にもなりうるし……最悪の敵にもなりうるって」
まだ微笑みをたたえているフローレンスをちらりと見た。
「お仲間さん、どうやらあなたの先生様は真正直な人だったようね」
ストレリチアは後退りをした──無意識だったか意識的なのかはわからないが。
「とにかく、私の名前はフローレンス・ボロノヴァよ。早速だけどお願いがあるわ」
「なんだよ?」
俺は気が進まなそうに尋ねた。
フローレンスはダンジョンを指差した。
「あの建物をくまなく見て回りたいのよ。手伝ってくれる?」
思わず笑顔がほころんだ。
「偶然だな、俺もあそこをいろいろ探りたいんだよ」
フローレンスはくすりと笑い、眉毛をクイッと上げた。
「だから言ったでしょう、私には人を見る目があるって」