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リ・ボール  作者: よもや
1章 人生のリスタート
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5 春

5限目、6限目の授業が終了し、放課後が訪れる。中学生、高校生からすればまだまだ授業真っ只中の昼下がり。既に小学生は自由を与えられる。


俺も本来の平日であればここで帰路に着く。


しかし、今日は月曜日。そして月曜日は委員会の日だ。


「明日から『挨拶週間』が始まるから、君たちはいつもより早く学校に来るように。」


委員会担当の『倉敷』先生がそう言うと、ただでさえヒソヒソと話し声が聞こえていた教室に大きな騒ぎ声が響き渡る。


大抵の小学生は毎朝眠気眼で登校してくる。早起きが苦手な彼らにとってそのわずかな睡眠時間の搾取は少なくない辛さを孕んでいたに違いない。


「…ひとまずは連絡終了だ。委員会長挨拶。」


「起立。気をつけ。礼。」


その指示に従い頭を下げる。


これでやっと家に帰ることができる。1時間遅れでの下校。ここからは俺の帰宅路をトレーニングも兼ねて紹介しよう。


「ねぇ。」


すぐに帰路に着こうと立ち上がった僕の肩がトントンと叩かれた。茶色みがかった長めの髪が俺の視界を横切る。


「陽射。」


俺の後ろに立ち肩を叩いた人物の名前を呼んだ。そういえば陽射も運営委員会に所属していた。運営委員会は1クラスに男女1人ずつ。自ずと陽射と明日の活動について話し合う必要があるのだ。


陽射の顔、そして倉敷先生の声を聞いていると嫌な事を思い出す。


あの時のことはよく覚えている。

陽射と同じ委員会に入りたかった猪山が、例の如く一悶着巻き起こしてくれたのだ。あまりの騒ぎを止めきれなかった担任の先生。突如現れた隣のクラスの倉敷先生が独断と偏見で僕を指名したのだ。あの時のこと…忘れてないからね?


「今日、一緒に帰らない?」


眩しい…。

そんな若々しい笑顔を俺に見せないで欲しい。そういやこの顔、亀梨と藤原を黙らせた時のそれだな。


「いいよ。明日の話だよね。」


俺は簡単に返事をして笑顔を返した。

まぁ、あくまで小学生の一女子生徒に恋愛感情は浮かばない。俺はサッカーを女にすると決めているからな。なんだそれ。


「うん。じゃあ帰ろっか。」


玄関で靴を履き替え、校門をくぐり抜ける。隣を歩く陽射は相変わらず男子生徒達の視線を集めており、俺はその男子生徒達から反感を集めてしまっていた。


「仁界君。」


何か話したそうに時折こちらに視線を向けてくる陽射。しかし、この時俺は帰宅時のトレーニングが出来ない埋め合わせをどこでしようかをひたすら考えていた。


「あぁ悪い。明日の話だったな。いつもより30分ほど早く登校しようと思ってるけど…」


そうじゃなくて…

と、陽射が少し眉を吊り上げてこちらに体ごと向き直る。


「え、どうした…?」


しかし、続いた陽射の言葉の意味はやはりわからなかった。


「やっぱり…。なんで…なんで仁界君だけ…。」


なぜか悔しそうにそう呟いて陽射はすぐに進行方向に向き直る。


「どうしたんだよ…。」


俺は訳もわからず独り言を呟く。

まぁ前世でこの頃は俺自身も小学生だったし、周りなんて見えてなかったけどこんな風に情緒が不安定になっている友達もいたのかもしれない。それは男を虜にする美少女…陽射とて同じこと。


「ごめん。なんでもない。」


「え、おう。」


それから、俺と陽射の間には長い沈黙が流れた。ただ優しく吹き付ける春の風が、邪魔でしかない胸につけた名札をパタパタとはためかせ、妙にくすぐったくなりそれを外した。


「ありがとね。」


「え?」


唐突に告げられた感謝。その理由に心当たりはない。


「パイナップル!」


陽射そう言って、右手で輪っかを作った。そして誰しもを虜にするような眩しい笑顔でこちらを向く。

やっぱりまじまじ見ると綺麗な顔をしている。なんて…年甲斐もなくそんな事を考えていると、


「え、何か言ってよ。」


恥ずかしそうにそっぽを向く陽射。よくよく考えると、俺はいわゆる「ガン見」という行為を同級生の女子生徒に対して行っていた。

しかし、学校だと割と大人っぽい雰囲気の陽射でも実際は小学生なんだなと、深く実感する。返す言葉を探っていると、陽射の方から言葉を投げかけてきた。


「仁界君は、どうしてそんなに大人っぽいの。」


投げかけられたのは質問。

しかも絶妙に答えにくい。たしかに、俺は小学生としてワイワイがやがや騒ぐような行為をしていない。もちろん友達を作って騒ぐのも楽しいと知っているが、何よりストイックにトーレニングを行っているためである。だから大人っぽいというよりは…子供っぽくない?の方が自分的には近いと思う。またもその返答に迷っていると、陽射が言葉を続けた。


「私、自分は大人だって思ってた。周りの子供みたいな男子達を見て、自分だけはあんな子達と違ってもっと周りを見ているって思ってた。」


そんな語り口調で静かに話す時点で、たしかに君はもう十分大人なのかもしれない。


「だって猪山君とか…そうでしょう?私が笑っただけで顔を真っ赤にして。好きなのバレバレだよ。」


ほーう。そこまで知っててこの対応。まぁ低学年の頃からよく告白はされていたみたいだし、慣れているのだろう。ご愁傷様です猪山。大人しくカモン行ってな。


「亀梨君も、藤原君も、私が好きでちょっかいかけてくるんだよね?先生が言ってたもん。」


自信満々にそう言って頷く。頭にかぶった黄色い帽子が外れて風に飛ばされる。俺はその帽子を片手で受け止めて陽射に手渡した。


「あ、ありがとう。」


言われて自分が何をしたのか理解した。


そうか。俺の反射神経を鍛えるトーレニングは無駄じゃなかったってことか。


なんて頭の中で考えながら、うんうんと何度か頷きを繰り返す。


「それで?」


早く続きを聞かせてほしい。亀梨と藤原撃沈劇で俺はご飯4杯は食べられる。


「…うん。…だから、それを知ってるから…私はみんなが…クラスの男の子達が子供に見える。」


それを子供の君が言うのか。

こんな事を小学生の時に既に考えていた陽射は、たしかに成績も良かった気がする。覚えてはいないけど。


「でも、5年生で初めて同じクラスになったある男の子が、私をすごくモヤモヤさせる。」


そう言ってこちらを凝視してくる陽射。その目はいわゆるジト目というやつで、何かが気に入らないという風に俺に視線を送り続けた。

なんだよ。ガン見返しか?それともただのガン飛ばしか?


「誰かわかる?」


突然ふっと笑ってそう質問をし返してくる陽射。その顔はただ純粋に友達との会話を楽しんでいる子供の顔だった。いつもどこかつまらなさそうに周りと会話をしている陽射が見せる顔とは違って。


「俺…だな。」


国語はできる方だ。文脈から判断するに、俺と答える以外の逃げ道はなかった。


「そういうところ。他の男子と違うんだ。いつも冷静で、どこか遠くを見てる。」


筋トレでキツくて顔が引き攣ってて、遠視のトレーニングをしてただけだけどな。


「私、大人だからわかるの。同じ大人な仁界君の事。」


蠱惑的に笑う陽射のその顔は、たしかにどうにも子供には見えなかった。


「だから多分、私達いい友達になれるよね。」


そう言って差し出された右手を、俺は優しく握り返した。この人生で初めて握りしめた女の子の手は、どうにもこうにも柔らかく、忘れられない感触を手に焼き付けられる。


「そうかもな。」


小さく呟いた俺の目を見て、陽射はニヤリと笑った。


「ねぇ、仁界君は女の子と手繋いだことある?」


「…?ないけど?」


一瞬意図のわからない質問にどう返せばいいかわからず戸惑ってしまう。握られた陽射と俺の手から視線を外し、陽射の顔を見る。瞬間、春の風が陽射の茶色い髪をふわっと揺らす。


「じゃあ…これからずっと、私が仁界君の『初めて手を握った女の子』ってことだね!」


そう言って笑った陽射の顔は、まるで桜の季節に吹き、美しい花びらを舞い踊らせる風のように優しく心地よく…俺の心も踊らせてくれた。


悔しいが…可愛いな。


不覚にもそう思ってしまった自分がいた。だから俺も精一杯、出来るだけ優しく穏やかに笑って、大人なりの返事をする。


「それは…とても素敵な事だね。」


そしてしばらくの沈黙が2人の間に流れた。一瞬時が止まってしまったかのようにそのシーンだけが切り抜かれたかのように、俺と陽射はその場で立ち尽くす。


「じゃ、じゃあ、私はこれで…っ!」


沈黙を打ち破ったのは、顔を真っ赤にした陽射だった。握った手をブゥンっと離すと、一目散に曲がり角を曲がっていく。俺はその後ろ姿を見て、揺れる赤いランドセルを見て、転けないか心配になる。


「でも、良かった。」


俺は夕暮れ色に染まる空を眺めて呟いた。


「僕の小学生生活も、これでボッチじゃなくなりそうだ。」


ーーその後、俺はいつもより多めに下校トレーニングを行った。

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