3 二回目の人生
「巡、朝よ起きな〜って…もういないし。」
母が俺の部屋のドアをノックし開ける頃、俺はすでに町内をランニングしていた。朝は澄んだ空気で気持ちがいい。体を動かすにはもってこいの時間だ。
『小学5年生』になった俺は、相変わらず毎日の日課である早朝トレーニングを続けていた。
メニューは1時間で終わるように調整してある。
まずはランニング20分。
そしてダッシュを10本、距離を伸ばしたダッシュを10本。その後10分8割の力で町内を走る。最後の10分間ランニングを再び行い、ランニングメニューは終わり。
その後はラダートレーニング、ドリブルトレーニング、そしてリフティング練習が待っている。俺の朝はそんな細かな日課で成り立っているのだ。
こんな生活を送っていれば、あの時の俺はきっとものすごい選手になっていただろう。そんな想像をしながら、“車に轢かれた過去“を思い出す。
俺はあの時、間違いなく車に撥ねられて命を落とした。監督として…日本代表をワールドカップへ導くというあの精神は、今も変わらずこの胸の奥に眠っている。
そしてあの後、途切れた俺の意識はどういうわけか過去に遡った。生まれた家も、子供の頃の出来事も全てそのまま。俺は記憶を持ったまま赤子として人生2度目のスタートを切ったのだ。
この人生の俺は、前とは違う。
生まれたその日、自分が過去に戻ったということを知ってからすぐにサッカーに関わっていた。0歳のその瞬間からサッカーに対する情熱を持っていたのだ。
これはサッカー選手になるために最も重要な要素であり、1番得難い感覚でもあった。
それでは、小学5年生…現在に至るまで俺の人生を簡単に振り返っていこう。
初めてサッカーボールに触れたのは0歳の頃。喋ることのできない俺は、テレビに映るサッカーボールを指差して必死にアピールをした。その甲斐あってか、白黒のボールを3日後に獲得することに成功。さすがは俺の両親である。
相変わらず、サッカー観戦は続けた。放送時間が合う試合は、海外国内関わらず満遍なく確認をした。どこに自分が得るべき知識が眠っているかわからないからだ。
幼稚園時代。
この時すでにサッカークラブに加入するという選択肢があった。しかし、俺はクラブには加入しなかった。理由は2つ。
1つは一般的な幼稚園児としてのトレーニングからはすでに学ぶことが少なかったということ。幼稚園児が通うサッカースクールを巡ったところ、大抵のメニューは同じだった。
まず始まるのはボールに触れることから。足を使わずに身の回りで転がしてみたり、投げてキャッチを繰り返す。ボールという体以外の物質を知るところから始めるのだ。もちろん、慣れてきたら1対1であったりジグザグのドリブル練習なんかもするが、それは家でもできる。ドリブル練習は1人でも可能だし、対人メニューは2つ下の妹を利用する。サッカーに必要な技術を学びたい時に適切に学ぶことができる。これが理由の1つ。
もう1つは、両親に適切な幼児教育をしてもらうためだ。あまりに自立した子供だと奇妙に思われるし、習い事など育成方針は様々考えてくれているだろう。それを無視して自分勝手に習い事をするのはどうなのだろうと考えていた。
実際俺は、3歳から英会話。4歳から習字。そして5歳からは水泳を習い始めた。2000年代初頭、これらは人気な習い事だった。
これら2つの理由から、俺は幼稚園…そして小学3年生になるまでサッカークラブには所属しなかった。それまでは一般的な子供として…親に愛され生きていくことも大切だと前世…というか前回の人生で学んだためである。
そして小学3年生。
俺はサッカークラブに所属。この時すでに、サッカー選手の基本となる技術、トラップ、パス、ドリブルはほぼ完璧に習得していた。足元の技術も卓越しており、リフティングに関しては約4時間続けられることができた。しかも、ミスをしたわけではなく時間に追われて自ら終了しただけである。
それほどの技術を持つ俺がどうしてクラブに所属してサッカーを学ぶ必要があったのか。俺がこのクラブで求めていたのはただ1つ…試合形式のミニゲームができるからである。いくら妹と対人戦ができたとしても、試合形式…11対11(小学校は8対8)のゲームをするのはクラブに入るほかない。
このクラブで俺のサッカー選手としての基盤はほぼ出来上がる。あとはこれを保ったまま成長する。その過程でさらにスピード、技術、そしてその応用を学んでいく必要がある。
そして俺の当面の目標…それは『全国高校サッカー選手権大会』で優勝することである。
その舞台は毎年冬…全国の高校サッカー部の日本一を決めるために行われる。この大会で活躍し、プロにスカウトされる選手もおり、ある種プロへの登竜門という認識もできる。
俺は前世、中学までしかサッカーをしていなかったため出場はしていないが、監督になって何度か試合を見にいったことはある。そしてそこには、ワールドカップにも勝るとも劣らない輝かしい舞台があった。
3年間という限られた時間の中で、選手…そして監督はその絆を深め、仲間と助け合い協力し合いながら一戦に臨む。プロに上がる選手もいれば、もちろんこの大会で終わりの選手もいる。高校生は皆、この大会に全てをかけて臨んでいる。
そしてこの大会もワールドカップと同じ。何が起こるかわからない。3代で確実に全選手が入れ替わるため、圧倒的な強豪を作るのは非常に難しく、逆に初出場のチームがダークホースとしてありえない奮闘を見せることもある。主体は3年生だが、1年生からチームの中心となって活躍する怪物がいたり、圧倒的連携からチーム一丸となって勝利を掴むチームもいる。そしてもちろん、日本代表…特に世代ごとの代表に選出されている選手が出場していることも良くある。
若い歳からプロとして経験を積むことも考えたが、正月に炬燵の中で毎年見ていたあの感動が俺は忘れられなかった。輝く舞台は決して一つではない。
そして現在小学5年生。
今日は俺の1日を紹介しようと思う。
起床は4時。早起きは三文の徳である。
まずはランニング。先程説明したメニューをこなす。そしてラダートレーニング。瞬発力、ドリブルをするための筋肉の使い方を学ぶために重要なトレーニングだ。その後は実際にボールを持ってドリブル練習を行う。毎日続けることが大切である。
それらのトレーニングを終え、シャワーも浴びた頃には5時半。家族7人分の食事の用意をする。母さんが作ることも婆ちゃんが作ることもあるが、基本俺が作る。食事は体を作る基礎の基礎。栄養学を徹底的に学び、健康、そして成長のための最適なメニューを作り出した。
7時頃、家族の皆がリビングに現れる。
「おはよう巡。相変わらず早いな。」
父さんがあくびをしながらリビングに現れた。特に説明する必要もないそこら辺のおじさんという認識で俺は親父を見ている。しかしこう見えても、自動車や自動車などの乗り物いじりとランニングが趣味であり、投資も行なっているなんだかすごい人である。自動車学校の先生として日中は家族のために働いてくれている。
「おはよう父さん。ご飯できてるよ。」
「サンキュー。」
俺が作ったご飯を机に並べるのを手伝ってくれる。
「おはよう2人とも。」
そんな折、母がリビングに現れる。2つ下の妹、そして7つ下の弟も一緒だ。
「いつもありがとね巡〜。」
「はーい。仕事もあるだろうし、さっと食べてね。」
そして少し遅れて爺ちゃんと婆ちゃんがリビングに現れる。
「今日も畑行ってくるわ。」
「あんたは動きすぎなんだよ。もっと家で静かにしてなさい。」
毎日そんな言い合いをしながらリビングに現れるのだが、実際仲が悪いわけではないので俺や他の家族はその様子を安心してみている。
「それじゃあ、いただきます。」
皆で合掌し、ご飯を食べる。
ここまでが俺の朝。そしてご飯中、ニュース番組の占いを確認する。今日、俺の正座である『蟹座』は4位。まずまずといったところか。ラッキーアイテムは白いハンカチ。後で用意して家を出よう。
「それじゃあ行ってきます。」
「はいいってらっしゃい。」
すでに父と母は仕事、弟は幼稚園へと家を出た。家に残っている爺ちゃん、婆ちゃんに見送られ、俺と妹は家を出た。
さて、次は俺の昼間…学校での生活についてみていこう。俺が住んでいるのは山々に富んだ『富山県』。その中でも坂の町と呼ばれている『九頭町』である。学校までの道のりも坂だらけ。俺の家から学校までは約2km。その道のりを40分かけて歩いていく。子供に歩かせるには遠い。そして何より坂が多いというのがいただけない。
どうして日本人が外国人に比べて身長が低いのか。その理由はこの地形にあると言われている。日本という国自体、とても坂が多くその上り下りに適した短い足に成長していくと言われている。ただでさえ起伏の激しい日本で、さらに『坂の町』と呼ばれる土地に住んでいる。この環境は俺の成長に小さくない影響を及ぼしかねなかった。
だから俺はいい登校ルートを探すため、いろいろな道を探索した。ちなみに妹は近所の友達と仲良く登校しているので心配する必要はない。
1年生の2学期、俺はついに理想的な登校ルートを発見した。その道を通っていけば、平坦な道と階段のみを使って学校までたどり着ける。さらに階段ダッシュをすることによってトレーニングにもなる。
俺は1年生のその頃から毎日、あえて重たい荷物をランドセルに詰め込み、汗だくになりながら階段ダッシュを繰り返すその登校ルートで学校に通い続けた。
そしてもちろん今日もそのルート。
俺は傾斜の大きい階段をひたすら走る。学校は坂の町の頂にある。そこを目指してひた走る。
「あぁ〜…しんど…!」
膝に手をつき、肩で息をする。
学校に着く頃、俺の体は汗だくになっている。もちろん家が遠いため、そうなるのは仕方がない。だが俺は着替えを常に用意している。学校のトイレで着替え、準備完了だ。
「おう仁界…!今日もつまらなさそうな顔してんな!」
教室に入るなり、声をかけられる。体のでかいこいつはクラスの番長『猪山』。クラスの男子からは恐れられ、誰もこいつに逆らおうとはしない。親もPTA会長でなんていうか色々強い。
「お前もな。」
いくら番長だといえども、子供相手に俺が恐る事はない。物おじせずに返事をする。しかし、そんな行動が生意気だと思われたのか、最近目をつけられ始めた。
「なんだあいつ、馬鹿かよ!」
後ろからそうぼやく声が聞こえてくるが俺は振り向かず自分の席に座る。子供らしくクラスに溶け込む意思もあったが、それは小学5年生までと決めていた。あとは空気になってストイックに自分の人生を生きていく。
「ちょっと『猪山』!仁界君の悪口言わない!」
クラスの構図として、男子は猪山に頭が上がらない。だが女子に対しては別だ。皆が恐れる猪山に真っ向からその言葉をぶつけるクラスの委員長『羽川』。典型的な真面目な優等生だ。
「別に言ってねぇよ…!うるせぇな委員長!」
さしもの猪山も、羽川にはあまり強く言い返せない。その理由は単純…猪山の目線の先に答えがあった。
「おはよう『春風』ちゃん!昨日の『台風にしやがれ』見た…!?」
「うん。かっこよかったよね。」
複数の女子に囲まれ、男性アイドルグループの会話に花を咲かせる女子生徒。その中心にいるのが、『陽射 春風』である。小学生で人気になる女子生徒はどんな生徒か…一重に可愛い生徒だ。陽射は俺も以前の人生で記憶している。たしか大人になってからは女優になっていたと思う。
そしてそんな陽射に熱烈な視線を送るのが猪山だ。まぁ好きなのだろう。仕方がないさ。こいつだけでなく、俺と同学年の生徒はみな一度陽射を通ると言われている。ソースは無い。
「陽射さんおはよう!本当男子達って子供じゃ無い!?」
そんな言葉を口にしながら、自らも陽射の元へ駆け寄る羽川。
そう。うちのクラスの女子は横のつながりがとてつもなく強い。圧倒的カリスマ性を持つ陽射を筆頭に、仲間意識の強い女子軍団が出来上がっているのだ。だから猪山も羽川には強く出られない。
「私は…全員が全員そうとは思わないけどね。」
素晴らしい回答だ。どちらにも敵を作らない。それでいて肯定も否定もしていない。今思うと、この時からすでに女優の片鱗はあったのかもしれないな。
さて、どうして俺がこんな風にクラスの構図を研究しているかというと…まぁ特に理由はないのだが、単純に友達がいない。元々の人生でもそこまで友人との付き合いが得意な方ではなかった。その上今回は、俺だけが記憶を持ってしまっている。なんとも残念な状況である。
「はいみんなおはよう〜。」
そんなクラスの一幕を経て、先生が教室に入ってくる。今日も一日、1人ぼっちで静かに生きていくとしよう。