20 僕の結論
緑チームと青チームの試合は、両者譲ることなく0-0のまま終了。俺が横目で確認した感じだと、次に戦う青チームの核はあの7番だ。鋭いドリブルとステップは脅威になるだろう。そして何より『パス』がうまい。
「君、僕らのチームの最後の1人だよね?」
試合を見ていた俺に、同じ色のビブスをきた選手が話しかけてきた。その隣には葛西が腕を組んで立っていた。
「何遅刻してやがんだ。」
そっぽを向いて呟く葛西。俺は「すみません。」と謝罪をした。
「まぁまぁ…ゲームには間に合ったわけだし、そんなに怒んないであげようよ葛西。」
葛西の知り合いなのだろうか。富山県トレセンにはいなかったと思うが…。
「あ、俺森下ね。石川トレセン。よろしく〜。」
俺の疑問を払拭するように、森下は自己紹介をしてくれた。俺はそれに対して頭を下げる。
「富山県トレセンの『仁界』です。よろしくお願いします。」
「なんで敬語?5年生だよね?」
俺の自己紹介を聞いて森下からそんな言葉が帰ってきた。
「…葛西さんにタメ口だったので、6年生だと思った。よろしく森下。」
「あぁ…うん。」
「仁界。言っとくが、歳上に敬語使うのこのトレセンじゃお前くらいだぞ。」
俺はその言葉を聞いて考える。たしかに、小学生心では、まだ上下関係など明確に存在しなかったように思う。ある意味不自然だったかもしれない。
「まぁ別に直さなくていいぞ。気分は悪くないからな。」
そう言って笑う葛西。俺も今更タメ口で話すのはすこし抵抗があったためちょうどよかった。
「仁界さ、うまいんでしょ!田畑から色々聞いてるんだよ!」
また余計なこと言ったのか…。また夏波にボールぶつけられるぞ。
「北信越まできてるし、下手とは言わないよ。でも、それほどみんなと変わらない。」
「何が変わらないだ。あんなプレイしといて。」
チッと舌打ちをする葛西。森下は俺に興味津々のようで、不自然なほどに顔を近づけてくる。
「まぁそれも、次の試合見ればわかるよね!ちなみに青チームの注目選手はね…」
「7番。」
俺の言葉にすこし驚いたのか、森下は黙ってこちらに視線を向ける。
「そう!見てたんだね試合!」
スッと急に魂が入ったかのように饒舌に戻る森下。楽しそうに青チームの選手について語り始めた。
「…だから4番の裏を狙うのが無難なんじゃないかな〜?っていうのが、今の僕らで共有してる戦略だよ。」
驚いた。まさかここまで深くサッカーを分析していたとは。選手一人一人の情報をこの1試合のみで大量に拾ってきている。もちろん元から知っている選手もいただろうが、それにしても観察眼が良過ぎる。
「ま、青チームはぶっ続けで疲れてると思うし、僕らも連続だから出来るだけ温存したいね。」
「そうだな。」
俺は森下の意見に対して頷く。的を良すぎていて怖いくらいだ。渡辺コーチからの指示だと言われても信じるほど。
「それじゃあ行こうか。」
森下が先頭を切り、赤チームがコートに入る。青チームは皆ストレッチをしたりジャンプをしたりして、体の熱を失わないようアップをしていた。
「夏波。今日は悪かったな。家まできてくれたんだろ?」
緑チームとのすれ違いざま、いつもの見知った顔にそう声をかけた。しかし、夏波は「うん。」と小さく呟くのみで俺の元から立ち去ってしまう。
「…なんだ…?」
俺は1人怪訝な表情でその後ろ姿を目で追った。視界が夏波に奪われている時、後ろからバシンと背中を叩かれる。
「…仁界ぃ…。」
「うわ、ゾンビ…じゃなかった、田畑さん。どうしたんですかその顔。」
「さっきボールをぶつけられたんだ。死にかけた。マジで夏波怖え。あ、夏波にぶつけられたわけじゃないんだけどな。」
どうやらまた先輩に迷惑をかけてしまったらしい。
「なんか今日、あいつ機嫌悪くないですか?」
俺は先ほどのことを踏まえて田畑に訪ねた。もしかすると俺のいない間に何かあったのかもしれない。
「いやいやいや…100お前のせいだから。」
「え?」
俺は、訳もわからない罪に問われた事を疑問に思う。いったい俺が何をしただろうか。
「ま、気づかんタイプだよお前は。いつか背中から刺されんなよ〜。」
物騒な事を言ってその場を去っていく田畑。俺は思う。あんたの方こそ、いつか顔面にボールを当てられすぎてポックリいってしまうんじゃないか…なんて。
「芝の感じは富山と変わらないか。」
俺は足でトントンと地面を叩き、しゃがんで芝を確認する。長さも太さも同じくらいだ。きちんと手入れされていることがわかる。
「よし!みんな気合い入れていこう!」
森下がチームメンバーを鼓舞する。5年生ながら赤チームのリーダー的存在に既になっている。
「「おう!」」
みんなの返事が聞こえてからまもなく、試合のホイッスルが鳴り響いた。
ーー
青チームと赤チームの試合が始まった。僕はボールを持ちながらその試合を眺めていた。
「巡…。」
結局先ほどの試合は、最後まで気持ちの切り替えができず、自分なりのプレイができなかったように思う。あの時のように、もっと自由で、何にも縛られてなくて、ただゴールだけを見て走っていた自分を…きっと僕は手放しかけている。
「何ため息ついてんだよ…。」
「田畑。」
同じチームでちょうど休憩が重なっていた田畑が、僕の隣に腰を下ろした。先程は申し訳ない事をした。生きててよかったと思う。
「小岩井はさ…今なんか悩んでんの?」
「え?」
突然の質問に、ドキりと胸が疼く。
「いや、別に何も。」
僕は何事もなかったかのように、試合に視線を戻した。ちょうど巡がボールを持って、1人かわしていた。
「何もって…自分でわかってんだろ?今の小岩井、いつもの感じとなんか違う。」
「いつもの感じってなんだよ。」
僕の質問返しに、目を瞑って語るように答える田畑。
「なんてかさ…。もっと自由で、無邪気で?…お前はいつも試合中、笑ってたよな。」
その言葉を聞いてはっとした。僕は先ほどの試合、一度でも笑っていたか?サッカーを本気で楽しんでいたか?僕にそれができていたか…?
答えは全てNOである。
「だからさ、悩んでんだろうなって思ってさ。ま、正確に言えば迷ってる…みたいな?」
まさしくその通り。図星をつかれた僕は、なんだか悔しくなって、田畑の方に視線を向けることができなかった。
「自分のプレイに…そしてまた別のことにもさ。」
「邪魔か?」
僕はそう尋ねた。
「迷いに迷って、曖昧なプレイをして、まるで役に立っていない…そんな僕が邪魔か…?」
僕は悔しくて、両手を力強く握る。今まで自由にサッカーをしてきて、こんなことは初めてだ。自分の力の無さを痛感する…いや、自分の心の弱さを痛感している。サッカーを難しいと思っている。
「それ、言っていいの。」
田畑は初めから、僕の悩みになんて興味はない。ただ自分のチームの戦力として、僕が働いていないから。だからそのことに対してメスを入れにきただけである。
「そうだね。今の小岩井は、はっきり言って邪魔だ。」
グサリとその言葉が心に刺さる。簡単に、本当に簡単に…大好きだったサッカーに背を向けたくなる。僕の心はこんなにも脆かったんだ。
「でもね小岩井。俺は知ってるんだ。コートを自由に駆け回り、自分だけを見ろってアピールするみたいに楽しそうにプレイするお前をさ。だから信用してるわけ。こんなことで潰れるタマじゃないってさ。」
僕はただ黙ってその言葉に耳を傾ける。
「迷って迷って…そんでまた迷って…俺は常に迷って今の俺になってる。迷いに対して一度たりとも背を向けたことはないし、曖昧な選択をしたことはない。サッカーをしたい…。そんな目的を常に見据えて、自分がどうすれば、どんなプレイヤーになればいいか…それだけを考えてきた。だから理想の自分なんて捨てて、サッカーで使える選手を目指して生きてきたんだ。ただ、サッカーがしたかったから。」
それは田畑の悲しい過去だった。昔言っていた。本当はゴールを量産できるカッコいいFWになりたかったと。華麗なパスを出して勝利を演出する美しいMFになりたかったと…。でも田畑は、それらをどちらも捨てて、今日、日本小学生で最高峰のDFとしてプレイしている。
「じゃあ…僕も、大好きな今のまでの自分を捨てないといけないのかな…。」
自分が、大好きだった…大好きだったことすら気づかないくらいに没頭していた…そんな自由なプレイスタイル。僕はそれを捨てて新しい自分を選ばないといけないのかな。
「捨てる必要なんてないさ。」
「え?」
田畑は笑ってこちらを見ている。
「これはあくまで俺の話だ。才能がなくて、それでもサッカーで日本代表になりたいって夢を叶えたくて、今ここにいる俺のね。」
僕は涙がこぼれそうになっていた目を擦る。
「小岩井は違う。全部欲しいなら、全部手に入れればいい。」
「全部…?」
「そうだ。自由にプレイする自分が好きなら、それは捨てるな。周りを見て堅実にパスを繋ぐ…考えるサッカーをする自分も強くなるには必要だから捨てるな。俺と違って、小岩井は才能がある。どっちかを捨てるなんて勿体無い。」
僕の心の中の雲が次第に晴れていく。
「両方伸ばしていけばいい。どちらのプレイスタイルでも笑える自分になればいい。っていうか小岩井の性格なら、俺が言わなくても無理矢理両方手繰り寄せただろ。」
そう言って笑う田畑。僕の心は、そんな彼の言葉に、悔しながら救われてしまった。
僕はすこし心を落ち着けて、田畑の方に向き直る。
「サッカーをするために、いろんなものを捨てた田畑だから、きっと僕の悩みを聞いてくれたのも、チームに支障が出るほどに僕が仕事をできていなかったからだと思う。」
「えぇ〜…そこまで言う?まぁ実際そこが大きいんだけどね。あと、大事な後輩のためってね。」
そう言って僕に視線を向ける田畑。でもそれはどこか遠くを…いや、今試合をしているコートを見ているようだった。
「でもありがとう。ちょっとスッキリした。」
僕は正直に、そして素直に感謝を伝えた。
「おぉ。結論は?」
僕はニッと笑って応える。
「出さなくていいんでしょ?」
どうするかなんて決めなくていい。結局どっちも捨てないし、どちらの自分ともこれから長い付き合いになる。自由に、それでもたまに堅実に、そして何よりサッカーを楽しんで。なんだそれ、今までと何も変わらないじゃないか。なんで僕は悩んでたんだ。
「生意気な後輩が増えたなこりゃ。」
僕の笑みに応えるように笑う田畑。キャプテンとして、改めて田畑の偉大さを知った。
「あ、あとさ、全部手繰り寄せるならさ、ちゃんとあいつのことも手繰り寄せろよ…?」
そう言って、コートの中の巡を指差す田畑。こういう余計なところがなかったらカッコいい先輩で終われたのになー。
「あいつを狙ってるライバルは多いし、それに手強いぞ〜なんて…ぶふぁぁっ!?」
カッコつけて目を瞑った田畑に、コート内から勢いのいいボールが飛んできた。そしてやはり田畑の顔面にクリーヒット。標的は気絶したようにピクピクと痙攣して動かない。
「おい田畑!大丈夫か!?」
「2回目?なんでボールが田畑の方飛んでくんだろ?」
「もう良くね?多分大丈夫だろ。」
「ま、死んではないか。いこうぜお前ら。」
扱いが次第に雑になっていく田畑を見て、僕は「ざまぁみろ。」と舌を出した。そんな田畑に背を向けて、コートの中で汗を拭う1人の少年に視線を送った。
「言われなくても、そうしますよ。田畑先輩。」
完璧に晴れた僕の心の中の雲。欲しいものは全部手に入れる。やりたいことは全部やって、楽しいサッカーは全部楽しむ。そんな僕を…いつか…