119 「月まで三キロ」
こんにちは。
今回はこちらの本のご紹介です。
〇「月まで三キロ」
伊与原 新・著 / 新潮社(2021)
伊与原新氏の小説は、すでに「宙わたる今日知る」「八月の銀の雪」をご紹介しましたね。こちらはそれらよりもさらに前の作品となります。2021年というのは文庫の初版発行年なので、単行本の発行「八月の~」よりは前ということになると思われるためです。
「宙わたる~」から、学校図書館内にあったものを見つけると借りてみているのですが、同じようにお勧めしてみると借りていってくれる子がいます。中学生ぐらいの人が主人公になっているお話ばかりではないですが、比較的中学生に勧めやすい本ではないかと思います。
「月まで三キロ」もほかの作品と同様、短編小説集となっています。
こちらに入っているのは六話と特別掌編がひとつ。全体で七つのお話で構成されています。
「八月の~」でもご紹介した通りなのですが、伊与原氏の理系の素養が物語の中にうまく生かされ、人間ドラマのなかにちゃんと溶け込んでいて読みやすいです。こちらの「月まで三キロ」文庫版には、最後に逢坂剛氏との対談が掲載されているのですが、そちらで逢坂氏が言っている通りです。科学的な内容を説明的になりすぎずにうまく物語の中に溶け込ませる手法が、伊与原作品の魅力のひとつ。そして、人間ドラマもすっと心に入ってくるような素直な筆致です。
作品タイトルにもなっている「月まで三キロ」の主人公は、人生に疲れ、ぼんやりとそれを終わらせようという願いのもとにタクシーに乗った男と、そのタクシー運転手の会話で話が進みます。
男が「富士山。鳴沢村」とタクシー運転手に言うのですが、そこは自殺の名所。タクシー運転手は何かを察している様子ですが、特に言及はせずなぜか「いいところにつれて行ってあげる」と言います。
そこで月の話に。
タクシー運転手はなぜか月のことに詳しく、地球から月までの距離や、歴史的に少しずつ月が地球から離れていっていることなどを話します。
そこで出てくる「月まで三キロ」というフレーズ。
まさか本当に地球から月までが三千メートルということはないので、主人公は不思議に思い、タクシー運転手に案内されるままについていくと……。
ちょっとしたミステリー調の物語でもあり、人の人生の一部を切り取りながらうまく短編にまとまっていて秀逸でした。
ほかにも、使い込んだ一眼レフを手にして家出をし、ひとり山に登る主婦の女性が主人公の「山を刻む」。専業主婦が自分の人生を家族に「刻まれてきた」と感じている……というのがなかなかリアル。
さらに、小学生の女の子とふたり暮らしをしながら男が営む食堂に、いつもやってくる不思議な女性との交流を描いた「エイリアンの食堂」もとてもよかったです。
いずれも心のなかにふっと生まれてくる人間の不安や葛藤などが短い中に科学的な内容を溶け込ませながらもするりと入ってくる素直な作品群です。
短編集なので、本が苦手な子でも手に取りやすいかもしれません。ということで、学校図書館にもお勧め。
それでは、今回はこのあたりで。