117 「アウシュヴィッツの図書係」
こんにちは。
今回はこちらの本のご紹介です。
かなり前から多くの学校図書館には置かれていた本だと思うのですが、私自身はなかなか読む機会がなく……この夏休み、ぜひとも読みたいと思いまして、ようやく手に取ることができました。
なかなか読めなかった理由のひとつとしては、まず結構なページ数があること。二つめは、タイトルからして「アウシュヴィッツ」なわけですから、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺のことを取り上げた本なのは確実で……どうしても暗い気持ちの時には読みにくい内容だろうなと思われたこと、が挙げられるかと思います。
とは申しましても、こちらもまた今年改訂された東京書籍の中学国語の教科書で紹介されているもので、司書としてはできれば読んでおきたい本だったのですよね。
〇「アウシュヴィッツの図書係」
アントニオ・G・イトゥルベ・著 / 小原京子・訳 / 集英社(2016)
まず、著者のアントニオ・G・イトゥルベ氏はジャーナリストであり、この小説の内容は登場人物の名前こそ少し変えてはあるものの、基本的には取材に基づく事実を再構成した内容である、というのは重要な特徴でしょう。
あの悪名高きユダヤ人虐殺の舞台となったアウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所。そこの三十一号棟では、特にユダヤ人の子どもたちが集められ、昼間のあいだ「顧問」として任命された囚人たちに世話をされていたそうです。
その中では子どもたちのための「学校」が開かれており、先生になった囚人たちが子どもたちに文字を教えたり、ダンスやお話をして楽しんだりしながらつらい収容所生活から少しでも子どもたちを守ろうとしていました。
そのリーダー的存在の先生が、ドイツ出身のユダヤ人青年、フレディ・ヒルシュでした。彼の信念と勇気、そしてカリスマによって、苦しい中でも人々も子どもたちもなんとか希望を忘れずに日々を暮らしていたようです。
本来、収容所の中に本の持ち込みは許されておらず、もしも見つかれば恐ろしい罰──ガス室での死刑──が待っているであろうと思われる中で、囚人たちはわずかな本をこっそりと隠して守っています。そこにあるたった8冊の本でしたが、囚人たちはそれを「図書館」と呼び、それを守る人を「図書係」と呼んでいました。
図書係は、大事に隠されているそれらの本を先生たちの求めに応じてこっそりと取り出し、SSの目を盗んで先生に渡し、使い終わればまたもとの隠し場所に戻す……という、命がけの仕事をする人だったわけです。
この物語では、その図書係に志願した十四歳のエディタ・アドレロヴァ(ディタ)が一応の主人公ということになると思いますが、この少女ばかりでなく、全体としては様々な登場人物の視点による群像劇になっています。
収容されたユダヤ人の人々だけでなく、ナチス・ドイツのSS(ナチス親衛隊)の青年の視点で描かれる部分もあります。
SSによる冷酷な管理、懲罰、拷問や処刑の苛烈さは筆舌に尽くしがたいものがあり、全体にずっと緊張感が続きます。ディタの大切な人々が呆気なく死んでいく描写もあちこちに出てきます。ナチスは本当に心から、ユダヤの人々を人間だとは思っていなかったのだなということが、背筋が寒くなる思いをしつつも実感として迫ってくる描写が多いです。
ただ、そういう兵士ばかりでもなかったという描写があることが、まことに「人間」を描いている部分でもありましょうか。
作者イトゥルベ氏がこのアウシュヴィッツの図書係という人の存在について興味を覚えたとき、幸運にもディタのモデルとなった人物、ディタ・クラウスはまだ生きておられ、交流を持ったことがあとがきにも書かれています。
だからこそ、この物語には力強い真実の響きが籠められているのでしょう。
主人公が中学生ぐらいの少女であること、その少女がアウシュヴィッツに送られて体験した恐るべきことの数々。でも、少女の心はそれに決して負けようとせず、本を読むことによって心を守り、生き抜いた……これらすべてが、現代を生きる中高生たちにとっても読むに値する内容ではないかと思いました。
ディタが9歳のときに始まった戦争と迫害が、どのような形で少しずつ彼女や彼女の家族に忍び寄ってきたのか──という描写もとても興味深いです。このあたりの生々しさは、なかなか他では類を見ないものとなっていると思います。実体験によるものだからこそでしょう。現在の日本の状況と引き比べてみても、私自身も深く考えさせられる部分が多いです。
なかなか重い内容ですので、中学生に勧めるにはひと工夫が必要かとは思うのですが、是非多くの学校図書館にあってほしいですし、多くの若い人たちに読んでほしいと思う一冊でした。
それでは、今回はこのあたりで。