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三章 再会
セピア色の写真を見つめながら、ディクソンは顎髭をさすり目を細めていた。写っているのは自分と、一組の若い男女。見る者に向けられたコスモスのようなさわやかな笑顔が、かすかな感傷を促す。
「そろそろかの……」
失われた時は戻りはしない。かと言って過去を捨ててしまえるほどにディクソンは若くはなかった。
「デクソンのおっちゃん、何がそろそろなんだ?」
ディクソンは答えの代わりに彼自身も問で返した。
「トルマリン、1つ頼まれてはくれんかね?」
濃密の瞳に疑問符を浮かべ、トルマリンはディクソンの言葉の続きを待った。
「中央広場にある郵便局へ行き、私書箱の中身を受け取ってきてほしいのだ」
写真を机の上に置き、首にかけていた小さな革袋から小指ほどの大きさの鍵を取り出すディクソン。157という数字が彫り込まれている以外には細工の全く施されていない実用的なそれをもう1度袋にしまい込み、彼はそれをトルマリンの首にかけた。
「番号は157じゃ。白い紙袋に包まれておる。よいか?」
「――わかった。大事な物なんだな」
初老の男はそんなトルマリンににっこりと笑いかけ、黒猫の頭を2、3度撫でてやった。
「じゃ、俺行ってくる」
意気込むトルマリン。すぐに駆け出して行った後ろ姿を見て、ディクソンは涙をこぼしそうになった。十数年前、共について行かなかったばかりに、自分はまだこんな所で燻っていなければならない。
「まあ、わしの役回りも捨てたもんじゃなかったがの」
ゴチャゴチャとした様々な発明品に目をやってから、ディクソンはもう1度写真の上に視線を落とした。そして部屋の中に充満している機械油の独特な匂いを胸一杯に吸い込み、そこで息を止めてからゆっくりゆっくりと肺の中身を慎重に吐き出した。
チリリィィィィィン
目尻に滲んだ水分を指でぬぐい取っていた時、1階部分にある店の扉に仕掛けてある呼び鈴が客の訪れを知らせた。
「やれ、無粋な客じゃ」
古ぼけた写真を積み重ねてあった本と本の間に挟み込み、ディクソンは客を迎えるために壁にかけてあった紺色のエプロンを身にまとった。
レンガを埋め込むことで平らに整備された道を、青年はオールターガゼルの手綱を引きながら中央広場に向かって歩いていた。通りには様々な様式の服を着た男や女が、何かしらの用事のためにそれぞれ忙しそうに東へ西へと歩いている。旅の服装に身を包んだその青年も、言ってみればそのうちの1人であった。だが、背に担いだ黒光りする筒状の砲は、それらの人々と彼の境目をきっちりと分断していた。
「ご主人様、今回私はつくづく呆れました」
溜め息さえ聞こえてきそうな呟きに、青年オリゴクレースはキョトンとした顔で「何故だ?」と聞き返した。
「……普通、初対面で砲なんかぶっかましません!いくら面倒な事がお嫌いと言えども、仕事を円滑に運ぶには、それなりに相手と意志の疎通を図るべきだっていつも注意してるじゃないですかっ。それをあんな、しかも相手は女の子なんですよ!」
焦げ茶色の瞳を燃え上がらせて、アウインはそれだけまくし立てるとブルルゥと鼻を鳴らした。
「あの子は父親もいなくて、母親にも6年間も会ってないのに……かわいそうだと思わないんですか。昨日だって――」
「盗み聞きか。良い趣味でいらっしゃることだ」
言ってしまった後、オリゴクレースはピクリと頬の筋肉が引きつるのを感じた。
「……盗み聞き?盗み聞きって一体何の事ですか。はっ……もしかして私が寝た後、ラピスさんにまた余計なことを言ったんですか!」
アウインは立ち止まってオリゴクレースの顔を覗き込んだ。青年はできるだけ平静な顔を保ったが、勘のいいガゼルは敏感に真実を嗅ぎわけた。
「言ったんですね?……まったく、いつまでたっても子供なんですから。そんなことだからお嫁さんが来ないんですよ!」
アウインのズケズケと核心をついてくる物言いを、オリゴクレースはうんざりした面持ちで聞き流していた。そして、一通りの説教が済むまで何か面白い物はないかと辺りを見回し……見知った顔を見つけた。
「おい、アウイン。あの子の連れは確か黒猫だったよな?」
説教を中断されて、少し不満そうにアウインはそれを肯定した。
「あそこにいるのは?」
オリゴクレースとアウインは実のところ道に迷っていた。様々なオルソニプターの舞うこのジェントル・ブリーズの街で、たった1機のそれを見つけることは容易でない。ただうろうろしていても仕方がないので、「中央広場に集まっている公共施設の役所の地図から工具店を割り出した方が効率がいい」とどちらともなく提案し、2人はここまで来たのだった。
「トルマリン君でしたっけ」
郵便局の扉を開けられずに四苦八苦している黒猫の後ろ姿は哀れなくらいに滑稽だった。オリゴクレースは後ろから扉を開けてやることにした。
「ほらよ」
「あ、どーも。おっちゃん、親切だな」
猫は笑いながら『親切なおっちゃん』を見上げた。
「『おっちゃん』って年かなぁ、俺」
オリゴクレースは瞬時逃げ出そうとした猫の首根っこを捕まえ、自分の顔の前まで持ち上げた。
「離せっ」
トルマリンは散々もがいたが、如何せん猫の腕力はたかが知れていた。
「何故逃げようとする?」
カチャリ、と背中に背負った砲をわざとトルマリンの目につきやすい位置に持ってくる。猫は尻尾を膨らしながらも、髭を突っ張らせて答えた。
「だってあんたラピスの敵じゃないか」
「主人のためなら己の危険は顧みない、というわけか」
オリゴクレースは感心したように呟いたが、トルマリンはその言葉に大いに反感を持った。
「主人なんかじゃない。ラピスは俺の1番の友達だ!」
毛を逆立てる猫の様子に、青年の後ろにいたアウインは焦げ茶色の瞳を見開いた。
「俺は、俺はデボーテのおっちゃんと約束したんだ。ラピスを、守るって」
トルマリンの大音声に人垣ができつつあった。オリゴクレースはそれに気づくと、人目につかないように一旦そこから場所を移すことにした。
「ロサーリーブス、お前に新たな仕事がある。もちろん、断りはしまいな?」
紙と紙を擦り合わせるような掠れた声の主の前で、1人の女性が膝を折り、頭を低く垂れていた。職業柄のため、その薄茶の細い髪は恐ろしく短い。頭髪と同じくらいに色素の薄い瞳を軽く伏せた彼女ロサーリーブスは、下を向いたまま心の乱れが目の前の者達に知れぬよう、細心の注意を払って肯定する言葉を述べた。
「よろしい。お前はそのために拾われたのだからな」
先程の声とは別の声が付け加えて言った。ロサーリーブスの心に枷を付けるように。
「貴女について、妙な噂が流れています。それを信じるよりも私は今までの貴女の仕事の成果を重視しますが……不用意な行動は控えるように」
女性的なアクセントを持つ、もう1つの声が言った。
「仕事の内容を伝えよう」
「6、7年ほど前から追ってもらっている者の身内と思しき存在が判明した。名はディクソン=C=ジャスパー。湖の西方に位置するジェントル・ブリーズの街の片隅に住んでいる」
ロサーリーブスは咄嗟に顔を上げようとしたのを踏みとどまった。ディクソン=C=ジャスパー。その名前が出ることを、今付き合いのある中で最も親しい女性は1番恐れていた。
「情報筋は『万能の書』の在かを探らせていた者達からのもの。ロサーリーブス、貴女は昔のように何も考えずに任務をこなしなさい」
突き放すようなその言葉の後のしばらくの沈黙は針の筵のように感じられた。
「お前の仕事はその男が持っていると思われる『万能の書』の奪還だ」
最初の声が告げた内容に、ロサーリーブスは初めて顔を上げた。緑に苔むした、圧倒的に太い木の幹が、上に下にと枝葉を伸ばしている。建築物はこの天井のない部屋を中心にセバスの都を形作っているのだ。樹齢千年に達するかと思われる3本の巨木。それこそがジェーダイトを統べる3人の長老達の真実の姿だった。
「必要あらば邪魔者は消せ。過去の失敗は繰り返すな」
左端にあった楠の幹のコブが口を開く。よく見ればそこには退化し始めた目と鼻と口が申し訳程度に付着しているのがわかる。
「お前の行いは正しい。ゆめゆめ甘言に惑わされる事なきよう」
右端の栃の木も口を開いた。
「真実はいつも目に見えるものではありません。分かったのであれば下がりなさい」
最後に中央の杉の木が口を開いた。その瞳は他の2つの巨木に比べるとまだ若々しかった。深いところで光を発しているような翡翠の瞳は、ロサーリーブスの心の裏まですべて見通してしまいそうで、腋下に汗がにじんでくるのを彼女は感じた。
「あの時のような失敗は2度とは繰り返しません。再びの任務、速やかに実行致します」
ロサーリーブスはそう言って立ち上がると、一礼してクルリと踵を返した。背後から3つの大きな者達の視線を痛いほど受け、彼女は崩れ落ちそうになる全身を必死の思いで支えた。
しかし、女が去った後、栃の木が言った。
「グロッシュラー、お前は甘すぎる」
声は厳しく、非難に満ちていた。
「あの女は最早使えまい。あの態度を見ていれば分かる」
楠も言う。
「裏切り者には相応の罰を」
仲間に促されたが杉の大木はしばらくの間無言だった。が、
「分かりました。多数決により、彼女のオートマティック・コントロール化を行いましょう」
采配はロサーリーブスの努力も空しく、いともあっさりと下されたのだった。
髭をピンと張り、全身を緊張させた黒猫の前に、2人の男が対峙していた。年格好はまるきり違う。しかし、2人はどこかしら共通した空気を纏っていた。
「何だ、戻ってきおったのか」
最初に口を開いたのは口元に髭を蓄えた方の男だった。相変わらず山積みされたままの紙に埋もれながら、彼は目を片方だけ大きく開き、相手の返答を待った。
「老けたな、親父」
久しぶりに再開した息子の開口一言目の言葉に、顔に皺を刻んだ年配の男は頬を引きつらせた。
「おかげさまでの。悪名の高いお前がわしの息子だと他人に知られたらと思うと白髪が増える一方じゃ」
壮年の男、ディクソンは家出同然に出て行った息子を下から上へと眺めた。最早背は自分のそれをはるかに越えている。嬉しくもあり、寂しくもあるような感情が彼の胸を満たした。
「お前、ラピスを追って来たんじゃろ?」
「……まあな」
フイ、と他所を向くオリゴクレース。その様子を見て、ディクソンはからかうように笑った。
「ラピスはお前のことを忘れとる。間抜けな男じゃな」
「放っとけよ。そんなことより、彼女は?」
「口止めされての――と言いたいところじゃが、教えんわけにはいかんだろう。あの娘だけではちと荷が重すぎる」
「荷ってなんだ?」
トルマリンは緊迫した空気が和んだのを感じて、率直な疑問を彼等に告げた。
「トルマリン、お前も此奴について行きなさい……荷とは運命のことじゃよ」
ディクソンの口にした答えが黒猫には分からなかった。けれどトルマリンは力強く頷いた。ラピスと一緒にいること。それは、彼の中で一番比重を占めていることだったので。
「運命なんてものを信じているから人生つまらなくなる。親父、自分がここにいるってことは自分で決めたことだろ?」
「生意気を言いおって」
自分の元を離れた時、オリゴクレースは15になったばかりだった。体だけでなく、精神面でも少年は青年へと成長していた。
「ところで、それは何だ?」
オリゴクレースはトルマリンの持つ白い封筒を指さして言った。
「あるものの片割れさね。ありがとうよ、トルマリン。じゃが、悪いがそれはラピスに会ったら彼女に渡してくれんかの?」
「うん。わかった」
猫は頷こうとして首を硬直させた。夜鷹のような速さで、トルマリンの首筋をダーツの矢がかすめる。
「ウニャッ」
矢の飛んで来た方に素早く向き直る黒猫。全身の毛を逆立て目にした相手は、身の丈が2m程もある女だった。
「お前は……」
オリゴクレースも黒猫がそうしたように肩を怒らせた。階段に現れた女には見覚えがあった。長老達の隠密の1人だ。
「ディクソン=C=ジャスパーはお前か?」
簡易鎧を着た女は事務的に聴いた。
「わしじゃ。何のようかの?」
ディクソンは極力冷静であろうと努めた。
「万能の書はどこにある」
単刀直入な物言いは酷く機械的だった。呼吸はしていようが、女には屍のように生気がなかった。
「折角来てもらっておいて失礼だが、10年振の親子の再会なんだ。お引き取り願いたい」
オリゴクレースは椅子代わりにしていた本から立ち上がると、険しい顔をして言った。
「貴様は……オリゴクレースか。貴様とて主に仕える者だろう。邪魔をするな」
「するね。こいつは俺の親父だ。万能の書を親父が持ってるなら俺が長老達に届けてやる。だから手を出すな」
厳しい口調に、女は少しの間考えた。
「よかろう。ただし、約束を破れば次は容赦せん」
女はそう言うと、現れたときと同じように唐突に姿を消した。
「親父、それは万能の書だな?」
オリゴクレースの言葉は確認のためのものだった。
「そうじゃ。だが、これだけでは全く意味をなさぬ」
ディクソンは黒猫から封筒を受け取ると、その中に入っているものを取り出した。
「ただの本じゃないか」
「うむ。歴史が綴られた何の変哲もない古書じゃ。じゃが……ここを見なさい」
ディクソンは本の最後のページを捲った。
「この本はまさしく鍵。人が空で生きるか地上で生きるかのな」
最後のページにはこうあった。
『この書を島の管理を行っている中央コンピューターに掲げよ。されば方舟は地上へと接舷を始めるであろう』
2人と1匹は無言でその文字を見つめ続けた。
静まり返った部屋の中で、戸棚に飾られた枯れた花だけが、音もなく向きを変えた。
「まったく……どうして私がこんな目に遭わなきゃなんないのよ!」
赤い屋根のログハウス裏の崖に、そんな叫び声と共に1基の薄いブルーの羽根を持つオルソニプターが帰来した。
「えっと、オリ、オリ……とにかくあのオリリ何とかって奴、今度会ったらただじゃ済まないっ」
翼の勢いを殺し、完全に地に足をつけると、少女は高く結い上げた栗色の髪を振り乱しながらゴーグルを首のところまで乱暴に引き下げ、オルソニプターの機体を裏口の柵に一時的に固定した。
「あんな大砲打ってくれちゃったせいで、パイプは外れるはバネの調子はおかしくなるは……もう最低」
口中で毒づきながらラピスは玄関の方へと急いだ。もちろん歩幅はいつもの1.5倍以上ある。先程彼女自身が口にした理由で、家に帰るまでに費やした日数は、これまでにないほど長くかかってしまっていた。
「どうしていつもこうなのかなぁ?行動を起こすたびに邪魔がはいる」
独り言が多いのを自覚しつつもラピスにはそれが押さえられなかった。
「そうなのよ。急いでるときほど、邪魔が多くて嫌になるのよね」
ブツブツと呟きつつ、ラピスは玄関のところに回り込んだ。そして……玄関にある階段のところにいたモノを認識すると、とっさにそれを指さして叫んだ。
「あ、あんたはっ!」
「あ、ラピスさん。今お帰りですか?お久しぶりですね」
丁寧な言葉遣いで話しかけてきた相手をラピスは信じられない面持ちで凝視した。背に焦げ茶色の数条の模様を持つオールターガゼル。オリゴクレースの乗り物であった。
「どうしてあんたがここに?……ってことはあいつもっ!」
ラピスは止まりかけた足を再度玄関の方に向けた。1段飛ばしで階段を駆け上がり、木製のドアを手前に引く。鍵は開いていた。
「ラピスさんっ」
後ろからアウインが声をかけたが、ラピスはそれを聞かずにリビングの方へ進んでいった。
「……」
家の中は出掛けた時と大して変わりなかった。ただ、その中にある空気だけは違った。1週間放置された時のシンと床に沈殿した透明な静けさはそこにはなく、雑然とした雰囲気が家の中を支配していたのだ。
「……あいつっ」
ラピスは胸がむかつくのを感じた。自分の大切にしている場所に、文字通り土足で踏み込んできた相手に対しての怒りは半端ではなかった。
「よお、遅かったな」
自分の部屋の扉を開けた時、それを待ち構えていたかのように男の声がした。低い、耳に心地よい声だ。半開きの扉は青年の顔を隠していたが、それがあの青年の声であることは間違えようもなかった。
「ラピスぅ、ごめん。こいつはその……」
オリゴクレースはラピスのベッドの縁に腰掛けていた。その足元のところに黒猫トルマリンが黄色い瞳をつやつやと光らせて、懇願するようにラピスを見つめていた。
「トルマリン、あんた……」
ラピスは苛立ちが体の中から溶け出して行くのを感じた。体一杯に膨らんだ怒りは、猫の瞳を見た瞬間から言いようのない他の感情に取って代わられていた。
「……どうしてあんたまでここにいるの?」
聞きたいことは3つあった。何故猫がここにいるのか。何故オリゴクレースと共にいるのか。何故ディクソンは約束を破ったのか
「ま、いろいろあってな。こちらにも聞きたいことがある。何故嘘をついた?」
オリゴクレースはラピスの問をうまくはぐらかすと、それまで浮かべていた軽い感じのする笑みを消した。金の瞳が鋭角的に光る。
「俺は商売品には傷1つ付けないようにしている。だから商品の運び方は相手を見て判断する。相手が反抗的であれば縄でふん縛るし、睡眠薬だって盛る。ラピス、君には意志の同意を求めただけだ。何故だと思う?」
オリゴクレースはラピスの瞳をじっと見つめた。少女はその視線の強さにたじろぎ、フローリングの床の上に視線を移した。
「……それはそっちの都合だわ」
オリゴクレースはその言葉を聞いて眼の端だけで笑い、不精髭の生え始めた形のいい顎を撫でた。
「そうだな。確かにそうだ。だが、俺のナイーブな心はいたく傷ついた」
青年はそう言って立ち上がると、ラピスのすぐ前まで歩いた。
「マイナスを消すにはどうすればいいと思う?お嬢さん」
突然の問いかけに、ラピスは何を話しかけられたのか理解できなかった。間髪をいれず、青年はその答えを自ら口にした。
「プラスで補えばいい」
言いつつラピスの腰に腕を回すオリゴクレース。そのまま彼女を軽く抱き上げると、彼は少女の唇に自分のそれを重ねた。
「な、な、な、何すんだ!」
その行為にまず驚いたのは茫然自失の体のラピスよりもトルマリンの方だった。
「マイナスを補うだけのプラスをいただいただけさ」
臆面もなくそう言い切ると、頭の中が真っ白になっているらしいラピスをベッドに座らせて、オリゴクレースはテーブルの上に置きっ放しになっていた茶色の小包に手をかけた。「オカリナに封筒が1つか。中の便箋の一枚目は手紙、もう1枚は――なるほどね」
オリゴクレースは手早く中身を確認し、白紙の便箋をラピスが前にそうしたようにして調べた。それから、防水マッチの箱を懐から取り出し、その小さな炎で紙の表面をあぶり始めた。
「な、何してるのよ。燃やすつもり!?」
オリゴクレースが擦ったマッチの火薬の臭いで正気に戻ったラピスは、青年のやり始めたことを眼にしてそれを中止させようと彼の腕をつかんだ。
「そうだぞ。おまえ、勝手にそんなことすんな!」
トルマリンもラピスを援護するように青年の足をかみついた。が、
「……え?」
紙に浮かび上がってきた図柄が目に入り、ラピスは突っ掛かるのをやめた。そんな少女の様子に、黒猫の動きも止まる。
「これはセバス中枢を記した地図だ。……そうか、これが中央を統べるモノの在りかか」
オリゴクレースの納得したような声を聞いて、ラピスは青年の顔を見上げた。
「?」
一瞬のデジャヴュ。同じことをいつかやったことがあったかのような、奇妙な感覚。けれど、それが何故引き起こされるのか、ラピスには全く思い出せなかった。
「何だ、俺の顔に何か書いてあるか?」
「言ってほしい?」
突き放すように言い、ラピスは窓の外に目をやった。視界一杯に続くなだらかな丘陵地帯。ここからこの景色を見るのはひょっとしたらこれが最後かもしれない、という予感が少女の脳裏にチラリとよぎった。