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四章 首都セバス
セバスの都に入るための水上トレインは随時運行されている。千年前の知恵を応用した簡素なもので、引かれたレールの上と機体の間に磁力を通して磁界の方向に沿った動きをする乗り物だ。そのため、風車で作られる電気の一部はここに供給されていた。
石製アーチの数々が美しいジェントル・ブリーズの駅には、セバスへ発つ人、それを見送る人、セバスから街に訪れた人、駅員など様々な人々が年格好をした人間達が集まっていた。ただし、ここ1カ月は常のこの場所とは多少様相が違う。構内には特別配備の兵士の姿がちらほらと見られ、連結されている2両のトレインの4つの出入り口にはそれぞれ1人ずつ検問官の姿があった。もっとも、オリゴクレースを端とするアレスター(賞金稼ぎ)等は職業柄、自分用の手形の他に、捕らえた人間と共にセバスに入るための免許を持っていた。
「良し。さっさと通れ」
検問官の男はオリゴクレースの顔を見るなりそう吐き捨てた。その男は目の前に立った青年が自分が逆立ちしようが到底かなわない相手だということを知っていた。
「ご苦労さん」
オリゴクレースは鼻歌を歌うようにして車内に乗り込んだ。大型トロッコに屋根をつけた、玩具のようなリリュート製のトレインには、検閲のためにあまり乗客はいないようである。
慣れていることなのか、青年の相棒であるところのアウインも特に表情を変えず、中型から大型の動物、又はそれぐらいの大きさの荷を積むための2両目の車両に乗るべく後方へ移動した。
「ラピスさん、オルソニプターは私が見ていますので心配ありませんよ」
他人の手によって翼が2両目に運ばれて行くのを不安げに見ていたラピスに、アウインが気を利かせてそう言った。
「ありがと」
「ラピスぅ、俺も2両目に行く。アウイン1人じゃかわいそうだ」
足元に絡み付くように体をこすりつけ、黒猫は目を細めた。ラピスは腰を折って猫の頭をなでてやり「わかった」と答えた。
「上天秤(午前10時)の刻、セバス行きが発車いたします。ご利用されるお客様はお急ぎください」
流れてきたアナウンスにラピスは従った。
「これに乗るのは初めてか?」
オリゴクレースは乗客の少ない車内の1番出入り口に近い座席に腰掛け、羽織っていたマントを脱いだ。火薬の残り香がちらりとラピスの鼻孔をなでた。
「母さんは自分達がやろうとしていることを教えてくれなかった。だからもちろんセバスへは1度も行ったことがないし、これに乗るのも初めてよ」
カララァァァァン
発車の合図の鐘が鳴り響き、機動音無く列車が動き始める。
窓から吹き込んで来る風にラピスは目を細めた。トレインはすぐに湖の上に達した。水上に浮かび、走って行くトレイン。水平に流れて行く変わり映えのない景色は、しかしラピスにとっては新鮮なものだった。
「飽きないか?」
外を眺める少女に、オリゴクレースは素直な問を発した。
「空を飛んでいるときは視点がコロコロ変わるの。真上から見ていたと思ったらもう見上げている感じ。ずっと何かを吸い込むような音が耳の側で聞こえて、風が光の斜線を描いているのが見える。でも、飛んでいるときは案外冷静に物事を判断できるわ」
ラピスは言葉が足りないような気がして、さらに付け加えた。
「今はもっと体の中が空白な感じがする。これは速いけど、ずっと遠くの方はゆっくりと見ることができるから」
「なるほど、確かにな。俺もアウインの背に乗っているとき感じるのはあいつが土を蹴る振動、その体温や鼻息、一瞬一瞬の景色だけだ」
ラピスは頷き、続けた。
「でも、そういうものって失いたくないものだと思わない?」
ラピスは湖の青よりも一層深い碧をたたえた瞳でオリゴクレースを覗き込んだ。
「そうだな」
オリゴクレースは予感した。それが何の予感かは分からない。静かな湖面に水滴を1つ落とされたような――けれど、それは体の隅々まで波紋を描いた。
「失いたくないのよ、何も」
呟いた少女の小さな肩は小刻みに揺れていた。オリゴクレースはそれに気づくと小さく溜め息を吐いた。顔を上げ、気丈に肩を張って生きてきたのであろう少女を、抱き寄せたい衝動に駆られた。
「失うときにそれにしがみつかなければいいんだ。失ったモノを後生大事にするから、人は不幸になる。君の母親のようにな」
「母さんは不幸なんかじゃないわ、きっと」
景色から青年に視線を移し、ラピスはそう口にした。不思議と心は凪いでいた。
「客観的に人の幸せなんて測れないもの」
再び窓の外に視線を移したラピスの姿にモルチェの面影が重なる。オリゴクレースは開きかけた口を閉じた。幼かった苗は、既に支え棒を必要としないくらいに成長していたのだ。
青年は少女の風になびく髪を見つめた。柔らかそうな栗色の髪は、日の光に透けて明るい色に染まっている。
「変わらないな」
俺のことは忘れてしまっているようだが――
声には出さずに呟いた言葉を、オリゴクレースは硝子の花を抱き締めるように胸に秘めた。
部屋は静まり返っていた。いや、音はあった。枝の成長する、古い樹幹を裂く音。部屋に汲み上げられている水の揺れる、気泡の弾ける音。天窓から吹き込んでくる穏やかな風が枝葉を擦り抜ける音――
「もう、時間なのね」
人のいないその空間に、独り言がこだます。その声音は諦観にあふれていた。
「私はいつまでもつかしら」
楠も栃の木も無言だった。返る答えを期待していた訳ではなかったが、杉は落胆に胸が痛むのをこらえられなかった。
「7000年以上生きるという縄文杉……ニホンという国だったかしら。それを見たのは」
記憶は限りなく曖昧だった。杉にはそれが怖かった。
「サーペンティン、クリソコーラ。私、少し気弱になっているわね」
千年の時を経、植物体と哺乳類としての能力を共に受け継いだ彼女等には、それだけの負荷がかかっていた。
しかし、それもまた計算された事態の1つ――人の脳は心臓よりも圧倒的に長寿だが、千年を過ごすには短命すぎる。例え植物として何千年生きられるとしても、人間としての意識を保ち続けることは不可能だった。
「駄目よ。私は最後の責任者、グロッシュラー……時が来るまでこの方舟は落とすわけにはいかないもの」
自らを鼓舞するように、杉はそれまで綴じていた目を開いた。日光が矢となって瞳を射たが、眩しくはないのか目を細めることはしなかった。
「そのための犠牲は厭わないわ」
翡翠の瞳には決意の閃きがあった。
ロサーリーブスがモルチェを連れてセバスに都入りを果たしたことは、3人の長老達が養っていた孤児(成人の後は隠密として働かされる)の間に砂地に落とした水のように広がった。彼等はロサーリーブスを褒めたたえ、尊敬し、あるいは嫉妬し、羨望した。彼等にとってみれば3人の長は親にも等しく、長達に絶対服従することは最大の孝行とされ、主人に認められることが彼等にとっての最大の幸福だったからである。
「……裏切られることは、何故こんなに辛いのかしらね」
モルチェはゆっくりと天井を仰いだ。随分の間使われていなかったのか、クモの巣は既に埃を被り、幾本のツララになって垂れ下がっている。採光のための窓は神のいる場所と等しい所にあるようだった。
「ロサーリーブス、貴女は変わったわ」
それとも……とモルチェは服の裾を強く握り締めた。
「変えられてしまったの?あの動物達のように――私のせいで」
風化した埃の臭いが、モルチェの体に浸透してゆく。蓄積された虚無感は、彼女の存在意義を容易く破壊した。
「間違いだったの?……ねえ、教えて。貴方、デボーテ……私は間違っていたの?教えて……貴方……」
年を取ることのないデボーテの面影が脳裏にフィードバックする。モルチェは声を押し殺して泣いた。もう1度声が聞きたかった。もう1度笑いかけてほしかった。……もう1度触れたかった。顔に、髪に、肌に、手に、唇に――
「夢見たものは失われる……私にはもう何もない……こんな結果を望んでいたわけじゃないのに……」
嗚咽はそれ以上の言を許さなかった。助けの来ることのない地下牢で、女はただ無力感に打ちひしがれていた。
首都セバスの街は3重構造になっている。1番上になる層は2階に、中間層は1階部分、最下層は地下1階に相当する。街全体が中央に向かって窪んでいるという地理上、棚のように街を3段に分け、居住区を仕切る方が街としても都合が良かったからである。
「さあ、着いたぞ」
水上トレインから降りながらオリゴクレースは切り出した。
「あそこにある緑の塊が何か分かるか?」
言って指さすオリゴクレース。ラピスは素直に青年の指し示した方に視線を馳せた。
「……木?って、まさかあれが――」
だとしたら相当大きなものであることは間違いなかった。建物の天井部位から枝があふれ出し、それでもまだ太陽の方へ手を伸ばそうとしている。うねるような生命力が、遠目からも感じられた。
「そうだ、あれが長老達だ。君はあれらと対峙することになるだろう。それでも行くか?」
「当然よ。私にも聞きたいことがあるもの」
即答したラピスをオリゴクレースは見つめた。少女は何だか居心地が悪くなって、フイッとよそを向いた。
「そう言うと思った。仕方ない。危なくなったら俺が助けてやるよ」
「あんたには関係ないでしょう?仕事はどうするのよ」
心の底では嬉しかったのだが、如何せん、それを素直に受け入れるには少女はまだ幼かった。
「俺は自分のやりたいことをやるだけさ。仕事などいくらでも見つけられる。俺を利用しろよ」
視線がかちあう。今度はラピスも視線を外すことができなかった。息を潜めたまま、相手をみつめる。
「ラピスッ、ラピスゥゥ。これ、いいなっ。オルソニプターやめて、これにしないか?」
そんな2人にはお構いなく、トルマリンはすっかりはしゃいだ様子で2両目から降りてきた。後ろから折り畳んだオルソニプターを背に乗せたアウインが姿を現す。
「却下」
少し焦った様子で少女はパッと猫の方を向いた。それから一言の元にトルマリンの提案を否定し、ラピスはアウインの方へ近寄った。
「ありがとう。後は私が運ぶから」
金属の骨組みをすぐに使えるように組立て、皺ができないように布を張り直すと、ラピスはそれを肩に背負った。細かく分解する必要があるとき以外は、極力ポールは外さないようにしている。習慣になると、ポールを接合しているキャップの凹凸が摩耗し、抜け易くなってしまうからだ。
「で、あそこへはどうやって?」
ラピスが問う。オリゴクレースは再び顔を隠すようにしてマントを羽織ると、鉄の筒を背負い直した。
「今何時だ?」
懐から父の形見を取り出すと、ラピスは懐中時計の貝のような蓋開けた。
「下山羊(午後1時)の17分くらい。それがどうかしたの?」
「あと約40分か……まだ時間があるな。ま、そうせかさず飯でも食おう」
オリゴクレースはそう言ってトルマリンを抱き上げると、アウインの上に猫をチョコンと乗せた。
「お前はここな」
朗らかに笑う精悍な青年。ラピスはその様子に言い知れない懐かしさを感じて、顎から首筋にかけてのラインをじっと見つめた。太陽光に縁取られて、髪も瞳も産毛さえも金に輝いているオリゴクレース。
――オリゴクレースの別名、知ってるか?サンストーン。太陽の石って意味があるんだぜ――
記憶の断片が甦る。けれど、それは流れ星のように一瞬だけラピスの脳裏をよぎっただけで、すぐに情動の海の中へ沈んでいった。
「どうした、行くぞ?」
先を歩き始めていた青年が振り返る。ラピスは今目覚めたように瞼を瞬かせると「わかってる」と答えながら彼等の元に駆け寄った。
――太陽っていいと思わないか?強くて暖かくって。な、ラピス――
少女の無意識下で少年が悪戯っぽく笑った。けれど、ラピスにはその声の主の顔までは思い出せなかった。




