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冬の終わる日(5)

 鏡が砕けるようにして東京の上空が割れた。


 キリエスとロプターの激突は、やはり次元の壁を刺激していたようだ。考えてもみれば、普段はキリエスでもエナジーの損耗なくして次元の移動などできない。先程ロプターが異次元に潜行して難を逃れることができたのも、世界の境界が揺らいでいたからなのかもしれない。


 天の裂け目からは地獄のように赤い空が覗き、そこから夕暮れ色の侵食元素が吹き込んできている。


 あの向こうが、汚染によって滅びたというロプターの故郷に違いない。


「――行くか」


 和泉はバイフレスターを握りしめた。


 街へと視線をやれば、運河を隔てた先で火の手があがっているのが見える。ときおり轟音と震動が伝わってきて、ロプターがSSSCと交戦しているのだと察せられた。


「皆、俺もすぐに行く……!」


 短剣を模した形状の神具、バイフレスター。手に馴染んで久しい、陶器とも金属ともつかない不思議な感触を確かめる。


 空に目を戻す。


 赤い異次元の彼方から、地上に向かって垂れ下がるように、蛇の頭が突き出してくるのが見えた。


 頭だけでも途方もない巨大さだ。


 あれがロプターの言う、次元を呑み込む大蛇なのだろう。その実体は侵食元素(レキウム)の集合体。寒原村を焼き払ったゲルミルや奥多摩で戦ったナイズルと同質の、しかし彼らよりも遥かに強大な、世界の終焉を告げる怪物に違いない。


 ――あいつを、討つ。


 意志を研ぎ澄ます。その意志こそが最も強い武器なのだと、和泉は固く静かに意識する。


 ロプターとの戦いから時間が経過していないせいだろう、消耗したキリエスのエナジーは未だ全快まで戻っていない。バイフレスターから感じる力は弱く、いつもであれば変身自体が難しいところだ。


 しかし、和泉には戦えるという確信がある。


「見ていてくれ、ナエ。これが俺の――和泉眞の最後の戦いだ」


 どうしてナエが三分という活動時間を厳しく課してこようとしたのか、その理由が今ならばわかる。


 ティマリウスとの決戦で限界を超えて力を行使したときから、自分は常人ではなくなっていたのだと思う。自分の魂がキリエスと分かてなくなりつつあることを、和泉は体感で理解している。


 あのときと同じことを、もう一度やればいい。


「俺の魂を捧げるぞ!」


 バイフレスターを、天に掲げた。


「キリエス――――――――――ッ!!」


 どこまでも清澄な光が溢れる。


 虹の橋を駆け上がって、己という存在が高みに至るのを知覚した。これも最後になるのだと和泉は思う。自分がキリエスと分離して人の身に戻ることは、きっともうない。


 ――さようなら、和泉眞。


 開眼。


 燃える天王洲へと一直線に、キリエスが飛翔する。



     ◇ ◇ ◇



 山吹の鋭い舌打ちがレーベンのコクピットに響いた。


 空の裂け目から吹き出してきた侵食元素を突っ切った瞬間、ジェットエンジンの推力が急激に落ちたのだ。ECOの装備は制服から戦闘機に至るまで防護が行き届いているはずだが、今回はその処理限界を突き破るほどに侵食元素の濃度が高いということか。


 ホルダーに挿したECOPADに目をやると、侵食係数は計測可能値を振り切っていた。つまり、控えめに見ても一万ノルダル以上というわけだ。寒気がする。


 そのとき、アラートが鳴り響いた。


「ちぃッ! こんなときに……!」


 下方から魔人の光球が迫る。


 いかに山吹の技量が優れていようとも、機体が言うことを聞かないのではどうしようもない。ふらふらと飛ぶレーベンはひとたまりもなく被弾し、コクピットが激震に揺さぶられた。


「桐島、無事か!?」


「大丈夫だが……このままでは――」


 ガンナー席に座る唯が何を言いたいのか、もちろん山吹にはわかっている。


 身の毛もよだつような濃度のレキウムが外を満たしているのだ。こんな状況で脱出レバーを引こうものなら、瞬く間に汚染にやられてお陀仏だろう。


 かといって、機体がこの状態では無事に不時着できるかも怪しい。そもそも下はビル街で、レーベンが着陸できる広い場所などないのだ。


 ――くそ、粘ったのが仇か。


 空が割れるより前に撃墜されたレーベン二号機は海中に没し、脱出した藤代と佐倉ほのかは地上からバズーカや銃で援護してくれている。だがこうなってしまっては、彼らと同じことは自分たちにはできない。


 ――悪い、沙耶佳(さやか)


 ――おまえが目ぇ覚ますとき、俺は側にいられないかもしれねえ。


 山吹は、奥歯を噛みながら操縦桿を握る腕に力を込めた。


 そのとき、視界の隅から蒼い光が飛び込んできた。


「キリエス!?」


 次の瞬間には、レーベンの機体は銀色の両手に包まれていた。


 キリエスがゆっくりと高度を下げてゆく。


 巨人の足が地面についたのだろう、柔らかい衝撃がコクピットに伝わってきた。キリエスはそのまま一言も発さず、レーベンをそっとビルの合間に下ろす。


 透明なキャノピー越しに、キリエスが頷きかけてくるのが見えた。


「――和泉、」


 あの野郎の目だ、と山吹は思う。


 ずっといけ好かなかった、若いくせに何かの覚悟を決めたかのようなあの眼差し――。


 後席で物音がした。


 唯がシートから腰を浮かせた音だった。


「あいつ、戻らないつもりだ……」


 そんな唯の呟きに、山吹は何も返すことができない。


 黙して見送るべきだと直感が告げていた。


 あれはそういう類の、覚悟を決めた男の眼光に違いなかった。




 レーベン一号機を救ったキリエスがロプターめがけて躍りかかるのを、藤代と佐倉ほのかは崩落した高架線の瓦礫の陰から見つめていた。


 バズーカは撃ち尽くした。ECOガンの残弾も既にない。レーベンが二機とも墜ちた今、SSSCとしてできる援護は何もないと言わざるを得ない。


 しかし藤代には、キリエスがもう火力による援護を必要としていないように見えた。


「イズミン、すごい……」


 佐倉ほのかが思わずといった具合にこぼした一言に、藤代は心の中で完全に同意する。


 キリエスがロプターを圧倒している。


 ロプターが傷を負っているのも要因の一つではあるのかもしれない。だがそんなこと以上に、キリエスの全身に漲る桁違いの気勢がロプターに反撃を許さない。


 裂帛の気合。


 キリエスが、ロプターを天に向かって蹴り上げた。打撃の瞬間に蒼い光が炸裂し、三万トンをゆうに超えるロプターの巨体を空の裂け目へと吹き飛ばしてゆく。


 そしてキリエスは、ロプターを追うように舞い上がった。


 一切の迷いがない、力強い離陸だった。


「和泉……」


 藤代は、我知らず敬礼の姿勢をとっていた。


 理解してしまったのだ。


 キリエスは――和泉はもう、二度と振り返りはすまい。




 踵から生えた光の翼をはためかせ、キリエスはロプターへと肉薄した。


 鈍色の魔人は息も絶え絶えの状態だ。もとより侵食元素に汚染された体に、キリエスの猛襲を受けたのだ。耐えられる力など残っていようはずもない。


 それでも、ロプターはふてぶてしく笑った。


「無駄なことさ。僕に命への執着などない」


 魔人の胸の結晶体には今も、紫色の光が息づいている。


「肉体が滅びを迎えたときこそ、僕の望みは果たされる。僕の魂はレキウムと融合し、終末の蛇と一つになって、運命という概念として、あらゆる世界に永遠に君臨するのさ!」


 ――そんなことはさせない。


 真理を見抜くキリエスの瞳には、すでにロプターの野望を砕く手立てが見えている。


 ――返してもらうぞ。


 ――その光は、俺とナエの切り札だ!


 キリエスは右腕を振りかぶり、蒼い光を纏わせた手刀をまっすぐにロプターめがけて突き入れた。


 笑みを広げかけたロプターの表情が、凍る。


 キリエスの手は、ロプターの結晶体を正確に打ち抜いていた。


 光の欠片を掴み取り、腕を引き抜く。


「が、はっ……」


 ロプターが宙でよろめいた。


 キリエスは取り返した光を自らの胸に納める。欠落していた力が万全に戻り、エナジーが五体の隅々まで満ち満ちた。


 鼓動。


 蒼い紋様を伝って、光が血流のように腕へと流れ――


「ハァアァァッ!」


 交差した腕から放たれた光線が、ほとんどゼロ距離からロプターを直撃した。


 異次元に潜行する余裕など、あろうはずもなかった。


「おのれ……キリエスゥゥ――――ッ!!」


 断末魔の怨嗟を響かせて、ロプターは今度こそ消滅した。



 大蛇が動いたのは、そのときだ。



 それは、世界を壊す咆哮だった。


 ひび割れていた空が一発で砕け散った。


 眼下に目を移せば、大地が崩れ去ろうとしていた。あちこちで山脈が崩壊し、ビルや家々が地割れの奥へと呑み込まれて、海水が海溝の底へと消える。


 地球が砕けてゆく。


 否、地球だけではない。滅亡しようとしているのは天の星々も同じだった。


 この次元が――世界そのものが壊れてゆく。


 魂の声を捉えるキリエスの耳は、生きとし生ける者ものすべての悲鳴を聞いた。宇宙すべての命の叫びだ。その中には見知った者の声もあれば、そうでない者の声もある。人間たち、動物たち、植物たち、怪獣たち、宇宙人たち、目に見えぬ微細な生き物のものまでも――。


 それは、世界の何もかもが死に絶えたことを意味していた。


 そして、キリエスはこの瞬間こそを待っていた。


「コオオォォォォォオッ……」


 生命は宇宙の破壊者だ、とティマリウスは宣言した。


 生命は宇宙の熱的死を早めるのだ、とロプターは説明した。


 だがキリエスは、生命というものがそれだけの存在ではないことを知っている。


 たしかに生命は宇宙に混沌をもたらすのかもしれない。だが同時に、自分自身の秩序を保つことも、紛れもなく生命の働きだ。


 その働きをもたらすのが魂なのだ。


 魂の素たるスピリウムを操ることが、キリエスの力の本質なのだ。


 ならば。


 キリエスがこの世に存在するすべてのスピリウムと融合し、その身の内に宇宙を再構成すれば――


 世界は、運命の(くびき)から解き放たれる。


「ゼェ、ヤアアァァァァア――――ッ!!」


 キリエスは虚無を貫く大喝とともに、体内を循環するスピリウムを活性化させた。


 無が爆ぜる。


 終焉の大蛇がエナジーに灼かれて消えてゆく。



     ◇ ◇ ◇



 運命なき宇宙が鼓動をはじめた。


 気づけば、キリエスの意識はありとあらゆる時間、あらゆる場所にまで行き渡り、何もかもを見渡せるようになっていた。


 身体の中に世界が息づいているのを感じる。


 その片隅にはどこか懐かしい銀河があって、青く輝く星がある。星では数多の命が生きていて、その中にはよく知っている顔も見える。


 世界は再誕した。


 キリエスの使命は果たされたのだ。

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