十二 管理人事務所
事務所の二階は、窓際に石造りの暖炉を配置したワンルーム形式だ。サンタクロースが団体で入って来れそうな石組み煙突が、屋根に向かって真っすぐ伸びている。
屋根の荷重は頑丈そうな梁と柱が支え、天井には、むき出しの木組みが屋根の傾きに沿って整然と並ぶ。
玄関の上に位置する壁は全面が透明なガラスで、それを三か所の柱が分割している。ガラス面がとにかく広い。
外側には一階テラスの屋根を兼ねたウッドデッキがあり、数か所に椅子と木製テーブルが置かれている。
手摺の隙間からは、建物の周囲に敷き詰められた白っぽい石畳が見え隠れし、その向こうには様々な木々で埋め尽くされた庭園が広がっていた。
石畳と庭園を分断する小川の向こう岸には大小の石が無造作に配置され、流れに近い苔むした大石の横ではクチナシや紫陽花が満開だ。クチナシの芳香が風に乗って三人のところまで漂ってきた。
流れは蛇行しながら、庭園の中心部まで延びている。小さな池が木の間隠れに見えるが、あれが流れの源流とみて間違いないだろう。
住居を中心に半径五百メートル以内は個人で所有できるというが、具体的に目視する敷地は驚くほど広大だ。
「なかなかの出来でしょう? 裏の森から手ごろなやつを選んで植え替えたんですよ。作業は住民の皆さんが手伝ってくれましたけどね」
「人工的でないところが良い感じだね」
自由に伸びた枝をチマチマ剪定して作り込んだ庭園は、どうにも好きになれない。
「ホラッ、川岸に大きな石が見えるでしょう? そのすぐ近く、流れに被さって咲いた白い花が見えますね? あれが、さっき匂ったクチナシの花。少し奥に行けば紫陽花が満開なんですよ」
庭が広いので目立たないのだが、梅によく似たサンザシの白い花も見える。その奥はハナミズキだな、六月頃に山中で見かけた覚えがある。
「近くで見たほうがきれいよ、庭に降りようか?」
「その前に私の部屋を見ていただきましょうかね、雪乃ちゃん」
ということで、障子に似た申しわけ程度の仕切りで会議室と区別された、管理人の私室に案内された。
広い部屋にはソファーと低い木のテーブルだけで、ベッドや調度品の類は一切見当たらない。管理者は、くつろぐ暇など無いという事だろう。
この部屋は建物の裏手に位置するので、すぐそこから森が始まっている。
会議室と同様に、大きなガラス窓の外にはベランダがあり、座り心地の良さそうな籐椅子が置かれている。
手の届きそうな距離から竹林が広がり、サラサラと心地よい葉擦れの音が聞こえる。数本の孟宗竹を押しのけるようにカエデの大木が枝を広げている。これが紅葉すれば見事な景色になるだろう。
「奥の方には大きな木もありそうだね 、家を造った丸太は裏の森から?」
「とんでもない、そんなの不可能ですよ。切り出した樹木は十日で消えるんですからね、やるだけ無駄ですよ——事務所は、この世界の誕生と同時に存在してましたし、私だって気がついた時は管理人として、そこの椅子に座ってたんですから」
「そうか、消えるんだったね。と言うことは、大量に出てくるタケノコも同じ運命?」
ここで雪乃が口をはさんだ。
「面白いよ。アッ出たからアッ消えたまで3日間だからね」
現世と違い、竹の密林にならないように間引きする必要はないようだ。いずれにせよ、春になれば次から次に出てくるし、収穫して美味しく頂く分には3日もあれば十分だ。
「タケノコは楽しみなんだけどさ、誰が料理する?」
雪乃には期待できないし、自分でやるのも面倒だ。
「あぁ、それは大丈夫。事務所の二人が料理上手なんですよ」
事務員と言っても住民の話し相手になるのが仕事のようなもので、もちろんボランティア。二人とも事務所の奥に個室を持っているそうだ。
「さぁて、そろそろ自慢の庭を鑑賞してもらいますかな」
管理人室を出て会議室を通りすぎ、三人は雪乃を先頭に階段を下りた。
石畳と庭園を分ける小川は、上から見た印象よりも浅くて幅も狭かったが、なんとメダカの群れが泳いでいた。
緩やかな流れにはアメンボウが滑り、カキツバタの群落が川面を紫色に染めている。
川向こうに似た花を見つけて眺めていると、隣にいた雪乃が〈あれはね、アヤメよ〉と教えてくれた。
「この庭、こう見えて広いんですよ——さぁ、こちらへどうぞ」
板状の自然石を置いた橋を渡り、ゆるい坂を上っていくと、頂上に小学校の運動場ぐらいの広場があった。中ほどに、天井から数百もの花房が垂れて一帯が紫色に覆われた藤棚がある。
木々の間や広場の地面が、刈り込んだ短い芝生ともコケともつかない植物に覆われているので見晴らしが良く、藤棚の全景を見渡すことが出来た。パレ―コートほどの規模があり、大まかな楕円を形作っている。
内部に入ると大理石のテーブルが据えられ、数脚の椅子が置いてあった。
「椅子に座って頭上をご覧ください、大迫力ですよ」
管理人が、背もたれが斜めに寝た籐椅子を勧める。
「凄いなぁ——どこを向いても紫色、目が眩みそうだよ」
「もう少し先には白いのが咲いてますよ」
見る位置や角度を変えて、今が盛りの藤花を心ゆくまで堪能し、三人は再び歩き始めた。
「そうそう、あそこの小ぶりな木、九谷さんご存じですか?——雪乃ちゃんなら知ってるよね?」
管理人の短い指が、薄紫色の小花をつけた低木を指している。
「これは〈ムラサキシキブ〉って言いましてね、秋には紫色の小さな房が細い枝にいくつも下がって、それはもう優雅というか典雅というか——源氏物語の作者で歌人だった、紫式部の名を冠されたのも頷けますな」
源氏物語はどうでも良いと思うが、ほかにも〈みやこ忘れ〉や〈勿忘草〉〈ひとりしずか〉〈吾亦紅〉など、雅やかな名は多い。
「ホラ、あそこに高さも横の張り出しも二十メートル近くて、白い花をつけた木が並んでるでしょう? 左側が夏椿、隣がヒメシャラって言いましてね。今が満開なんです」
管理人が並んで立つ二本の大きな木を指さした。
「ヒメシャラの葉っぱが小さいのを除けば、他はそっくりだね」
「夏椿は常緑なんですが、ヒメシャラは椿の仲間には珍しく落葉するんですよ。どちらも六月半ばには花を咲かせますが、夏椿に比べると花も葉も少し小さめですね」
「ヒメシャラって、なにかしら繊細で上品な感じでしょう? あたし好きなんだよね——健ちゃん、今日からあたしをヒメシャラ雪乃って呼んでもいいよ」
“な~にがヒメシャラ雪乃だ、シャラくせぇこと言いやがって” と思ったが口には出さず、いつものように ”わかった“ とだけ言って波風を立てない大人の対応をしておいた。
「間もなくハナミズキの花が終わりますな……」
管理人がポツンとつぶやいた。そういえば、枝の下に白い花びらが点々と散らばっている。
「通常なら地面に落ちた花や葉は数秒で消滅しますが、この庭は私が個人的に管理してますので、十日間ほどは落ちたままの状態を保っています」
「ハナミズキは夏の終わりに赤い実がなるのよね。それに、秋になると紅葉が素敵なのよ」
「うん、紅葉が凄くきれいなんですよね。ただし鑑賞できるのは、この庭みたいな私有地に限られます——公有地の場合は店からの帰り道でご覧になったように、咲いた花は萎まないし草木の葉は緑を保つんです」
——管理人の説明によると、強風で枝が揺れたり鳥が突つくなど物理的な力が加わった場合は、私有地と公有地どちらでも花は散るし、草木の葉や実った果実は落下する。
公有地内で落ちた場合は、数秒か長くて数分で地面に吸収され消滅する。果実が落ちた枝は間を置かず実をつけて完熟し、葉が落ちた枝はすぐさま葉を再生する。そのサイクルを無限に繰り返しているそうだ。
公有地に実った果実なら誰でも食べ放題だ。食べ残しや皮が地面に落ちても、数秒で消滅するので後かたづけも必要ない。清潔で便利この上ないシステムだ。
このように、来世には至れり尽くせりの公共サービスが提供されているという。
鳥や獣が果実を喰い散らかしたり細菌類が分解して、あちこちトッ散らかってしまうのが、潔癖症の管理人には耐えられないのだろう。
こりゃいかん。もっと味わい深く、情緒豊かな来世に改革しないと駄目だな——過剰な合理主義は息苦しいだけだ、何事も程々が良い。
「住民の皆さん……現世の四季が五感に沁み込んでますからな——桜が咲いてた頃、紫陽花が咲いてた頃、あたり一面が雪景色の頃は何してたんだろうな——当時の喜怒哀楽を追体験して、思い出が薄れていく一方の現世を忍びたいんですよ」
後ろ手に指を組みながら散った花を眺め、管理人はしんみりした口調になった。
「しばらくすると、個人で管理する世界には暑い夏が来ます。そして実りの秋になり、やがて寒い冬を迎えます。まぁ、猛暑も極寒もないので気楽に構えて結構ですけどね——夏には大雨や強風に見舞われるし真冬には雪が降りますが、それも程々ですから」
そう言いながら、管理人は傍らで赤く熟しているグミの実をちぎり、口の中に放り込んだ。グミの向こうには桃の実が色づいている。
雪乃もグミを口に入れたが、まだ熟してなかったようで酸っぱい顔をしている。
やがて三人は庭園の散策を切り上げ、事務所への帰路についた。しばらく歩いて小川の近くまで来ると、石橋の真ん中に大きなキジトラ猫がデンと座っている。
「オヤ、久しぶりだね」
先頭を歩く管理人が声をかけた。
「なんだ、アキラか。遊びに来たの?」
雪乃も親しいらしく、顔の前で手をふっている。
「おい、せっかく来たのに、なんだはねぇだろうよ雪乃」
えらくガラの悪い猫だな、しかも日本語だ——
「九谷さん、この町のネコ界隈を統率してるアキラ君です。いわゆるボスですな」
「こんちわ、こないだ広場で会ったよね?」
数日前に大勢の子分を引き連れて、広場で与太っていたキジトラだ。この口で、どうやって人語をあやつるんだ? 興味津々で髭の生えた口元を観察するが、別にどうという事もない普通の猫だ。
いや待て、かなりでかいぞ。尻尾を入れずに六十センチ超えてるな。
鼻の上部から腹側にかけてと、足の中ほどから先端までが白い。
白い部分が、額から髭の生えた頬っぺにかけて山を形作っているのは、人間で言うところの富士額か。 目玉が大きく丸くて鼻がピンクなので、ボスとしての威厳に欠けるかな——
「なんだよ若いの、ジロジロ見てんじゃねぇよ!」
ヤベェ、ネコに凄まれてしまった。
「アキラ君は特別でしてね。人間に入るはずの魂の卵が、なにかの間違いでアキラ君に入ったのかも知れませんな。あり得ない現象なので、科学者たちが興味津々で研究してますが、未だ解明しておりません」
管理人は、あごの先を二本の指で挟んで首を捻っている。
来世ではペルシャ語だろうと広東語だろうと日本語に翻訳されて聞こえるし、同様に相手側には、日本語がそれぞれの母国語に翻訳されて聞こえる。
ただし、それは人間の場合に限られるので、普通の猫なら人語を理解できても話すことは出来ないし、知能にしても人間並みにはならない筈なのだ。
「さて、管理人さん自慢の庭も堪能したことだし、そろそろ部屋に戻ろうよ——アキラも一緒においで。どうせ暇なんでしょう?」
広い庭の半分も見ていないが、残りは次の機会だな。まずは旅の段取りをする事にして、三人は猫のアキラを伴い二階の会議室に戻った。




