十一 ユーちゃん来店で大騒動
玄関前に待機していたポチに真っ先に乗り込んだ雪乃が、〈三人乗るからね〉と指示するとポチの車体が少し広がって椅子が三つに増えた。そこに九谷と管理人がイソイソと乗り込む。
三人乗りのサイズになったポチに横一列に並んで座り、雪乃が〈ママの店〉までお願いねと声をかけて、ポチは通常より高く上昇したあと徐々に加速していった。
到着して上空から下を眺めると、池だと思っていたのが実は湖の入江だった事に気がついた。その奥に〈ママの店〉がある。
もっと上昇して確認した。大きさは摩周湖ほどだろうか、同じように透明度が高く冷たそうな水を湛えている。
対岸の水辺には、数十戸の家屋が隣家と十分な距離をおいて並び、湖にせり出した小さな半島の突端には、欧州風の城が周囲を圧倒するように屹立していた。
しばらく湖の周辺を見て回ったあと店の前に着地した。雪乃が玄関ドアを開けると店内のザワザワした空気が押し寄せてくる。テーブル席は多くの客たちで混雑し、席に座れない男女が壁に沿って立っていた。
意外だったので三人が入るのを躊躇していると、ママが小走りで迎えに来た。
「まぁ雪乃ちゃん、丁度よかった、例の人が来てるわよ」
「誰なのよ?」
「ファンだって言ってたでしょう? ホラッ昭和の大スター、ユーちゃん」
「すげー! どこにいるの?」
「さっき、岬のヨットハーバーに着いたそうよ。今から歌うんだって」
「ヨッシ! ステージ前の席あいてない?」
「増やすから大丈夫よ。飲み物なんにする?」
ステージ上には既にオーケストラがスタンバイしている。注文したビールとハイボールを待っていると、間もなくマイクの前にヤシの木が描かれたアロハ姿のユーちゃんが現れた。
長い両足を開き気味にして突っ立ち、左手はポケットに右手でブランデーグラスを持って、照れ臭そうに挨拶を始めた。
「やあ~お元気でしたか皆さん——僕は、ずいぶん前に葉山の港を出て、その後は太平洋からインド洋、大西洋と世界中を航海しています。最近は地中海の島めぐりなんか楽しんでたんだけど、なんだか急に〈ママの店〉を思い出しちゃってね。よし行ってみようか、丁度いいや、この際スズメちゃんの誕生祝もやっちゃおうぜ、って事になったんです——紹介しますね、真っ赤なドレスが良く似合うでしょう? 友人の青空スズメちゃんです、どうか大きな拍手をお願いしま~す!」
ここで真っ先に拍手した雪乃が、隣に座ったママに「ホラっ、あの人あの人、ホラっ、有名な昭和の大歌手——」と口をパクパクさせている。
「そうよ。お祭りと港町の申し子、あのスズメちゃんよぉ」
ステージ上には、三十歳ぐらいのスズメちゃんがラメを散りばめた鮮やかな赤いドレス姿で、満面の笑みを浮かべて客席に手を振る姿があった。
「当時は週刊誌ネタぐらいに思ってたけど、ホントに友達だったんだね」
「以前いらしたときは、十人ぐらいだったけど、今回は何人か増えてるわね」
「一緒に航海してる人たちかな? 十五人いるよ、ママ」
「ほら見て! 真ん中の席でふんぞり返って偉そうにしてるのユーちゃんのお兄さんじゃないの?」
「ホントだ、偉そうな態度は来世でも健在なんだね」
よく見ると、世界の五船やピースのジョー、激流に流される男もいる。
九谷の世代でも知っているような、昭和のスターが勢ぞろいしていた。
スズメちゃんの紹介も終わり、やがてユーちゃんが歌いだしたのは “マコ、来世に来るのは、ゆっくりでいいんだぜ” という、妻への気遣いと想いを込めた、名曲〈俺は待たないぜ〉だった。
雪乃は目を潤ませ胸に両手を押し当てて聞き入っていたが、やがて歌が終わると、感極まったような涙声でユーちゃんステキと呟いた。
そのあと、もう少し感動したらどうなのよ、と九谷と管理人を睨みつけ、目の前のビール大ジョッキを五秒でカラにして、すぐさまお代りを注文した。
あたしも歌おうかしら、とステージに上がったスズメちゃんは、往年の持ち歌〈みだれ神〉や〈来週波止場〉を切々と歌い上げ、満員の客席を大いに沸かせている。
「久しぶりに盛大な誕生会になったわ。皆さん、どうもありがと。え~っと、次はケイちゃんにも歌ってもらおうかしら、少し古いんだけど皆さん知ってるわよね? あの〈霧笛が俺を追っぱらう〉、すごくいい歌よ」
ケイちゃんのあとは、入れ代わり立ち代わり交代して歌いまくり、ユーちゃん一行は嵐のように大騒ぎしたあと、引き波のように海に帰っていった。
「いや~満足、まさか会えるなんて思わなかったわよ」
すでに大ジョッキ6杯を空けた雪乃の目は、怪しげな色というか何をしでかすか予測できない危険な光を帯びてきた。
やっぱり始まった——一瞬、天を仰いだあと怪鳥のようにケケケと不気味に笑って椅子から立ち、右手の拳を天に突き上げながらイェ~イという奇声を発してピョンピョン飛び跳ねだした。
そうかと思えばクルリと一回転しながら右腕をグルグル回し。呪いの呪文を唱えるように口元をパクパクさせている。
奇っ怪な行動を暫く続けると再び着席し、また立ち上がって腰をクネクネ振り、今度は周りのお客に手を振って愛嬌を振りまき始めた。
「オイオイどっかの女性総理みたいになっちまったよ、まさか憑かれたんじゃないだろうな?」
「雪乃ちゃん、とりあえず外に出て酔いを醒ましたらどうだろうね——」
管理人が提案したが「なんだって~」と繰り返しているだけで取りあわない。
やむを得ず、管理人と二人でヨッパライ雪乃の両手を引っぱり、強引に玄関ドアから外に追い出した——出入り口から一歩踏み出せば〈外に出ると酔いが醒めるシステム〉が発動する。
すぐ入ってきた。「や~ねぇ、あたしが酔っぱらってるみたいじゃない、レディーに恥かかせないでよ」だそうだ。
雪乃が正気を取り戻したので席に戻り、これからの魔物対策を確認した。
「九谷さん雪乃ちゃん、お疲れさまでしたね。もう大丈夫、心配ないでしょう。残った連中の旅立ちも案外はやいと思いますよ」
「そうよね、居残り派は保身第一に考えてるようだし、意外と近いうちに全員退去すると思うわ——健ちゃんは、どう思う?」
「まぁ、長く居ると消滅するのがバレたんだ、そうなるだろうね。異議なし」
しばらく乾杯を重ねたあと、ハイボールの残りを飲み干してテーブルに戻した管理人が、ここで晴れ晴れとした笑顔を見せて提案した。
「どうでしょう九谷さん。とりあえず一段落ついたようですし、ここらで雪乃ちゃん連れて旅に出てみませんか? 二人で心細いなら、ほかに誰か手配しますが」
「そう? ——そりゃぁ有難いな、ようやく来世探索ができるよ」
「雪乃ちゃん、一緒に行くでしょう?」
なにか有利な交換条件がないものかと腕組みして思案していた雪乃は、結局なにも思いつかなったようで、仕方なさそうに旅に出るのを承知した。
「行くけどさ、ウ~ン健ちゃんと二人旅か——参ったなぁ、こりゃ毎夜あたしの貞操の危機が訪れるってことだぞ」
「バッ、バッ、バカなこと言うもんじゃないよ。現世にも来世にも俺みたいな紳士はいないぞ。まったく、この娘はなに言っちゃってんだい、アッハッハ」
不意を突かれて動揺しちまったぜ、まぁ当たらずとも遠からずなんだが。
雪乃はすでに三杯目の大ジョッキをカラにして、次はハイボールに変えているが、またもや目つきが怪しくなっている。
案の定だ、目の前のサラミとチーズを次々と空中に放り上げ、落とさず口中に入れる宴会芸を始めてやがる……
周りのお客が気を使って拍手するので、調子に乗った雪乃は別皿のピーナツも加えた。こりゃイカン、放っとけばローストチキンを放り上げてしまうな。止めないと雪乃の顔面が悲惨なことになる。
管理人とママはどうかというと、お互いのホッペをつついたり、つねったりして、何やら二人だけ大人の世界に入り込んで盛り上がっている。
「さて、お二人さん。お楽しみのところ申し訳ないが、そろそろ旅の行き先なんぞを相談しようぜ」
この二人を放っとくと何時間どころか何日呑み続けるか知れたもんじゃない。今の内に大まかな行き先とコースぐらいは決めておかないとな。
「それなら雪乃ちゃんが詳しいですよ」
ママからキスされっぱなしでホッペが口紅だらけになった管理人が、こちらを見もせずに返事した。
「どこにどういう町が在るかぐらいなら分かるけどね。健ちゃんの知り合いが居る町とか、そういうのはポチが詳しいよ」
雪乃は宴会芸を続けながら顔だけこっちに向けたが、少し離れた席にいる二人連れの顔を見た途端〈あらぁ、お久しぶり~〉と、ピンクと黄色が程よくブレンドされた大声をあげてスッ飛んで行った。
誰だっけ? おぉ、よくよく見れば以前ここで会った山本先生の同僚だ。
九谷は礼儀正しい好青年にしか見えない笑顔で、ゆっくりと席に歩み寄った。
「あのとき以来ですね」
「やぁ、さっきから気付いてたんですがね。皆さん楽しそうに過ごしてらっしゃるんで、邪魔しちゃ悪いかなと思って黙ってたんですよ」
この人、なんて名前だったっけ、まぁいい、〈あなた〉で通すか。
「例のことで進展があったので山本先生に説明したいんですが、今日はどちらに?」
「残念だなぁ、あの人しばらく帰りませんよ。出張が伸びましてね」
雪乃と会いに行ったとき留守だったが、あのまま帰っていないのだ。
「じつは先日お話しした魔物の件なんですが、思ってたより早く解決したんですよ。その旨、山本先生にもお伝え願えたら有り難いのですが」
「ええ~。そうなんですか、そりゃぁ良かった。意外な話を聞いて私たちも心配してたんですよ」
「物騒な話を持ちこんじゃって申し訳なかったです。今回の交渉で彼らの大部分は異世界に移住したし、残った連中は無害ですから」
「イヤイヤ、彼らを放っとけば住民の倫理観が崩壊したかも知れないんですから。あなた方のご尽力には心から感謝しています」
こうして紳士同士の挨拶も終わったので、まだまだ飲みたそうな雪乃を引きずり、ママから管理人を引き剥がして店を出た。
外に出て一瞬で酔いが醒めた二人と相談したところ、旅立つ前に管理人の事務所で旅支度をしようという事になり、ポチを呼んだ——
事務所は緑の濃い森を背にしたログハウス風の大きな二階建てだった。
管理人の好みなのか、小癪にも白いツル薔薇が壁面の方々に絡みついて、エレガントな管理人を演出している。
裏の森には少量とはいえ落ち葉があるようだ。さっき見た公共の森と違い、思わず散策したくなるような風情ある木立の空間が広がっている。
正面玄関から入るにはテラスを覆う屋根の下を通っていく。その通路の両脇にはテーブルや椅子が配置され、それが建物の側面まで続いて住民たちの交流の場になっていた。
玄関から入っていくと役所の市民課みたいな受付が迎える。そこには事務員風の女性が二人いて、弾んだ声で楽しそうにお喋りしていた。
通路を挟んだ片側には応接セットが並び……ゲッ!——そこには見覚えのある四十歳ほどの人物が腰を下ろしていた。
「よぉ健次郎、久しぶりだな。元気してたか? って元気じゃなくなったから再会したんだよな、アッハッハッ」
うわ~参ったな、はた迷惑な武勇伝を残して逝っちまった遠い親戚だよ——
昭和時代に流行ったヤクザ映画に影響され過ぎて、ダイナマイト抱えて暴力団事務所に突っ込んだ無茶苦茶男だ。
暴力団に何かされたって訳でもないのに突撃するんだから、とんでもない大バカ野郎だよ。いや、過激すぎる社会正義の遂行者って言うべきかな。
「事件のあと、仕返しされるかもって心配で親戚中がドキドキだったんだぜ——それにしても、健次郎だって良く分かったね。若いときの俺なのに」
「ん? それはな、新入りの関係者には漏れなく〈お知らせ〉があってな、それでお前が来るって知ったんだよ」
「回覧板でも回るのかな?」
「まぁ、そういう事です。私から皆さんにお知らせしました」
〈お知らせ〉は管理人の重要な業務の一つで、例の分身が関係者宅まで出向いて知らせるとのことだ。
そのあと面会に行くか行かないかは自由だが、八割の人は避けるそうだ。
そうだろうな、“お涙頂戴”が苦手な俺にはよく分かる。来世の詳しい説明や案内は管理人のほうが適任だし、再会のシーンを想像するだけで蕁麻疹が出そうになる。
「おい、健次郎。積もる話は今度にしようぜ。実は、これから人に会う予定があるんだ」
「これだよ」と、小指を立て、自分勝手な親戚は短髪に被っていたボルサリーノをちょっと傾げたあと、肩を揺らしながら帰っていった。
さて、暫くは誰も来ないだろう。会議室で旅の段取りをすることにして三人は二階に続く階段を上った。




