第3話(1)魔王には、隠し子が三人いた
相続手続きで一番大事なのは、相続人を一人残らず見つけることだ。
一人でも見落とせば、遺産分割協議は無効になる。何年もかけてまとめた話し合いが、ある日ひょっこり現れた「父の前妻の子」のひと言で、すべて振り出しに戻る。そういう案件を、俺は三回担当した。三回とも、胃に穴があきかけた。
だから、翌朝いちばんにガルムロッドへ頼んだのは、これだった。
「戸籍を見せてください」
「こせき……で、ございますか」
「家族の記録です。誰が誰の子で、誰と結婚して、誰が生まれたのか。役所が全部書き残しているものです」
「魔族に、そのような記録はございません」
ガルムロッドは申し訳なさそうに首を振った。
「ですが、血を辿る方法ならございます」
◇
古竜バハムルトは、結局その夜のうちに城の上空から去っていった。
去り際に、竜はこう言い残した。
──四十九日目の夜明けに、また来る。それまで、竜骨山で昼寝でもしていよう。
竜骨山というのは、魔王城から見える北の山脈だ。今朝、窓から見ると、山の頂上に巨大な黒いかたまりが丸くなっていた。昼寝というより、山がひとつ増えたように見える。
城の兵たちは、朝から誰も北の窓に近づこうとしなかった。
右手の甲の数字は『四十五』に変わっていた。
大広間の中央に、石の台座が運び込まれた。
台座の上には、古びた一冊の本が置かれている。表紙は赤黒い革で、ページの縁は乾いた血のような色に染まっていた。
「血統の書でございます」
ガルムロッドが説明した。
「魔王家に代々伝わる誓文の書です。被相続人の血を一滴落とせば、その血を引く者すべてに向かって、光の糸が伸びます」
「便利ですね。日本の役所に一冊ほしい」
「血は、陛下の御遺体からいただきました。姫様のお許しは得ております」
ノクティアが、硬い表情でうなずいた。
広間には、昨夜と同じ顔ぶれがそろっていた。魔王の娘ノクティア。俺の護衛兼監視役の勇者セレス。それから、王国の立会人として、聖女マリエルと騎士団長のハロルド。ハロルドは四十がらみの大男で、顔に古い刀傷がある。昨夜から一言もしゃべらず、聖女の後ろで腕を組んでいた。
「では、始めます」
ガルムロッドが小瓶を傾けた。
黒に近い紅色の血が一滴、血統の書の上に落ちる。
ページが、ひとりでにめくれはじめた。
ばらばらばら、と音を立てて、何百年分もの紙が風もないのにめくれていく。そして最後のページで止まると、そこから細い光の糸が、するすると立ちのぼった。
一本目は、まっすぐノクティアの胸へ伸びた。
「……わたくし」
当然だ。娘なのだから。ノクティアの胸元で、糸が赤く脈打っている。
俺は、ほっと息をついた。これで終わりなら話は早い。
だが、糸は止まらなかった。
二本目が立ちのぼり、広間の窓を抜けて北の方角へ伸びていった。
三本目が、南東の空へ。
そして四本目は、途中から白い光に包まれ、ふっとかき消えた。
広間が凍りついた。
「……四本?」
ノクティアの声がかすれていた。
「わたくしの他に、三人もいるというの?」
「なお」
ガルムロッドが、心から気まずそうに咳払いをした。
「陛下は……その、お若いころ、少々奔放でいらっしゃいまして」
「父上ッ!!」
ノクティアの炎が、天井まで噴き上がった。セレスが慌てて俺の襟首をつかんで後ろへ引っぱる。危うく前髪がなくなるところだった。
セレスが、俺の耳元でぼそりと言った。
「……読みかけの恋愛小説、二十冊」
「言ってやらないであげてください」
◇
相続人には、遺産分割協議に参加する権利がある。そして【遺言執行者】には、相続人を呼び出す力がある。
ガルムロッドによれば、そういうことらしい。
「どうすればいいんです」
「糸に向かって、お呼びください。執行者殿のお言葉には拘束力がございます」
俺は、北へ伸びる二本目の糸に向き直った。
なんと言えばいいのか、少し迷った。結局、いつも書いている書類の言葉が口から出た。
「被相続人ヴァルゼクスの相続人の方へ。遺産分割協議を行いますので、ご出席ください」
右手の紋章が光った。
糸がぴんと張り、まるで釣り糸を巻き上げるように縮みはじめる。
次の瞬間、広間の窓ガラスが外から粉々に割れた。
飛びこんできたのは、黒い狼だった。牛より大きい。その背に、ひとりの男がまたがっていた。
黒い毛皮の外套に、銀の鎧。年は二十代半ばくらいだろうか。灰色の髪を後ろになでつけ、金色の目は狼と同じように鋭い。そして、こめかみからは、ノクティアとよく似た黒い角が二本生えていた。
「誰だ、俺を呼びつけたのは」
男は狼の背から飛び降り、広間を見回した。視線が、ノクティアのところで止まる。
「……ほう。小娘もいたか」
「黒狼公、ゼファル……!」
ノクティアが歯ぎしりした。
「なぜあなたが、父上の血を……!」
「なぜ、だと?」
ゼファルは、心底おかしそうに笑った。
「俺が親父の最初の息子だからさ。知らなかったのか? 親父は母上と俺を北の辺境に放りこんで、それきり一度も会いに来なかった。おかげで俺は、自分の牙だけで黒狼公の座までのし上がったがな」
そう言って、ゼファルは棺のほうを見た。その目に浮かんだものが怒りなのか、それとも別のものなのか、俺には分からなかった。
「で、遺言はどうなっている。長子の俺が、全部を継ぐんだろう?」
「全財産は、勇者セレス・アーデライトに遺贈されています」
俺が言うと、ゼファルの顔から笑みが消えた。
「……は?」
「ちなみに、借金が九千億あります」
「……は?」
「担保は、受け継ぐ人の魂です」
「…………は?」
黒狼公の金色の目が、俺と、セレスと、棺のあいだを三往復した。
気持ちは分かる。俺も昨夜、同じ顔をしていたと思う。
だが、黒狼公の立ち直りは早かった。
「……なるほどな。それで、その勇者が親父を殺したわけだ」
ゼファルの視線が、セレスに突き刺さる。
「遺言書には『魔王を殺した者は、何も受け取れない』と書いてあるんだろう? 話は簡単だ。勇者を魔王殺しとして裁けば、遺言の遺贈は消える。遺産は血を引く俺たちのものになる。違うか、執行者」
「私は殺していない」
セレスが低く言った。剣の柄に、手がかかっている。
「ならば剣で証明してみせろ。魔族の流儀だ。勝ったほうの言い分が正しい」
黒狼が牙をむいて唸った。セレスが半歩前に出る。
広間の空気が、また昨夜と同じ熱を帯びはじめた。
ぱん、と俺は手を叩いた。
「決闘で相続人の資格は決まりません」
二人がこちらを見る。紋章は光っていなかった。それでも、俺は続けた。
「仮に勇者さんが欠格になったとしましょう。その場合、遺贈はなかったことになって、遺産は相続人の皆さんで分けることになります。法律で決まった割合で」
「当然だ」
「財産も、借金も、です」
ゼファルの口が、半開きのまま止まった。
「九千億の借金を、相続人の皆さんで、相続分に応じて引き継ぎます。担保は魂ですから、竜は四十九日目に、皆さん全員の魂を少しずつ取り立てに来るんじゃないでしょうか」
「……少しずつ、とは」
「分かりません。前例がないので」
ゼファルは、黙ってセレスから一歩離れた。黒狼も、なんとなく尻尾を下げた。
セレスが、小声で俺に言った。
「……助かった、のか?」
「いえ。あなたは何も助かっていません。九千億を背負っているのは、今のところあなた一人です」
「お前は本当に、慰めるということを知らないのだな」
知っている。ただ、慰めで借金は減らない。それも知っている。




