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魔王の遺産相続、司法書士の俺が仕切ります 〜勇者も聖女も魔王の娘も、遺言書の前では平等です〜  作者: yamaarashi


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第10話(2)四十九日目の夜明け

 最後に残ったのは、二つだった。

 ひとつは、財産目録に一行だけ残った呪い。

 『「勇者に恋をする呪い」──継承者:未定』

「だから、誰にも継がせるなと言っている!」

 セレスが、真っ赤になって机を叩いた。

「大丈夫です。これは、誰にも相続されません」

「……本当か?」

「日本の法律には、一身専属という考え方があります。その人だけに結びついていて、ほかの誰にも移せない権利や義務のことです。この呪いは、お父さんが自分の想いを、自分で書き足したものです。その想いは、お父さん一人のものです。だから、誰にも相続されない」

 俺が財産目録の一行に指をあてると、文字はすうっと薄れて、消えていった。

 セレスは、ほっと胸をなで下ろした。それから、なぜか少しだけ、さびしそうな顔をした。

 理由は、聞かなかった。


 もうひとつは、城の裏手にある、黒薔薇の温室だった。

 財産目録の『魔王城 付属:温室一』。調べてみると、その温室は二十年以上前に、魔王が自ら建てたものだった。中には、黒薔薇だけが植えられていた。先代の勇者、エレナが好きだった花。

 温室は、魔王城の付属物として、ノクティアの取り分に入っていた。

「この温室ですが」

 俺が言いかけると、ノクティアがさえぎった。

「分かっているわ」

 彼女は、まっすぐに前を見ていた。

「欠格者は、相続できない。そうでしょう?」

「はい。リーゼさんには、相続の資格がありません」

「でも、わたくしが相続したものを、わたくしが誰かにあげるのは、自由なのでしょう?」

 俺は、少し驚いてノクティアを見た。

 相続と贈与は、別のものだ。相続人がいったん受け継いだ財産を、自分の意思で誰かに贈ることは、欠格とは関係がない。そう教えた覚えはなかった。

「……ガルムロッドの書庫で、調べたのよ。あなたの書いたメモを、勝手に読んで」

「勝手に読まないでください」

「うるさいわね」

 ノクティアは、ぷいと顔をそむけた。

「許したわけじゃないわ。一生、許さない。でも、父上が見せたかったものくらい、見せてあげてもいい。……それだけよ」


   ◇


 四十九日目の夜明け前。

 大広間の長机の上に、一通の誓文が置かれていた。


 『遺産分割協議書』


 被相続人、魔王ヴァルゼクス。

 相続人、ノクティア、ゼファル、ルゥ。受遺者、セレス・アーデライト。遺言執行者、相馬律。

 その下に、誰が何を受け継ぐかが、一行一行、細かく記されていた。魔王の名と魔王領の統治は、ノクティアへ。北の三つのダンジョンと北方の統治は、ゼファルへ。羽根ペンひとつと信託の金貨は、ルゥへ。魔王城の城主の地位と、宝物庫の財宝の半分は、セレスへ。その財宝は、焼かれた村々の再建に使われる。そして、黒薔薇の温室はノクティアが受け継ぎ、同じ日付の贈与の誓文で、リーゼへ贈られる。

 城の外が、騒がしくなっていた。

 国境の方角から、角笛の音が聞こえてくる。聖騎士団一万が、夜明けとともに魔王領へ入ろうとしているのだ。

 右手の甲の数字は、『一』を通り越して、『零』に向かって明滅を始めていた。

「署名をお願いします」

 俺は、羽根ペンを差し出した。

 最初に署名したのは、セレスだった。迷いのない筆で、真名を書き終える。金色の刻印が浮かんだ。烙印は出なかった。

 次に、ゼファル。乱暴な字だった。けれど、最後の一画だけは、丁寧に書いていた。

 オルドが、ルゥの特別代理人として署名した。ルゥは、その横に、もらったばかりの羽根ペンで、覚えたての字で自分の名前を書き添えた。誓文としての効力はない。それでも、俺は止めなかった。

 最後に、ノクティア。

 彼女は、羽根ペンを握ったまま、少しのあいだ動かなかった。

「……父上」

 小さくつぶやいて、それから、真名を書いた。

 最後に、俺が遺言執行者として署名した。

 五つの刻印が、金色に輝いた。光は、協議書から溢れ出し、大広間を満たし、城の窓を抜けて、夜明け前の空へと昇っていった。

 右手の甲から、数字が消えた。

 四十九日。俺は、魔王にならずに済んだ。


 東の空が、白みはじめた。

 ノクティアが、城壁の上に立った。黒いドレスが、夜明けの風にはためいている。その胸元で、魔王の名が、真紅の光を放っていた。

 魔王領のあらゆる場所から、咆哮が上がった。

 三十万の魔物たちが、新しい名の主を認めた声だった。大地が震え、山々にこだまし、国境で角笛を吹いていた聖騎士団の足を止めた。

 魔王領には、治める者がいる。

 その瞬間、国庫に帰属する理由は、この世界から消えた。

 夜明けの光の中で、聖騎士団の旗が、ゆっくりと引き返していくのが見えた。


   ◇


 すべてが終わったのは、朝日がすっかり昇ったあとだった。

 俺は、大広間の祭壇の前に、ひとりで立っていた。黒い棺は、今日、城の裏手の墓所に納められることになっている。

「……終わりましたよ」

 棺に向かって、俺は言った。

「あなたの遺言、ちゃんと執行しました。ずいぶん無茶な条文でしたけど」

 もちろん、返事はなかった。

 そう思った、そのときだった。

 棺の蓋の上で、何かが光った。

 一通目の遺言書だった。第五条で終わっていたはずの羊皮紙の、一番下の余白に、新しい光の文字が浮かび上がっていく。

 そして、棺の中から、声がした。


 『──よくやった、異界の執行者よ』


 低く、穏やかな声だった。一度も聞いたことがないのに、なぜか、誰の声なのかすぐに分かった。

 魔王ヴァルゼクスの声だった。


 『汝がこれを聞いているということは、余の子らは、ひとつの机に着いたのだろう。礼を言う。そして、リーゼのことを、頼む』


 大広間の扉が開く音がした。振り向くと、ノクティアとセレスが、息を切らして立っていた。その後ろに、ゼファルと、ルゥと、ガルムロッドもいた。声は、城じゅうに響いていたらしい。


 『さて、第六条だ』


 光の文字が、羊皮紙に刻まれていく。


 『第六条 遺言執行者・相馬律を、始祖王の遺言執行者に指名する。』


「……始祖王?」

 セレスが、かすれた声でつぶやいた。

「三百年前まで、大陸をひとつに治めていた王だ。人間にも、魔族にも、等しく王と呼ばれた……」


 『汝らは知るまい。三百年の戦が、何のために始まったのかを。余の祖父である先々代の魔王と、人間の王国の初代国王は、同じ父を持つ兄弟であった。父である始祖王が遺した大陸のすべてを、二人は分けることができなかった。三百年の戦とは、つまるところ』


 声が、ほんの少し、笑ったように聞こえた。


 『遺産争いだ』


 大広間が、凍りついた。

 ガルムロッドが、片眼鏡を取り落とした。ゼファルが、口を開けたまま固まった。ノクティアは、両手で口を押さえていた。


 『期限は、余の百箇日。四十九日を越えた汝には、あと五十一日ある。果たせぬときは──まあ、それは条文を読め』


 右手の甲が、焼けるように熱くなった。

 消えたはずの紋章が、また浮かび上がっていた。前よりも大きく、前よりも複雑な形で。

 そして、その下に、新しい数字が刻まれていく。

 『五十一』。


 『なお』


 魔王の声が、最後に付け加えた。ガルムロッドとそっくりの口調で。


 『汝が元の世界へ帰る道は、始祖王の遺産の中にある。帰りたくば、分けきってみせよ』


 声が、ふっと途切れた。

 棺の上の光が消え、大広間に静けさが戻ってきた。

 俺は、右手の甲の『五十一』を見下ろした。

 背後で、セレスが小さく息をつくのが聞こえた。振り向くと、勇者は、なぜか少しだけほっとしたような顔で笑っていた。

「……帰れなくなったな、執行者」

「帰れなくなりましたね」

「全部終わるまでは、帰るなよ」

「書類が片づくまでは、帰りません」

 ノクティアが、ふん、と鼻を鳴らした。ルゥが、羽根ペンを抱えて俺の背広のすそを引っぱった。ゼファルが、天井を仰いで笑い出した。

 相続で揉める家族を、俺は千組見てきた。

 異世界に来て、千一組目の家族の相続を、ようやく終えた。

 そして今、千二組目の依頼が届いた。

 被相続人は、三百年前に死んだ男。相続人は、人間の王国と、魔王領。争われている遺産は──

 この大陸の、すべて。


                   (第1巻・完/第2巻「始祖王の遺言」へ続く)


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