第1話(1)死んだ魔王から、遺言執行の依頼が届いた
相続で揉める家族を、俺は千組見てきた。
土地で揉める。預金で揉める。最後には決まって「お母さんは私のほうが好きだった」で揉める。
だから、たいていのことでは驚かない。
──死んだ魔王の遺言書で、遺言執行者に指名されるまでは。
遺産は『世界の半分』。ただし、借金と呪いつき。
期限は四十九日。分けきれなければ、執行者の俺が次の魔王になるらしい。
◇
「だからよ、長男の俺が家を継ぐのが筋だろうが!」
「筋? お父さんのオムツを十年替えてたのは誰だと思ってんのよ!」
埼玉の古い一軒家。八畳の和室に、怒鳴り声が跳ね返る。
座卓をはさんで長男と長女がにらみ合い、次男は壁際でずっとスマホを見ていた。
床の間の遺影では、亡くなった父親が、こうなると分かっていたかのように少し困った顔で笑っている。
俺、相馬律。司法書士になって十年。
相続登記と遺産分割協議の調整ばかりやってきたせいで、この手の修羅場にはもう慣れた。
「お二人とも」
ぱん、と一度だけ手を叩く。音は小さいのに、兄妹はそろって口を閉じた。この間合いをつかむまでに五年かかった。
「数字の話をする前に、お父さんの話をしましょう。お父さんは、この家のどこが好きでしたか」
「……縁側」
ぽつりと答えたのは、それまで黙っていた次男だった。
「庭の柿の木を、毎年数えてた。今年は何個なるかって」
長女が鼻をすすり、長男が目をそらす。
財産の話は、故人の話をしてからだ。人は金のことでは譲れなくても、思い出のためなら案外譲れる。
書類をそろえようとして、手が止まった。
登記簿謄本と戸籍の束に、見覚えのない封筒がまじっている。
黒い封筒だった。手ざわりは紙ではなく、なめした革に近い。銀色の封蝋には、角の生えた髑髏のような紋章が押してある。
──異界にて、最も多くの相続を見届けし者へ。
相馬律 殿
「……誰のいたずらですか、これ」
三兄弟は、そろってきょとんとしていた。
封蝋に指をかけた瞬間、それはひとりでに割れた。
中の羊皮紙に、文字が浮かび上がってくる。インクではない。光で書かれている。
『汝を、余の遺言執行者に指名する。
──魔王ヴァルゼクス』
「は?」
声に出したのと同時に、足もとの畳が消えた。
遺影の困ったような笑顔が、白い光に溶けていく。最後に聞こえたのは、長女の「先生!?」という悲鳴だった。
◇
まず、においがした。
溶けた蝋と、冷えた石と、かすかな鉄のにおい。葬儀場の控え室と、どこか似ていた。
目を開けると、喉もとに剣の切っ先があった。
「動くな」
剣を握っているのは、銀の鎧を着た少女だった。歳は二十歳前後だろうか。金色の髪は泥と煤で汚れ、頬には乾いた血がこびりついている。青い瞳は鋭いのに、どこか疲れていた。
「貴様、何者だ。魔王の手先か」
「……司法書士です」
「しほうしょし?」
少女が眉をひそめた、そのとき。
「どきなさい、勇者」
横から炎がはじけた。
熱風に髪をあおられて振り向くと、今度は黒いドレスの少女が立っていた。こちらはもっと若い。十五、六だろう。頭の両側から、黒曜石のような角が二本、後ろへ流れるように伸びている。真紅の瞳の奥で、本物の火が燃えていた。
「その男は、父上の遺した封筒から出てきたのよ。父上の客人に剣を向けるなら、まずわたくしが相手になるわ」
「客人だと? 魔王の娘が、よく言う」
「父上を殺しておいて、よくも通夜の場に顔を出せたものね」
「だから、私は殺していないと言っている!」
剣と炎が、俺の頭の上でばちばちとぶつかり合った。熱い。冗談抜きで前髪が焦げそうだ。
俺は床に座りこんだまま、あたりを見回した。
広い。体育館が三つは入りそうな石造りの広間だ。天井はかすむほど高く、黒い柱が何十本も並んでいる。柱のあいだには青白い炎の燭台が立ち、その光が奥の祭壇を照らしていた。
祭壇の上に、黒い棺が置かれていた。
大きい。人間の棺の倍はある。蓋には金の装飾がほどこされ、その手前には白い花が山のように積まれていた。花の名前は分からないが、手向けの花だということは分かった。
つまり、ここは通夜の場なのだ。
見ると、ほかにも人がいた。棺から少し離れたところに、白い法衣の女性が立っている。後ろには鎧の騎士を十人ほど従えていた。女性は胸の前で両手を組み、この騒ぎの中でも、絵に描いたような穏やかな微笑みを浮かべている。
「まあ、まあ。神聖な弔いの場で、剣も炎もいけませんわ」
声は鈴のようにきれいだった。でも、目だけが笑っていない。
「魔王領は主を失った無主の地。ならば、その財は神と王国のもとへ還るのが道理でしょう? あなた方が争う理由は、もうどこにもありませんのに」
「黙れ、聖女!」
「ふざけないで!」
勇者と魔王の娘が、今度は声をそろえて怒鳴った。騎士たちがいっせいに剣の柄へ手をかける。
ああ、と思った。
知っている。この空気は、よく知っている。
故人が亡くなって三日目くらい。悲しみが怒りに変わり、怒りが欲に火をつけ、誰もが「自分こそ正しい」と信じこむ段階だ。
ここで止めなければ、この家族は──いや、この人たちは、二度と同じテーブルに着けなくなる。
体が先に動いていた。
俺は立ち上がり、ぱん、と両手を打ち鳴らした。
「はい、いったん全員座りましょう」
その瞬間、右手の甲が焼けるように熱くなった。
見ると、皮膚の上に光の紋様が浮かんでいた。封蝋と同じ、角の生えた髑髏の紋章だ。紋章から光の波が広がり、広間の空気がぐにゃりとゆがむ。
そして。
ガシャン、と鎧の音がして、勇者がその場で正座した。
「なっ……!?」
魔王の娘は、ドレスのすそを広げてぺたんと床に座りこんだ。聖女も、騎士たちも、まるで見えない手に肩を押されたように、次々と膝をついていく。
「か、体が勝手に……!」
「なにこれ、魔力が……動かない……!」
広間に立っているのは、俺だけになった。
……いや、待て。俺は何をした?
「お見事でございます」
しわがれた声がした。
棺の陰から、ひとりの老人が歩み出てくる。いや、老人と呼んでいいのか分からない。燕尾服のような黒い礼服を着た、二本足で立つ黒山羊だった。ねじれた二本の角に、白い長いあごひげ。片目には金縁の片眼鏡をかけている。
山羊頭の老人は、俺の前まで来ると、胸に手を当てて深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました、執行者殿。わたくしは魔王軍宰相、ガルムロッドと申します。亡き陛下の遺言書をお預かりしている者です」
「執行者……」
「はい。陛下は誓文遺言によって、あなた様を遺言執行者に指名なさいました。召喚の際に授かった加護は【遺言執行者】。遺言の執行にかかわるあなた様のお言葉には、世界律の拘束力が宿ります」
ガルムロッドは、正座させられて顔を真っ赤にしている勇者と魔王の娘を、ちらりと見た。
「たとえば『遺言開封の場に、全員座って立ち会え』というご指示には、勇者であれ魔王の娘であれ逆らえません」
「……座れ、とまでは言っていないんですが」
「ご謙遜を。皆さまが立ったままでは開封できぬと、心のどこかでお思いになったのでしょう」
思った。確かに思った。いつもの癖で。
……とにかく、まずは遺言書だ。
このときの俺は、まだ知らなかった。これから読み上げるその遺言書に、俺自身を「次の魔王」にする一文が書かれていることを。




