夢で助けを求める彼女
目が覚める直前、声がする。
——助けて。
最初にそれを夢だと思ったのは、たぶん正しい。
ただの悪夢。誰にでもあるやつ。
顔も分からない少女が、どこかで追い詰められている。
振り向いて、息を詰めて、そして。
——助けて。
そこで終わる。
何度も見た。
年に数回とかじゃない。もっと、断続的に。忘れた頃にまた来る。
でも、怖さは薄れていった。
繰り返し見る夢は、だんだん“慣れる”。
ただ一つだけ、変わっていったものがある。
距離だ。
最初は遠かった。
声もぼやけていた。
それが、少しずつ近づいてくる。
表情が分かるようになって、息遣いが聞こえるようになって、最後には——
はっきりと、目が合った。
*
駅前で彼女を見かけたとき、心臓が変な鳴り方をした。
似ている、じゃない。
同じだった。
夢の中で何度も見た、あの少女。
いや、違う。
夢のほうが“近づいてきた”のかもしれない。
人混みの中で、彼女は普通に歩いていた。
スマホを見て、誰かに軽く会釈して、何事もない顔で。
おかしい。
——助けて、って言ってたはずだ。
気づいたら、声をかけていた。
「あの」
彼女が振り向く。
一瞬、目が合う。
夢と同じ目だった。
「……何ですか?」
警戒している。
当然だ。
でも、それでいい。
今はまだ、何も起きていない。
「最近、何か変わったことありませんか」
言いながら、自分でもおかしいと思った。
でも、止められなかった。
「……は?」
「危ない目に遭いそうになったりとか」
完全に不審者だ。
分かっている。
でも、ここで聞かないといけない気がした。
夢は、いつも唐突に終わる。
つまり、前兆があるはずだ。
「ないですけど」
彼女は即答した。
少し苛立ったような顔で。
「そうですか。すみません」
一度、引く。
ここで押すと、全部壊れる。
守るためには、距離が必要だ。
——まだ間に合う。
そう思った。
*
それから、彼女のことが頭から離れなくなった。
夢は続いていた。
むしろ、はっきりしていく。
暗い道。
人気のない場所。
背後から近づく影。
まだ“何か”は起きていない。
でも、確実に近づいている。
だったら。
起きる前に止めればいい。
それだけの話だ。
*
最初は、ただ見ているだけだった。
同じ駅。
同じ時間帯。
偶然を装って、同じ空間にいる。
彼女は、何も知らない。
いつも通りに生活している。
それでいい。
危険が来るまでは。
ある日、彼女の後ろを歩く男がいた。
距離を保ちながら、妙についてくる。
フードを深くかぶっていて、顔が見えない。
夢の中の“影”と、よく似ていた。
心臓が強く鳴る。
来た。
そう思った。
気づいたら、男に声をかけていた。
「何してるんですか」
男は露骨に嫌そうな顔をした。
「は?関係ねぇだろ」
そのまま舌打ちして去っていく。
彼女は、何も気づいていない。
でも。
それでいい。
守れた。
そう思った。
*
それからは、少しだけ踏み込んだ。
彼女の帰り道を把握する。
人通りの少ない場所を覚える。
時間帯を記録する。
危ない条件を、一つずつ潰していく。
これは監視じゃない。
予防だ。
事故を未然に防ぐのと同じだ。
そう説明すれば、たぶん誰でも納得する。
——するはずだ。
*
夢の中で、彼女はよく振り返る。
何かに気づいたように。
そのタイミングを、ずっと考えていた。
何を感じているのか。
どこで“異変”に気づくのか。
それが分かれば、もっと早く動ける。
もっと正確に守れる。
だから、ある日。
少し距離を詰めてみた。
彼女の後ろ、数メートル。
気づかれない程度に。
彼女は歩く。
普通に。
でも、途中で。
ふっと、振り返った。
心臓が跳ねる。
夢と同じだ。
彼女の視線が、一瞬こちらを捉える。
そして。
すぐに逸らされた。
気づかれていない。
ただの偶然だ。
でも。
確実に近づいている。
*
違和感は、その頃からあった。
小さなものだ。
彼女が、時々後ろを気にするようになった。
歩く速度が、少しだけ速くなることがあった。
スマホを握る手が、強くなっていた。
でも、それは当然だ。
危険を感じているからだ。
俺が守っているから、未然で止まっているだけで、
本来ならもっと悪い形で現れていたはずだ。
そう考えれば、全部説明がつく。
むしろ。
正しく機能している証拠だ。
*
夜だった。
帰り道。
人通りが少ない。
夢に近い条件が揃っている。
ここで何かが起きる。
そう確信していた。
だから、距離を詰めた。
今度は、はっきりと。
彼女が振り返る。
目が合う。
恐怖が、浮かんでいる。
——違う。
それは、本来“別の何か”に向けられるはずのものだ。
「待って」
声をかける。
彼女が後ずさる。
「来ないで」
その声。
夢と同じ震え方だった。
「大丈夫。守ってるから」
一歩、踏み出す。
「やめて!」
彼女の声が大きくなる。
周囲の空気が変わる。
でも、関係ない。
ここで止まったら、間に合わない。
「危ないやつ、いたでしょ。ずっと見てた」
言葉が滑る。
止まらない。
「だから——」
「助けて!!」
その叫び。
完全に一致した。
夢と。
ぴたりと、重なった。
*
そのあと、音が一気に増えた。
誰かの声。
足音。
腕を掴まれる感触。
地面に押さえつけられる。
彼女の姿が遠ざかる。
「大丈夫ですか!?」
誰かが彼女に声をかけている。
彼女は、泣いていた。
こちらを見ない。
当たり前だ。
まだ、終わっていないだけだ。
本当の“危険”は、これから来る。
そう思っていた。
*
事情を説明しようとした。
夢のこと。
予測のこと。
守ろうとしていたこと。
でも。
途中で気づいた。
誰も、聞いていない。
いや、聞いてはいる。
ただ、理解しようとしていない。
「ストーカー行為で通報が入ってます」
淡々とした声。
「本人も強い恐怖を感じているとのことです」
違う。
それは。
本来、別の何かに向けられるはずの——
そこで、言葉が止まった。
*
あの夢は、正しかった。
彼女は、確かに叫んだ。
——助けて。
ただ一つだけ、間違っていたのは。
その言葉が、誰に向けられていたか。
*
それからしばらくして。
また、夢を見るようになった。
同じ声。
同じ距離。
でも、顔が違う。
まだぼやけている。
これから、はっきりしてくるはずだ。
目を覚ます。
心臓は、静かに鳴っている。
——今度こそ。
そう思いながら。
俺は、次の誰かを探しに行く。




