1-09.彼女との出会い
ナーチェが新しく移り住んだ土地には、小さな魔法使いがいた。
彼女と出会った日のことは、今でもはっきりと覚えている。
それは、越して来て半月も経っていない頃。まだ友達はいなかった。
人見知りする、までではなかったが、自分から声をかける勇気が少し足りない子どもだったのだ。
家にいても、つまらない。かと言って、訪ねて行く友達もいない。
一人で遊びに出掛けたナーチェは、近くの丘へと足を向ける。
小さな魔法使いは、その丘にいた。
見たところ、自分と同じ年くらいだろうか。もしかしたら、年下かも知れない。きっと十にもならないだろうに、風をあやつっている。
魔法のことは、よくわからなかった。これまで身近に魔法使いという存在がいなかったし、それが素晴らしいことなのかどうかも判断できない。
それでも、彼女がきれいだと思えた。とても素直に、そう思えた。
やがて、少女はこちらを見ているナーチェに気付く。
「こんにちは」
くったくのない笑顔で、少女は挨拶した。
「こ、こんにちは」
急に声をかけられて、ナーチェは少しどきどきしながら挨拶を返す。
「初めて会うよね? シェルヴァンナへ遊びに来たの?」
「ううん。この前、引っ越して来たの」
「そうなんだ。あたしはトゥレーヌ。あなたは?」
「ナーチェ」
「よろしくね、ナーチェ」
これまでなかなか踏み出せなかった会話が、トゥレーヌによってあっさりと成立してしまった。
「あ、あの、トゥレーヌは魔法使いなの?」
おずおずと、ナーチェは尋ねた。
「ううん、違うよ」
トゥレーヌは、ナーチェの言葉をあっさりと否定する。
「え、あの、でも、さっき風をあやつってなかった? 花びらが……」
ナーチェがトゥレーヌを見て「風をあやつっている」とわかったのは、彼女の周りでたくさんの花びらが舞っていたからだ。
それも、気紛れな花吹雪などではなく、まるでそれぞれが意思を持っているかのように並んで、もしくは広がって。
「あれはねぇ、初級でも下の術なの。おじいちゃんに言わせると、あたしは半人前にも満たないって。お前はまだ魔法使いとは言えん、なんだって」
最後は言った人をまねているのか、トゥレーヌは口調を変える。その様子がおかしくて、ナーチェはくすっと笑った。
「悔しいけどねー。確かに、まだ風が見えにくいから、花びらを使ってわかりやすくしてるの」
トゥレーヌの言葉に、ナーチェは首をかしげた。
「見えにくい? 風は目に見えるものじゃないでしょ。風に動かされた物は見えるだろうけど」
「うん、普通の人はね。でもね、魔法使いになると、風が見えてくるんだよ。水や火が見えるように、風も自分の目で見えるようになるの」
知らなかった。
魔法使いというのはすごいものだと思っていたけれど、風が見えるなんて想像以上にすごい。
そして、目の前にいる少女は、まだ途中段階ではあるらしいが、風が見えているのだ。
「あたしねぇ、物が動くから風がわかる、とかじゃなくて、早く風そのものが見えるようになりたいの。絶対、サンジュリアンより先に見えるようになりたい」
後のセリフには、妙に力がこもっていた。
「サンジュリアン?」
「うん、うちのおじいちゃんに魔法を習ってる子でね。きっと、今ならうちにいるよ。おいで」
ナーチェの返事を聞く前に、トゥレーヌはもう彼女の手を引いて歩き出していた。
その後、サンジュリアンに会い、ユニ・ブランに会い、それからトゥレーヌを囲む色々な人に会って、ナーチェは新しい土地に溶け込んでいった。
おとなしくしてるなんて、ソンよ。言いたいことは、ちゃーんと言わなきゃ。自分の意思はしっかり伝えなきゃ、相手にだって失礼よ。
それまでは、どちらかと言えば物静かだったナーチェ。だが、トゥレーヌに出会ってから何度もそんなハッパをかけられ、やがてはトゥレーヌでさえ黙らせてしまう程に強くなった。
やっぱり、魔法使いってすごいんだ。ううん、トゥレーヌがすごいんだよね。
☆☆☆
「ユニ・ブラン……」
力のない声が、魔法使いの名を呼んだ。
そちらを向くと、意識のない子どもについていた母親の一人がこちらへ近付いて来ている。ふらふらと、危なっかしい足取りで。
落ちくぼんだ目が、魔法使いを見ている。その目は、正気の色を失いつつあるように思えた。
「お願い、うちの子に癒しの魔法をかけてやって。いつまで経っても、目を覚まさないの」
子どもが意識を取り戻さない理由は、魔法使いや王女の口から告げられている。
魔法をかけたところで、何も変わらない。つらい状況だが、今は待つしかない、とわかっているはず。
だが、疲れと絶望で、精神的に限界がきているのだ。
「わかったわ。あなたの子はどこ?」
その母親の気がおかしくなりかけているのを承知で、ユニ・ブランは彼女の子どものそばへ行った。
まだ七つか八つくらいであろう、女の子だ。その子どもの額に、手をかざす。すると、ユニ・ブランの手元がぼんやりと光った。白く淡い光。
しばらくすると、その光はゆっくり消えた。ユニ・ブランは母親の方を向くと、にっこり笑う。
「じき、目を覚ますわ。あなたも、少し眠った方がいい」
「いえ、この子が目を覚ますのを待ちます」
髪を振り乱すようにして、首を横に何度も振る。
「あなたは、とても疲れている。子どもは大人が思う以上に、親のことをよく見ているものよ。あなたがこの子を心配するのはわかるけれど、この子が目を覚まして今のあなたを見たら、もっと心配するわ。大丈夫よ。少し眠れば、すぐに疲れなんて飛んでしまうから」
ユニ・ブランに説得され、母親は小さくうなずいた。
魔法使いは子どもにしたのと同じように、彼女の額に手をかざす。母親の身体が前のめりになるのを支えてやり、ゆっくりと横たえた。
ユニ・ブランは、しばらく手をかざし続ける。
「あれが、癒しの魔法?」
ユニ・ブランの様子を見ながら、ナーチェに聞いてみる。
「そうよ。……って言うか、あの母親にかけたのはたぶん、眠りの魔法ね。今は癒やしの魔法を子どもにかけても、何も変わらないから」
「魂が戻らんことには、解決せんもんな」
子どもに向けて使った魔法は、それらしく見せただけだろう。
「ユニ・ブランは癒しの魔法が得意ってこと、覚えてるの?」
「何となく。けど、どんな風に使うかまでは、わからへん」
「そっか。あたしは魔法使いじゃないから、何をどうって説明はできないけどね。患者を何人診ても医者は死なないけど、あの魔法はそうもいかないみたい。相手の容体によって、魔法使いもかなり体力を使うらしいから」
ゲームなどであれば、MPがなくなる、みたいなものだろう。
「まだ一人だけやけど、あんな人がこれからもっと出て来るな」
「うん……。最初に意識がなくなった子なんて、もう三日だからね。その親も、かなり疲れてると思う。気は狂わなくても、身体がおかしくなっちゃうわ」
ナーチェは、ここクレーレットの城で働いている。普段はメイドの仕事をしているが、今回の件で被害に遭った親子の世話をすることになったらしい。
飛鳥が見ているよりも、はるかにそういう状態を感じているだろう。
ナーチェ達は交替できるが、親は交替できない。せいぜい、父親か祖父母が替われるくらいだ。
見回してみたところ、子どもについているのはほとんどが母親。家庭の事情もあるだろうし、誰もが相当な負担を強いられているはず。
「サンジュリアンやらは、まだ見付けられへんのか」
こんな様子を見ているのは、たまらない。一体、魔法使い達は何をしているのだろう。
魔物さえ、いや、その魔物が持っているという赤い玉を見付けられさえすれば、子ども達は助かるはずだ。
「あー、もうっ。いらいらするわぁ」
待っているのがもどかしい。
「あ、ちょっと飛鳥。どこへ行くの」
広間を出て行こうとする飛鳥に、ナーチェが声をかける。
「外や」
「え、外って……ちょっと待ちなさいよ」
「サンジュリアンやらがまだ帰って来ぃひんか、見て来るだけや」
そう言い残すと、飛鳥はさっさと広間の外へ出た。





