1-27.救いの風
「何、今の……」
魔物も驚いているが、飛鳥もかなり驚いていた。
誰か魔法使いが現れたのかと思ったが、周りに誰もいない。ミュスカデルがまた気紛れを起こしてここまで来たのか、とも思ったが、どこにもその姿はなかった。
「もしかして……うちがやったんか?」
聞いても、誰も近くにいないので答えてもらえない。でも、それ以外にこの状況では考えられなかった。
「昨日、あれこれ呪文試して何もなかったけど。よし、ものは試しや」
飛鳥は、風が起こるように念じた。すると、足下に小さな竜巻が現れる。
「お、なかなかええ調子や。ほな、あれ取っといで」
竜巻に命令すると、竜巻は魔物へ向かって行き、その手に抱えている赤い玉を弾いた。
「うまい、うまい」
ぽーんと玉が飛び、飛鳥がそれをドッジボールの要領で両腕で受け取る。
魔物が大きかったので赤い玉は小さく見えたが、飛鳥が持つとバレーボールの大きさくらいある。
不透明な赤いガラスで作られたような玉だ。この中に、子ども達の魂が閉じ込められているのだろう。だが、覗き込んでも見えない。
「この玉はもろたで」
飛鳥はそう言うと、一気に森の外へ向かってダッシュした。
魔物はエネルギーの元を奪われて、黙っているはずがない。
飛鳥の後を、さっきより勢いをつけて追って行く。
「いたぞ、あそこだ」
どこかで声がした。今のはグルナッシュだろうか。
だが、魔物は魔法使い達には一瞥もくれず、ひたすら飛鳥を追い続ける。魔物も生きる源にできる物を奪われているのだから、必死だ。
ようやく森の外へ出たが、魔物は飛鳥を追うのをやめない。
飛鳥はまたさっきのように風を起こそうと思うのだが、走るのに必死で集中できない。止まって念じようとすれば、その間に魔物が飛び掛かってくるだろう。
狙いは、この赤い玉だ。これを放り出せば、魔物はすぐにそちらへ飛び付くはず。
でも、せっかく手に入れたものを、簡単に手放したくない。飛鳥も変な所で頑固なのだ。
「飛鳥っ」
何人かの魔法使いの声が重なる。背中に、魔物の息遣いを感じた。途端に氷水をかけられたように、寒気が走る。
もうあかん!
そう思った途端、飛鳥の身体が浮いた。それから、どこかの上を少し転がる。
魔物の爪に引っ掛けられ、地面を転がったのかと思った。その割には、どこも痛くない。
もう死んでしまったのだろうか、とまで考えた。だからきっと痛くないのだ。目の前が、真っ白になっている。
真っ黒よりはいいかも、などとのんきに思い、覚えのある風を感じて飛鳥は正気に戻った。
「え……えー、ミュスカデル?」
(危ないところだった。だから、何が起こるか知らんと言ったのだ)
そんなことを言いながら、魔物に襲われるぎりぎりのところで、ミュスカデルが飛鳥を救ってくれたのである。
横から現れて飛鳥を鼻面で跳ね、そのまま背中に乗せた。普通の馬が体当たりしてくれば大ケガは免れないというものだが、そこは魔獣である。
風を起こして自分の背から飛鳥が落ちないようにすることくらい、楽勝だ。
目の前が真っ白だったのは、ミュスカデルの身体が目に入ったからだ。今はかなり高くまで飛んでいるので、飛べるはずの魔物もすぐには追い付けない。
「おおきに、命の恩人やわ。人とちゃうから恩馬、かな。恩ペガサス……?」
また死にかけた、という緊張感が全くない飛鳥である。
下では、この様子を魔法使い達が見ていた。
飛鳥が無事で胸をなで下ろしたのが半分、風の魔獣が突然現れて驚き半分、という心境で。
「飛鳥はまた来ていたのか」
空を見上げ、リラックが軽くため息をつきながらつぶやく。
どうやら、どこかに縄で縛り付けておくぐらいのことをしなければ、あの少女はおとなしくしていられないらしい。
しかも、最悪のタイミングで現れるから困る。
「グルナッシュ、あの風の魔獣、もしかして……」
ペガサスから目を離さないまま、サンジュリアンが隣にいるグルナッシュに尋ねた。
「ああ、トゥレーヌが呼び出していたペガサスだ」
答えはわかっていた。
サンジュリアンも、あのペガサスは何度も見ている。弔いの日以降は、姿を現さなかったが。
「どうして、飛鳥が乗ってるんだ」
「さぁ。後でゆっくり聞けばいいさ」
グルナッシュにも、あの魔獣の気持ちはわからない。トゥレーヌが好きだったんだろうな、と推測する程度だ。
一方、あとわずかで獲物を手にできたはずの魔物は、あと少しという時に思わぬ邪魔が入り、怒りの声を上げた。
昨夜、サンジュリアンがつけた背中の傷は、完治していない。所詮は人間が使う魔法道具、魔物には使いこなせず、回復しきれないのだろう。
それでも、ないよりはましだった玉を、飛鳥が奪ってしまった。全てを自力で何とかしなければならない。攻撃も防御も回復も。
魔法使い達はあの玉を傷付け、中に閉じ込められている魂を傷付けることを危惧し、魔物を攻撃しかねていた。
だが、もうそんな余計な心配はしなくていいのだ。
力の元を失った魔物と、遠慮なく攻撃魔法が使える魔法使い達。結果は、この時点で見えている。
だが、魔物も自分の命がかかっているとなると、力の出し惜しみはしない。
鼓膜を破りかねない大音響で吠えた。あまりの音に、魔法使い達がひるむ。攻撃も防御も、わずかにおろそかになってしまう。
それを狙うように、魔物の身体から炎が吹き出した。
「うわっ」
黒い不気味な炎。放射線状に炎は広がり、魔物を囲んでいた魔法使い達はその炎に焼かれる。
「こらぁーっ! 何すんねんっ」
飛鳥の怒鳴り声と同時に、魔法使い達と魔物の間に風の壁が現れた。魔物が出した炎は、その壁に阻まれて魔法使い達まで届かなくなる。
魔法使い達はと言えば、火傷しかけた顔や腕に風が当たると熱さが引いた。
「ええ加減にしぃや。人がおとなししてたら、あほの一つ覚えみたいに何回も追い掛けてからに。もうこっちも黙ってへんで。いてもうたるから、覚悟しぃや。エサや思て人間ナメてたら、痛い目に遭うゆうの、教えたるわっ」
そこいらの竜巻より、回転の速い飛鳥の口撃。ただ、魔物に理解できるかどうかは別である。
「これ、飛鳥がやってるのか?」
降りてくるペガサスを目で追いながら、サンジュリアンがつぶやいた。
飛鳥は魔法が使えなかったはず、だ。それなのに、魔物の炎を阻み、それだけではなく、彼らの傷を癒やした。
防御と癒しを同時に行うなんて、熟練の魔法使いにだってなかなかできることではない。
なのに、魔法使いではないはずの飛鳥が、そんな魔法を使っているのだ。
「癒しの術は、ユニ・ブランに仕込まれていたが……驚いたな。何をしでかすかわからない所は、昔と同じだ」
魔物に焼かれた傷がなくなった腕を見て、グルナッシュが軽く口笛を吹いた。
「トゥレーヌって、本当に風の魔法使いなんだな」
未熟ながらも風の魔法を得意としているアロース・コルトンだが、飛鳥の出した風の結界を見て、素直に感心している。
同じことをやれ、と言われてもまず無理だ。
「しかし……あいつの言葉は、時々わからなくなるな。怒ってるってのは、一応わかるけど。いてもうたる……って、何だ」
サンジュリアンが首をかしげた。
日本人でも、関西の言葉がわからない人がいる。シェルヴァンナの人間に理解しろ、と言う方が無茶なのだ。
「飛鳥、もう魔法を使うんじゃないっ」
リラックが、地上へ降りた飛鳥に怒鳴った。
「その玉を持って魔法を使うと、魂の力がなくなってしまうんだ。もうやるんじゃない」
「え……」
「そこを動くな。その玉を持って、おとなしくしているんだ」
リラックの言葉で、風の結界が薄れる。飛鳥は意識していないが、魔法を使うのをやめた、という状態になったらしい。
魔物の身体からは、もう炎は出ていなかった。
出ているのは、血。飛鳥はさっき怒鳴りながら、風の刃を魔物に放っていたらしい。魔物は風に囲まれたまま、その刃を身体に受けていたのだ。
(あれだけやったのだ。後は彼らにまかせておけ)
そちらへ行こうとする飛鳥を、ミュスカデルがその襟首をくわえて止めた。





