第171話 異世界で“動き始めた岩”を見た日
翌朝。
採石場には、昨日と同じ岩があった。
筏の上に載せられたまま、静かに横たわっている。
だが――
もう、ただの岩じゃない。
あれは“動かせる状態”だ。
私はそれを見上げながら言った。
「ようやく、今日からこれを動かす段階ね」
ダイチが肩を回す。
「いよいよだな」
ゼノが笑う。
「やっと本番か」
⸻
まずは経路の確認から。
全員で、港へ向かう道を歩く。
横幅は十分に取れているか。
引っかかる岩や石はないか。
目についた障害物は、その場で取り除いていく。
大きな石はてこの原理で動かし、
細かいものは手分けして運び出す。
進みながら、道そのものを整えていく。
地面はほぼ平坦。
石も少ない。
だが――
完全ではない。
私は足を止める。
わずかな違和感。
視線を落とす。
「……少し下り坂になっているわね」
シエルが同じ場所を見て頷いた。
「ほんのちょっとだけだけどね」
「ええ」
私は答える。
「この程度なら大きな問題はないと思う」
ダイチが地面を蹴る。
「この辺りなら、楽に運べそうだな」
ゼノが笑う。
「それなら助かるな」
「油断は禁物よ。特に良い条件が揃っている時こそね」
私は短く言った。
全員の表情が引き締まる。
⸻
採石場へ戻る。
岩の前に、全員が配置につく。
「岩を動かすのに使う櫓は二つ」
私は言う。
「岩が櫓を越えたら一度解体して前方で組み直す」
ダイチが聞く。
「二つだけで動くのか?」
「丸太の上を動かすだけなら二つで十分よ」
ゼノが頷く。
「二つの櫓を使ってる間に、残りは前に運ぶってことか」
「ええ」
私は丸太を指差す。
「解体した櫓の丸太も後ろに抜けた丸太も人の手だけでは運ばない」
視線が集まる。
「前に運ぶ丸太は岩の横に置いて丸太の上を転がす」
ネストリア兵の一人が眉をひそめた。
「……それで本当に運べるのか?」
「大丈夫よ、できるだけ効率的にやらないと、人員も限られているし。前に運ばれた丸太は人の手で並べる必要はあるけどね」
バズが笑った。
「いいな、それ」
⸻
これだけ大掛かりな作業だ。
まずは予行演習が必要。
安全第一――それを忘れてはいけない。
まずは解体した二つの櫓の丸太を運んでみる。
「まず岩の横に置いて」
丸太を並べる。
「岩を動かした後、後ろに抜けた丸太も同じようにするのよ」
今は岩を動かしていないので、人の手で引っ張る。
だが――
下の丸太が回れば、丸太は自然と前へ転がっていく。
「……ああ、なるほど」
ダイチが呟く。
「これなら丸太は勝手に前に運ばれるな」
ゼノが丸太を拾う。
「それでこれを並べるだけで良いわけか」
私は頷いた。
前に置く丸太の間隔は均等に。
櫓はできるだけ前方に配置する。
そうすれば無駄なく作業が流れる。
これを繰り返せば、目的地まで運べるはず。
⸻
「じゃあ、動かすわよ」
空気が変わる。
ロープを握る。
櫓が軋む。
滑車に通されたロープが、わずかに揺れる。
「……本当に二つの櫓だけで動かせるのか?」
ネストリア兵の一人が呟いた。
私は短く答える。
「正しく力を加えれば大丈夫よ」
ロープはそのままではなく、滑車を通している。
引く人数以上の力が、岩へ集まる。
「――引いて」
ロープが張る。
ギシ、と櫓が鳴る。
力が、真っ直ぐ岩へ伝わる。
そして――
昨日より、明らかに大きく動く。
丸太が転がり岩が滑る。
「動いた!」
「いけるぞ!」
ざわめきが広がる。
「止めて」
一度止める。
「丸太、回して」
後ろから抜く。
横へ。
そのまま前へ。
並べる。
「櫓、前へ」
解体。
前方へ運ぶ。
再構築。
「次」
引く。
動く。
止める。
流れるように繰り返す。
作業が回り始める。
掛け声が揃う。
動きが揃う。
人の動きが、一つの流れになる。
「いい感じだな」
バズが笑う。
「これなら普通にいけるぞ」
ゼノも言う。
「問題ない」
ダイチが頷く。
⸻
そのとき。
――前方から、声が飛んだ。
「真希! ちょっと待って!」
シエルの声。
作業の手が止まる。
私は顔を上げた。
「どうしたの?」
前方で、次に使う櫓に滑車を取り付けていたシエルがこちらを見ている。
「岩、さっきより速くなってる」
その一言で、空気が変わった。
「……え?」
私はすぐに岩へ視線を戻す。
動いている。
確かに動いている。
だが――
さっきと同じに見える。
「気のせいじゃないの?」
私はもう一度岩を見る。
近くにいると、速さは分からない。
「違う。少しずつだけど、確実に速くなってる」
シエルはきっぱりと言った。
前方から全体の流れを見ていたからこそ、気づける変化。
――私は、近くで見すぎていた。
細かい変化に、気づけていない。
背筋に、冷たいものが走る。
私は視線を落とした。
地面。
さっき確認した場所。
わずかな傾斜。
「……下り坂の傾斜、甘く見てたわ」
顔を上げる。
「……待って」
声を上げる。
全員が止まる。
私は短く言った。
「ここからは止めることを前提に動かす必要がある」
沈黙。
全員が岩を見る。
今は止まっている。
だが――
次に動かせば。
止まらなくなるかもしれない。
風が吹く。
ロープが揺れる。
岩はそこにある。
だが――
もう、ただの岩じゃない。
制御を誤れば――
人も、全部巻き込む。
……それだけじゃない。
ネストリアとの関係も――
無事では済まない。
私はその姿を見ながら、静かに息を吐いた。
――問題は、ここからだった。




