第169話 異世界で“巨大岩を動かす準備を始めた日”
急流の朝は、まだ水音が強かった。
昨日と同じ場所。
同じ流れ。
だが、今日はやることが違う。
私は急流に掛かった横木を見上げた。
ここに渡された五本の横木は、昨日まで丸太止めとして使っていたものだ。
今日はこれを外して、下流へ流す。
私は一本目の横木に掛けたロープを確かめた。
「準備はいい?」
隣でシエルが頷く。
「ダイチたち、準備しているかな」
「また遊んでたら怒るわよ」
シエルが肩をすくめる。
「大丈夫よ。段取りは話してあるから、下流で待機してくれているはず」
私は小さく息を吐いた。
「じゃあ、上から順番に外すわよ」
急流に掛かった横木は全部で五本。
上流側から順に外していく。
「一本目、行くわよ」
兵たちがロープを握る。
「外して」
支えが外れる。
横木が傾き――
ゴン、と鈍い音。
そのまま急流へ落ち、白い水しぶきの中へ消えていく。
「流れた」
「二本目」
間を置かず指示を出す。
同じ作業を繰り返す。
三本目。
四本目。
五本目。
すべて流し終えたとき、急流に掛かっていた横木は消えていた。
私は川面を見下ろす。
もう、流すものはない。
「これでここでの仕事は終わりね」
兵たちが息を吐く。
シエルが指を折る。
「全部で五本」
「ええ。あとはダイチたちが回収してくれるはず」
急流は変わらず轟いていた。
⸻
その頃。
採石場近くの下流。
ダイチとゼノは川岸で待ち構えていた。
「そろそろ来るはずだな」
「急流を抜ければ一気だ」
川面を見つめる。
やがて――
「来た!」
横木が流れてくる。
丸太にはあらかじめロープが掛けられている。
ダイチは長い棒を差し出した。
「ロープを引き寄せる!」
流れてきた丸太に付いたロープを引っ掛ける。
ゼノがそれを掴む。
「来た、引くぞ!」
二人でロープを手繰る。
流れに逆らいながら、少しずつ岸へ寄せる。
ギギ、と木が石に擦れる音。
ドサッ。
一本目が岸に上がった。
「一本!」
「次だ!」
二本目。
三本目。
四本目。
五本目。
同じ作業を繰り返す。
すべて引き上げ終えたとき、横木が岸に並んでいた。
ゼノが息を吐く。
「全部揃ったな」
ダイチが頷く。
「これで横木に使った丸太は全部だな」
周囲にはすでに集めてあった丸太も並んでいる。
ゼノが数える。
「……四十本」
ダイチが腕を組む。
「これで準備は整った」
二人は振り向く。
採石場。
巨大な岩が横たわっていた。
⸻
岩はすでに切り出されている。
だが――
動かない。
びくともしない。
「押してみろ」
若者たちが押す。
動かない。
「まるで山だな」
「これを運ぶのか」
私は岩を見上げる。
二十トン近い。
ここで整形する案もあった。
だが――
「予定変更よ。ここで整形するのは諦める」
「どういうことだ?」
「整形は港でやる」
私は岩に手を当てた。
「運ぶ途中で欠けたら意味がない」
「確かに」
「完成形にするのは最後。まず運ぶ」
⸻
問題は。
どう動かすか。
「櫓だな」
丸太三本で組んで頂点に滑車を取り付ける。
そして丸太を敷きその上を滑らせるように運ぶ。
「しかしこれだけ大掛かりになると人手はどのくらい必要だ?」
「七十人は必要ね」
「そんなにか?」
「引き手が五十。丸太管理が十。安全監視で十」
⸻
エドランが言う。
「バルド様へ報告します」
私は続ける。
「それと、もう一つ」
「なんだ?」
「穀物保管用の麻袋がたくさん必要よ」
「麻袋?」
「ネストリアで無理ならベルデ村にも頼んで」
「何に使うんだ?」
「とても重要な役割がある」
⸻
私は岩を見上げた。
そして、隣のヨラムを見る。
「この岩、そのまま乗せたらどうなると思う?」
ヨラムが眉をひそめる。
「……圧で割れる可能性があるな」
「ええ。荷重が一点に集中する」
私は丸太を指差した。
「だから分散させたい」
「板か」
ヨラムが言う。
「作れる?」
「サイズは?」
「岩が全部乗る大きさ。それと、人が乗っても割れない厚み」
ヨラムが少し考える。
「一枚板は無理だな」
「でも?」
「三枚をずらして組めば、合板にできる」
私は頷いた。
「それでいきましょう」
「任せろ」
⸻
その後。
板の準備が進む間に、現場も動く。
地面を均す。
丸太を並べる。
櫓の位置を決める。
四十本の丸太。
配置が決まっていく。
その先に。
巨大な岩。
私はそれを見上げた。
まだ動かない。
だが――
準備は整っていく。
すべてが揃えば。
この岩は動く。
私は静かに息を吐いた。
――問題はここからだ。
夕暮れの採石場で。
巨大岩は、まだ静かに横たわっていた。




