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「おじいさん……に変装してます?」
リピチアの目の前には腰の曲がった老人──に見える男がいる。本来ならここにはニックがいるはずだ。ニックの正確な年齢はわからないが、見た目だけならリピチアとさほど変わらない歳のはずだ。決して老人ではない。
凄腕のクルースニクで、性格は気さくで陽気な“優しいお兄さん”。ちょっぴり女性に甘くてお茶目という話はあるが、信頼に足る実績と人柄の青年。そして、リピチアの医者としての師であるソルセリルの親友──。それがニックという男だ。
「……ええと、ニックさん……ですよね?」
「いかにも。ご機嫌よう、お嬢さん」
古ぼけたローブに古そうな杖。使い込んだ革の手袋で手元は隠れている。目深に被ったのフードの下からは、見た目からは想像できないほどに若々しく艶のある声。お茶目な調子で挨拶されて、ニックさんだ、とリピチアはほっとした。
トゥルーディアとの約束を果たしにクルスの屋敷に訪れてみれば、通された部屋にはどこからどう見ても【腰の曲がった老人】がいたのだ。ニックさんが来るって聞いていたんだけどな、と恐る恐る聞いてみた結果がこれだった。
「クルスさんのところに来るだけなのにそんなに気合いの入った変装をしなくても……」
「俺くらい有名なクルースニクになると人の目を引くからな」
「はあ」
冗談なのか本気でいっているのかは微妙だが、ニックは全く意味のないことをするタイプでもない。人目を避けたい理由があったんだろうな、とリピチアは考え、思い至った。
「……“クルースニク”たちにとっては、クルスさんたちの組織した……“アガニョーク”はあまり良いものではないからですか?」
様々な事情があれ、【闇に親しむもの】たちを保護・支援する“アガニョーク”の活動は、善を愛し怪物を屠る使命を持ったクルースニクたちからすれば目障りなことこの上ないだろう。そんな組織の長とも言えるクルスの屋敷にニックが気軽に訪れるというのは、彼らにとっては好ましいこととは言えないはずだ。だから姿を隠してきたのだろう、と考えたのだ。
「“商人”としていつもの姿でここにくることもあるんだけどさ。そう頻繁に同じ商人が出入りするのもおかしいだろ」
ニックはリピチアの言葉を遠回しに肯定した。やはりか、とリピチアは頷く。
「クルースニクも一枚岩ではないから。──俺と同じくらいの実力者で頭の固いのが二人いるんだよ。それでちょっと面倒なことになるからね。時折つつかれるし」
「よくまだ干されてませんね?」
「俺を社会的、物質的に抹殺できる奴なんかこの世には俺の兄くらいしかいねえからな」
ははは、とニックは軽く笑い飛ばすが、おそらく本当のことなのだろうとリピチアは思う。
オスカーにクルス。
本来なら“クルースニク”になることも、弟子入りすることも許されなかったはずのただの【人間】を快く迎え入れた上に、オスカーは他のクルースニクと遜色ないほどの活躍までしている。人間にしては本当に異例なくらいに彼は優秀だ。人の心に寄り添って助けようとする姿勢は、ある意味ではクルースニクよりも“クルースニクらしい”だろう。
そして、ニック自身も優秀だ。彼は満月の夜の大騒ぎに何度も参加しているはずだが、ニックが怪我を負っていたところをリピチアは見たことがない。ニックがクルースニクとして夜の闇にその身を現した日は、【闇に親しむもの】の被害が目に見えて少ないのも実感している。普段の素行が“クルースニクらしくない”からと仲間内からの評価は微妙なものらしいが、リピチアたち【人間】からすればニックのようなクルースニクがいるのはありがたい。堅苦しく融通の利かない息の詰まりそうな【クルースニク】よりは、時折冗談を飛ばすくらいには気軽な、ニックのような親しみの持てる者の方が頼りやすい。
そこまでの指導力、戦闘力を持った“クルースニク”を誰が手にかけられるというのだろう。絶対的なカリスマ性こそないものの、ニックは間違いなく英雄の素質のある人物だ。“俺と同じくらいの実力者”などと彼は嘯いてみせたが、大方“指導力”に特化した者が一人と“戦闘力”に特化した者が一人ずつ、といったところだろう。二人合わせてやっとニックに並べるか、或いは少し劣るか。
さっきの「俺と同じくらいの実力者」という言葉は謙遜じゃないんだろうな、とリピチアは思う。実力を隠しておきたいだけで、彼自身は自分の能力に疑いなど抱いていないはずだ。爪を隠しておきたいだけで、自分を小さく見せたいわけではないのだ。食えない人だ、と思いながらリピチアはにやりと笑ってニックの話に乗る。
「大きく出ましたね~?」
「ハッタリでもビビらせることが出来るんなら儲けものだろ?」
彼が「いつもの姿」であったなら、その青く優しい瞳で綺麗なウィンクをして見せたのだろうと思った。そういう“お茶目さ”が彼に親しみを持たせるのだ。そしてそういう振る舞いこそが、彼の爪と牙を巧妙に丸める。
「ハッタリだなんてまたまた~。ニックさんってばご冗談がお好きなんですから」
リピチアが軍医として所属しているルティカルの隊は、クルースニクと連携を図ることもある。それ故に少しばかりクルースニクの情報を手に入れることも可能だった。
手にいれることのできる資料でも【ニック】の存在感は他のクルースニクとは比べ物にならない。
そんなニックでさえ、未だに【闇に親しむもの】へのクルースニクの苛烈さを是正出来てはいないのだ。【クルースニク】の本質が“闇に生きる怪物を退治し、退ける者”であるからこそ、それを否定するような行いはそう易々と出来るものではない。それはリピチアも彼の弟子であるクルスやオスカーもよく分かっていることだ。
立ち回るのも難しいのだろうなとリピチアは想像する。半ば公然の秘密というような状態ではあるが、クルースニクのトップに近いニックが“こっそりと”クルスを支援するしかない、というあたりにその難しさがよく出ていると思うのだ。
「良いんですか、善の象徴たる“クルースニク”がハッタリなんてかましちゃって」
「良い嘘をつくのが良いクルースニクなんだよ」
少なくとも俺はそう思ってる──とニックはにやっと笑って見せた。悪戯小僧の顔だ。こういうところがあるから困るんですよね、とリピチアは心の中で呟いた。演技なのかそうでないのか未だに見極められてはいないけれど、それでも親しみを持ってしまうのだ。
「すみません、お二人とも。お待たせいたしました」
部屋に入ってきたトゥルーディオに「やあ」とニックが声をかける。トゥルーディオはいつものとおりににこにこして「お引き受けくださり感謝いたします」と深々と頭を下げた。
「リピチアさまも、ニックさまも。今から部屋の方にご案内いたします」
トゥルーディオは変装したニックを一目見て、ほんの少しだけ目を見開いた。驚いたのだろうとリピチアは思う。けれどそれ以上の表情は表に出さず、二人を連れて“吸血鬼に襲われた少女”がいるという部屋へと歩き始めた。
部屋のなかにはいつも通り、顔を隠すように布の袋を頭から被った人影がある。胸の半分くらいまでを隠している大きな布製の袋はリピチアが何度も見たことがあるものだ。ニックもどうやらそうらしい。老人のように曲げていた腰はいつものように伸ばし、杖はトゥルーディオに預けながら「まずはリピチア先生が診察するといい」とトゥルーディオを伴って部屋から出ていく。入れ違いで入ってきたのはトゥルーディアだ。女性の診察中に部屋の中にいるのは、ということなのだろう。ニックが自主的に出ていかなければリピチアが追い出していたところだ。
「お嬢様。お医者様が来て下さいましたよ」
布袋の下から出ている細い腕。その先の手を握り、トゥルーディアが優しく声をかける。布袋が少し動いた。頷いたのだろう。
「吸血鬼に襲われたときいていますが……まずは火傷の経過でしたか?」
「はい。一番酷いのは足で。“吸血鬼を追い払った時”に近くにあったランプを倒してしまったそうなのです。その為に火事が起こってしまい……。煙を吸ったせいか、声も出ません。それも診て頂けたら、と。それから、いつもの血液検査をお願いします」
「はい。吸血鬼に襲われたときの傷口は残っていますか?」
「そちらは……」
「治っちゃいましたか」
「はい」
トゥルーディアとリピチアは言葉を交わしながら、少女を診察していく。一番ひどいと聞いていた足の火傷は、それでも比較的軽い。一番ひどくてこれなら他のところはもうほぼ治りかけだろう、とリピチアは足に触れて診察していく。膝から下の部分が赤く、場所によっては軽度の水ぶくれが出来ている。足の裏に触れたときに少女がびくっと体を跳ねさせた。
「ごめんなさい。痛かったですね」
足の裏あたりは触れれば痛そうな具合になっている。これは歩くのも大変だろうとリピチアは顔をしかめた。とはいえ、治らないものでもない。これなら痕も残らないんじゃないかとリピチアは診療録をとる。どうでしょうか、と心配そうなトゥルーディアに「あとは時間が解決してくれますよ」とリピチアは少女の足首、手首を見始める。布の袋をちょっとめくってもらって、首の方まで見せてもらった。吸血鬼の多くは「首」がつく場所から血液を採ることが多いのだ。噛みつきやすく、また血管が収束しているからである。治ってしまったという言葉通り、どこをみても傷もなければ痣やシミもない。診療録にそれも書き込み、リピチアはふう、と息をついた。
「うーん。噛まれたとは思えないくらいに綺麗ですけど…」
“襲われた”ときにランプを倒してしまったと聞いたしな、とリピチアは診療録にペンを滑らせる。文字を書き連ねながら、本当は襲われずに済んでいたのかも、と考えた。
吸血鬼の大半は光と熱を嫌うというし、もしかすると実害を被る前に襲った吸血鬼は逃げてしまったのかもしれない。怖い思いをすれば記憶が曖昧になるのなんてよくある話で、彼女が見つかったときには気絶していた──とトゥルーディアは話していたし、運よく襲われずに保護されたんじゃないだろうか、と。それならそれでひと安心だ。とはいえ。
「一応血液を……検査のためにちょっとだけ貰っても?」
布の袋にたずねれば、こっくりと動いたのがわかる。これって大丈夫ってことですか? とトゥルーディアに聞けば彼女も頷いた。
「ちくっとしますけど、一瞬ですからねー」
持ってきた鞄のなかから注射器を取りだし、血液を少し抜き取った。その血液を簡易検査キットの薬品の中と、それから保存用の瓶の中に垂らす。「おしまいです」とリピチアは優しく布袋を被った人影に声をかけた。
「結果が出るまで三日くらいですかね。持ち帰って詳しく調べるので、ちょっと時間がかかりますが」
「心得ております」
トゥルーディアはほっとしたように頭を下げて、「いつも助かっています」と感謝を口にする。いえいえ、とリピチアはにっこりして、それから布の袋をちらりと見た。
「声……の方を調べようと思うんですが、これは取っても大丈夫ですか……?」
「あっ……ええと、それは……」
「ですよね。……うーん、どうしようかな。口がぎりぎり見えるくらいまで持ち上げてもらうのは大丈夫ですか?」
「ええと……そうですね、それなら……」
わたくしが押さえておきますので、とトゥルーディアが布袋をそうっと持ち上げた。口が見えるくらいのところまでめくってもらい、リピチアは「診察しますねー」と声をかける。袋からはらりと流れてきたのは銀色の髪で、随分長い。中佐の髪色によく似てるなあ、とぼんやり思った。ルティカルの方が貴族だけあって、もっと髪に艶があるけれど。
口を開けてもらって診察を終える。診察が終わるや否や、トゥルーディアはささっと布袋をもとに戻した。
「ううん、これもすぐにわかるようなことじゃないので、今すぐに結果を……というのは無理なんですが」
「ええ」
「燻されてしまったというのはわかりましたから、明日にでも薬を届けますね」
「解りました」
それじゃあ私はこれで、とリピチアは部屋を後にする。部屋の外にいたニックとトゥルーディオに声をかけて、クルスの屋敷を出た。




