28
「“吸血鬼”に襲われた少女、ですか?」
「ええ。先日保護したのです。──いつもの通り、内密に診察をお願いできたら、と。毎回申し訳なく思っているのですが、女性で医学に明るく、口の固い方となると、わたくしたちにはリピチア様しか思い浮かばす……」
ご無理を申し上げてしまって……と平身低頭のトゥルーディアに「別に良いですよ」とリピチアは軽く請け負った。丁度暇な時期であったし、トゥルーディアがそんなことを言う意味もよく理解できている。
件の“吸血鬼に襲われた”少女がどんな目に遭ったのかはわからないが、そういうことならソルセリルではなく自分が呼ばれるのも納得できた。
リピチアの師であるソルセリルは確かに腕は良いが、良い意味でも悪い意味でもそういった機微には疎い部分がある。デリカシーがない、という訳ではないが、淡々としすぎていて診られる方が萎縮してしまうことも少なくはないのだ。
“少女”と言われるような歳であるなら、ソルセリルに任せるよりは自分に任せた方が色々と都合は良いだろうな、とリピチアは考えた。あまりの無愛想さで診察中に泣かれても困るのだろう。お互いに。
「軍医といっても、最近は暇ですからねー。この前は森の調査に駆り出されたくらいですし。全然気にしなくて平気ですよ。──ええと、体のことでしたら私が診られますが。吸血鬼が関わってくるとなると、どなたかクルースニクの方も呼んだ方が良いのでは? 何かこう、魔的な不都合があったりしても大変でしょう?」
流石に“怪物”には詳しくないので、そちらの方面は面倒を見てあげられません──とことわりを入れたリピチアに、そちらは大丈夫ですとトゥルーディアが微笑む。
「それでしたら、ニック様が見てくださるとのことです」
「そうなんですか! それなら安心ですね。襲われてしまったことは不運ですが、私とニックさんのコンビなら抜かりはありません。ばっちり任せてくださいね!」
幸いなことにリピチアは吸血鬼に襲われたことはないが、襲われた被害者の多くが“恍惚とし、意識がもうろうとした状態”で見つかる。吸血行動をしやすくするために何らかの魔法、魔術、呪いの類いをかけているのだ──という話はあるが、詳しくは解明されていない。
リピチアのように医学をかじっていたり、或いはクルースニクのように吸血鬼に詳しかったりすれば、それが「蚊が血液を吸うときに対象の体内に流し込む麻酔のようなものによって引き起こされる現象」だと理解できているが、無理解な人間の中には“恍惚とし、意識がもうろうとした状態”であることを悪し様に蔑む人間もいるのだ。快楽を貪っていたに違いない、という憶測である。
実際に襲われるか、あるいは襲われた人間を診察するかすればよくわかると思うが、そこに艶かしくも生々しい“物語”などは存在しない。恍惚と言ったところで実際はぼんやりとしているだけだし、単に精神的にも肉体的にも無抵抗であることを強制された状態なのだ。
リピチアは襲われた直後の被害者を性別関係なく診たことがあるが、その誰もが“茸にあたって涎をたらし、無気力状態で地面に寝転がっているのと大差ない”状態だった。もとより、吸血鬼に脱力感などを伴う呪いなどをかけられずとも抵抗できる人間のほうが少ない。自分より強い“吸血鬼”に襲われ、抵抗できる人間はそういないのだ。生存本能が抵抗をためらわせる。抵抗したら殺されかねない状況で誰が抵抗するだろうか?
けれどそれに思い当たれない人間もいる。
下衆の勘繰りは無用な蔑みであって、命を救いたい医者にとっても、あるいは吸血鬼の繁栄を阻止したいクルースニクにとっても迷惑なものなのに。
そういった蔑みのせいで、“吸血鬼に襲われた”ことを気取られぬように被害者たちはその後の検査を避ける傾向にあるが──リピチアたちからすればそれは大間違いだと言える。検査を受けなかったせいで吸血鬼の牙を介して血液の病気にかかってしまう場合もあるし、最悪の場合は被害者自身が吸血鬼となってしまうことだってある。
悪し様に蔑む人間の無責任で非人道的な行いが、更なる悲劇を生んでいる。そのことに医者やクルースニクたちは頭を痛めているものの、馬鹿みたいな蔑みは後を立たない。
「その……そういうわけで、クルス様の屋敷に診察にいらして欲しいのです。それから──」
「顔が隠れたままでの診察でしょう? 大丈夫です。毎度のことですからね!」
「誰が襲われたのか」を診察した医者すらも知ることがないよう、被害者の顔には袋を被せるなり布で覆ってしまうなりして隠してしまうのが一般的だった。男性であっても女性であってもだ。顔を見るような検査でもないし、とリピチアは特に気にしていない。
クルスたちからこういった“吸血鬼被害にあったあとの検査”を頼まれることは少なくなかったし、患者の顔が布でぐるぐる巻きにされていたり袋が被っていたりするのも今更だ。顔を見られないことで患者が安心できるのならそれに越したことはないだろう。
「それじゃあ、お邪魔する時間を決めてしまいましょうか。ニックさんとも時間を合わせた方がいいですよね?」
「はい。ニック様からは“いつでも時間を空けておく”と言われましたので、リピチア様のご都合のよい時間であれば……」
「出来れば早い方がいいですよね~。明日……とか、明後日はどうですか?」
「それなら……」
明後日あたりが良いかと存じます、と応えるトゥルーディアに「じゃあそれで」とリピチアは頷く。「ついでにクルスさんの健康診断もしましょうか」などと軽口を添えて。
「まあ。リピチア様から見て旦那様は不健康でしょうか?」
「働きすぎでは? とは思いますね。中佐もそうですけど、クルスさんもお仕事大好きでしょう? たまには休まないとすぐ死ぬぞって言っておいてくださーい」
「かしこまりました」
ふふ、と笑ったトゥルーディアにリピチアもにっこりとする。
クルスが何をしているのか、どんな組織をつくったのか。知っているからこそ、誰かのために戦える彼らのことをリピチアは尊敬していた。
***
明後日にお医者様に診て貰いましょうね、とトゥルーディアが魔女の少女に声をかければ、少女は何ともいえない顔をする。少し戸惑ったような、けれどほっとしたような。何も怖いことはありませんよ、とトゥルーディアは少女の手を握った。相変わらずひんやりとした手だ。細い指先からは火傷のあとは見られない。よかった、とトゥルーディアは心から思う。こんなに細く華奢な指に火傷のあとなど、痛々しいことこの上ない。
「お医者様に診ていただいたら、少しだけ旦那様とお話をしていただけると嬉しいわ。旦那様、貴女のことをとても心配してらっしゃるの」
無理にとは申しませんけれど、と少女の手を優しく撫でたトゥルーディアに、魔女の少女はこくりと頷く。音のでない唇を動かし、「かならず」とだけこたえた。律儀なことだ、と思う。
本当は少女が乗り気でないのをトゥルーディアは知っている。クルスと会うのを怖がっているのを、トゥルーディアは知っている。けれど、そのままでは何一つ“終わらない”のだ。
このまま彼女をこの屋敷でずっと過ごさせることも出来なくはないだろう。クルスに頼み込めば、体調がもとに戻ったあとに魔女ではなく自分達と同じようにまともな──使用人としての生活を送らせることも出来るのかもしれない。しかし、それでは何一つ解決しないだろう。特にこの娘の場合は。
トゥルーディアもトゥルーディオも、師であった老婆が木に括られて、揺れる炎に焼かれるところで“終わってしまった”。そこから先、彼らに残っていたのは“魔女の従僕であった”という事実だ。その事実は幾度も二人を苦しめ、周りの人間には二人を虐げる“正当性”を与えた。
“魔女”が“まともな人間”よりずっと親切に接してくれたことも、そんな“老婆”に生き抜く術を教えてもらったことも、“まともな人間”は否定する。そうして二人を罵倒する。
それでも二人にとって“魔女の従僕であった”ことは忌まわしい過去でも何でもない。ある種の誇りであり、生きていくための因だった。
トゥルーディアやトゥルーディオはそれで良かったのだ。何が間違いで何が正しいのかを知っていたから。自分の中でそれが確立しているのなら、周りがどうこう言おうとどうだって良い。
しかし、この少女はそういう割り切り方を心得ているようにはみえない。だからこそ、自分の力で立てるようになってほしいとトゥルーディアは思っている。何が間違っていて何が正しいのかを自分の目で見極めてほしいと思っている。弱い人間にこそ、その技量が必要なのだとトゥルーディアは知っている。
弱くて小さな生き物を苛めて嬲ることは──真面目な気質のものを苛んで壊してしまうのは──まともな人間のすることではない。
それを知ることも出来ず、“人間”の立場にも“魔女”の立場にも寄ることが出来ず、宙ぶらりんなままで自分を苛め続けるのはとても悲しいことだ。トゥルーディアはそれを許せない。
「旦那様とお話しするときは私も一緒にいますから、心配しないで下さいな」
トゥルーディアの声かけに少女は小さく微笑んだ。だいじょうぶです、と唇が動く。
しばらくこの魔女の世話をしていてわかったが、この少女はかなり義理堅い性格のようだった。親切にされれば親切に接してくるし、いまだに怯えることはあっても根本的な部分での性格は落ち着いているし穏やかだ。だからこそ助けになりたかった。小さな体に不幸だけを抱き続けて生きていってほしくなかった。それが過去の自分を投影した代替品としての【救い】なのだとしても。
最近ではトゥルーディオとも打ち解けてきたようだし、心身ともに順調に回復している。声が出ないのだけが相変わらずで、トゥルーディアにはそれが痛ましく思えた。
「貴女は、……」
名前を聞こうとして、トゥルーディアはそれをやめた。魔女の名をみだりに聞くことは魔女にとってあまり良くないことだと知っていたからだ。彼女と親しくなりたくても、少女を彼女だけの名前で呼びたくとも、今のトゥルーディアにはそれが出来ない。名を聞いたときに首を横に振られるのが怖かったし、彼女にとって唯一の拠り所となるであろうそれを聞いてしまおうとした自分に恐怖した。
魔女は信頼したものにしかその名を明かさない。トゥルーディアとトゥルーディオの面倒を見てくれていた老婆もそうだった。
「──貴女は、朝と夜、どちらが好きかしら。……今度、アガニョークと一緒にここのお庭を散歩してみませんか」
取り繕ったトゥルーディアの言葉に少女は柔らかに笑う。夜の方が好き、と唇が動いた。夜ですね、とトゥルーディアも頷く。
夜の庭園に少女と白い狼の姿があるのは、きっと素敵なことだろう。本当なら昼間に散歩させてやりたいところだけれど、彼女が“魔女”ならば人目につくような行動は避けたい。夜に散歩するなら、とトゥルーディアはいつかの宵闇に思いを馳せる。帰ってきたときには温かく甘い飲み物を出してあげたい、と。




