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馬鹿みたいだ、とオスカーは本を閉じた。
最近──あの魔女の家の焼け跡を見てからだ──ずっとこんなことばかりをしている。オスカーが今読んでいたのは【魔女】に関しての文献だ。クルースニクや一部の好事家、それから【魔女の従者】となったものたちが細々と残していったものをひとつの本に綴じたものだ。
魔女は生きているのだろうか。灰となってしまったのだろうか。それすらもわからないのに、まるで彼女に言い訳するようにオスカーはページをめくるのだ。魔女に関する文献を読み、彼女が【一般的な魔女】から外れている点を確認しては「あの子は魔女じゃない」などと呟いたりして。オスカーがいくらニルチェニアの【魔女たる所以】を否定したところで、あの小屋もニルチェニアも元に戻らないのを知っているのに。
「あの子は【従者】を得ていなかった」
多くの魔女には【従者】がいるのだという。【従者】とは、魔女自らがその知識を授け、その見返りに自分の生活の手助けをするように──という契約を交わした者のことだ。【従者】によっては、知識を得たあとに魔女となることもあるらしい。
クルスのところにいるトゥルーディアとトゥルーディオも、元は魔女の従者だったとオスカーは聞いている。魔女から教わったという【呪い】を使う点と、年齢がいまいちよくわからない点を除けば普通の人間だ。オスカーともクルスとも決定的に何かが違う、というわけではない。
「あの子の首には印もなかった」
魔女の【首】──手首、足首、首──には、魔術を扱うもの特有の印が出てくるのだ。オスカーもクルースニクなどをやっているから、【首】に印があった魔女も幾度となく見てきている。彼女らがフードつきのマントや長いローブ、長袖を好んで着用するのは【首の印】を隠すためだ──というのが定説だ。本当はどうだか知れないが。
ニルチェニアの首は細くて白くて、手首などはオスカーの片手で折れてしまいそうなほどだった。そこには魔女の印もシミもなく、ただただ細い、という印象を受けたにすぎない。足首などは見てもいないが、きっと印はないだろう。
「……君が魔女ではないと証明できていたなら、君を救えたのかな。君を【魔女の呪い】から救えたのかな」
“お前は魔女だ”という言葉は、彼女を“魔女たらしめる呪い”であったとオスカーは思っている。その言葉さえなければ彼女は普通に暮らしていけたことだろう。ただ、瞳の色が違っただけなのだから。
森に捨てられて、先代の魔女に育てられた頃には彼女は自分自身を【魔女】であると定義してしまっていた。
「──そうだ」
先代の魔女だ、とオスカーは閃いた。ニルチェニアに魔女としての振る舞いを教えたという魔女は、今はどこにいるのだろう? もしその【先代の魔女】がまだどこかにいるのなら、ニルチェニアの居場所も知っているかもしれない。
***
【先代の魔女】の居場所を知ろうとオスカーが訪ねたのはトゥルーディアとトゥルーディオだった。魔女の従者であった彼らなら、もしかしたらニルチェニアの先代の魔女を知っているかもしれない──とオスカーは考えたのだ。
久しぶりに訪れたクルスの邸宅は、気温が暖かくなってきたこともあってか庭園がずいぶんと賑やかなことになっている。色鮮やかな花に誘われるように舞う蝶、蜜を集める蜂。明るい庭だ。オスカーはこういう庭が大好きだった。幼い頃に屋敷の広い庭を探検したのを思い出す。
事前に約束を取り付けていたこともあり、特に待つこともなくいつも通りに通されたクルスの私室。部屋の主たるクルスの隣には、トゥルーディオの姿があった。トゥルーディアはいない。
「久しぶり、クルス。トゥルーディオ。今日はトゥルーディアはいないのかい?」
「トゥルーディアは少し忙しくしていてな。……さて、用件を聞かせてくれないか、オスカー。トゥルーディオが君に何かをしたのではないかと気が気じゃないんだ」
悪戯好きな性格だから、と笑ったクルスに「そんなことないってわかってるくせに」とオスカーも笑う。久しぶりに広角を上げた気すらした。トゥルーディオもいつもどおり、にこにこと笑っている。
「……出来たら、で構わないんだ。トゥルーディオ……君に聞きたいことがある」
「……何でしょう?」
俺が答えられることなら何でも、とトゥルーディオはにこにことして次の言葉を促す。オスカーは祈るような気持ちで口にした。
「リラという魔女を知っている? ──あの森に……僕が襲われたあの森に住んでいた魔女だと聞いたんだけれど」
ベルフラワーのような青紫の瞳が、ゆっくりと細められてオスカーを見据える。“クルスの従者”として、普段はオスカーにはそんな不遜な態度を見せないトゥルーディオだが、今の一瞬だけは違った。オスカーが続いて口を開く前に、トゥルーディオは柔和な笑みをつくってオスカーに問う。
「懐かしい名前ですね。……とうに死んだ魔女の名だ。彼女のことを知ってどうするんです? よりによって──よりによって従者の手によって土に還ることとなった魔女を、知ってどうするんです?」
「従者の手によって?」
「ええ。あの人は自分の従者の手によってこの世から去ることとなりました。俺が知っているのはそれだけですよ」
それ以外は何も、とトゥルーディオはにこにこと笑った。他の魔女のことはよく知りませんから、と付け加えて。
「……あの人はあの森に住んでいたんですね。初めて知りました。俺の魔女から聞いただけでしたから。「同胞が死んだ」、とね。けれど、こんな話を俺にしてくるということは──オスカーさまは、ご自分を襲ったのはその魔女だとお考えでしたか?」
「まさか。そんな風に思っているのなら君にこんな話はしないよ」
「そうですよね。あなたはそういう方です」
何かあるのではないですか、と心配そうな顔をしたトゥルーディオに、「少しね」とオスカーは微笑んで返す。知り合いの女の子がいなくなっちゃったんだ、と続けたオスカーに「それは心配ですね」とトゥルーディオは深刻そうな顔をした。
「その子と“リラ”は繋がりがあったようだから、もしかしたらその子の居場所も知っているんじゃないかと思って──でも、そうか……。亡くなっていたんだね」
「力になれず申し訳ありません。他のことで役に立てそうでしたら、いつでもお声がけくださいね」
「……ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
亡くなっているなら仕方ないことだものね、とオスカーは落胆しつつもクルスの部屋を出ていく。部屋を出ていくまでクルスがなんとも言えない顔をしていたのには結局気付かず仕舞いだった。
オスカーが部屋を出ていってしばらくしてから、トゥルーディオは「ひやひやしましたよ~」とほっとしたような顔を見せた。これは嘘ではないだろう、とクルスは思う。
──“ルティカルやオスカー、ソルセリルにあの少女の存在を教えるな”。
ニックに言われたそれをトゥルーディオもまた厳守しているのだ。オスカーが「トゥルーディオとトゥルーディアに話を聞きたい」と申し出てきたときには、バレてしまったのかとクルスとトゥルーディオ、トゥルーディアの三人でひやひやしたものだが──どうやらうまく乗りきれたようだ。あまりやりたくないことだなあ、とクルスも息をつく。友人相手に嘘をつくというのは思っていたよりも疲れる。恐らく顔に出てしまっていただろうが、気付かれなかったのであればそれに越したことはない。
「オスカーさま相手に嘘がつけるものかと思いましたが、誤魔化せたようで良かったです。よほど憔悴してらっしゃるのでしょう。普段のあの方でしたら、絶対に気付いておられたでしょうからね。……あの口ぶりからするとあの魔女の少女は“リラ”さまの関係者、ということでしょうか。それなら説明がつく」
「どういうことだ?」
「あの【森番】ですよ。あの少女の【従者】でなく、“リラ”の【従者】だったんだと思います。……それならあの少女に執着していないのに呪いを扱えたのも頷ける。あの森番に呪いを授けたのはリラだったんです」
クルースニク相手に大立ち回りをした理由はわかりませんが、とトゥルーディオは肩をすくめる。
ちょっと待ってくれ、とクルスはトゥルーディオにたずねた。
「“リラ”の従者であったとするなら……“リラ”は従者の手によって土に還ったのだろう? つまりは……あの森番が“リラ”を殺めたということか?」
「そうです」
「何故?」
もっともなクルスの問いに「俺にはわかりません」とトゥルーディオは当たり前のように返した。
「魔女と従者の関係はひとつに括れるものではありません。主従の数だけあり方が違うものです。何か理由があって殺めたんでしょうね。あの森番を見る限りは……。“魔女の力を奪いたかった”というような、人間が考える下らない理由ではなくて、“魔女のために”彼女の命を奪ったのでしょう」
「魔女のために魔女を殺める……?」
「【従者】は魔女のために生きるものですから。害を為すなんてこと、普通ならありえないんですよ。つまり、手にかけたことは魔女にとって害ではなかった、ということです」
何があったんでしょうね、とトゥルーディオは首をかしげる。森番本人に聞いても答えてはくれないでしょうが……と続けたあとに、「今は“死んだ魔女”より“生きている魔女”のことを考えた方がいいのではありませんか」と口にする。
それもそうだが、とクルスは何とも煮えきらない気持ちで頷いた。トゥルーディオはこういう時に淡白すぎるきらいがある。クルスの心情など察することもなく、トゥルーディオは「あの少女ですが」と話し始めた。
「怯えていたのも随分まともになってきたと姉さまが言っていました」
「それは何よりだ」
「声はまだ出ないようですが……それから、ニックさまに彼女のことを見てほしい、と姉さまが」
「先生に?」
性急すぎじゃないのかと驚いたクルスに、「念のため、です」とトゥルーディオはこたえる。
「本当に彼女が【魔女】なのか。確かめて貰った方が良いように思うのです」
「しかし……」
ようやっと怯えていたのが“まとも”になってきたという少女に、ここで本物のクルースニクをぶつけるというのは良いことのようには思えない。クルスを見たときでさえあの怯えようだったのだ。ニックと引き合わせて大丈夫なのだろうか。
「ニックさまはクルースニクとは思えないほど親しみ深い方ではありませんか。その点、旦那さまは少し厳しそうな雰囲気がありますから」
「……顔が怖い、と?」
「クルースニク的ではありますね」
しれっと口にしたトゥルーディオを肘でこづき、クルスは「検討しておく」とだけ答える。ルティカルからの調査結果もまだきちんと読み込めていないのだ。【魔女】の体調の経過もちゃんとした医者に見せなくてはいけない。やることは山積みだな──と考えてから、クルスは「その手があったな」と一人言を口にしてしまう。
「……“その手があったな”?」
「彼女を医者に見せていなかったな、と思ってな。先生に彼女を見て……確認してもらうのにも丁度いい」
「ニックさまに医学の心得がありましたか?」
「違う。おれたちは信用できて口の固い“医者”に心当たりがあるだろ? 腕も良いときた」
リピチア君だ、とクルスは口にした。
リピチアさまですか、とトゥルーディオは少々困った顔をした。