第五話 チコリ村
日が昇ると同時に、舟は川を遡上する。
バンは水面を見たかと思うと、今度は周囲の景色に目を配り、櫂をせわしなく動かしていく。
周りの舟より遥かに早く川を走り、風を楽しむ余裕がシンにも出てきた。
「ここに舟を隠して歩きますぜ。泣き言言わないでくだせぇな、なにせお二人はお尋ね者なんですからね」
バンは愉快そうに言うと、タロスの背丈ほどもある草むらの中に入っていき、手際よく舟を繋いだ。
三人が舟から降りると、バンは山へと向かって歩き始める。
「バンは何度も行ったことあるの?」
シンが尋ねると、バンは指を折って数えた。
「まぁ、何度かはありまさぁ。でも、あそこは注文が細かすぎて、あっしには合わなかったですね」
「それはバンには一番向かない仕事だな」
タロスが呆れ気味に答える。
すぐに山に入り、しばらく進んだところで一度休憩をとることにした。
「あ……」
シンは足元に落ちていた小石を拾うと、小気味いいスナップで山の斜面へと投げつける。
「おぉ、お見事ですねぇ」
バンには見えたようだったが、タロスは不思議そうに小石が飛んでいった方を眺めていた。
シンがタタタッと走って取りに行き、戻ってきたその手には、丸々と太ったウサギがぶら下がっていた。
「なるほどな。朝食か、塩ならあるぞ」
タロスが納得したように頷くと、すぐに焚き火の用意を始める。
シンの捌き方を、バンは横でじっと見ながら時々質問を挟んでいた。
川の魚は手慣れていても、山の獣の捌き方は知らないのだろう。
解体されたウサギの肉が、熱した石の上に乗せられ、塩が少し振られる。
さらにシンは、近くに生えていた野草の葉をちぎると、ウサギの肉の上に乗せた。
しばらく焼いていると、香ばしい肉の匂いと共に、少しレモンのような爽やかな香りがふわりと混じる。
「食べましょうぜ」
バンが待ちきれない様子で、即席の串となる木の枝を二人に渡した。
肉を突き刺し、それぞれ口に運ぶ。
「うまいな」
「最高ですぜ」
「うん、うちの近くの山のよりうまい」
それぞれの反応で楽しんだ後、少し長めの休憩をとる。
火を完全に消し、男たちは再び歩き始めた。
村まではすぐ――だが、それは街道を通ればの話であった。
シンもタロスも山道に慣れているせいか、案内人であるはずのバンだけが徐々に遅れ始める。
「そこ、右ですぜ……。すいやせん、少し休憩しやせんか……?」
「まだまだ平気だけれど、休憩しようか」
シンはバンの息の上がり方を見て、そう決めた。
「いやぁ、流石主人ですねぇ。判断がいい」
バンがおどけて見せるが、シンは苦笑い。タロスに至っては少し不満そうな顔をしている。
それからも数回、バンの泣き言に付き合いながら、やっとの思いで山を二つ超えた。
その時、前方の視界の先に、ぽつぽつと生活の煙が見えてきた。
「あ……あれが、チコリの村ですぜ……」
バンはそのまま倒れそうになり、タロスが大きな体で受け止める。
シンはトントンと前に走り出ると、開けた高台から村を見下ろした。
「綺麗に整備されている」
まるで最初から計算して作られたかのように、碁盤の目になった畑と、その奥に整然と続く家屋。
更には、周囲を簡易な堀と木塀が囲んでおり、どこか砦のような雰囲気すら漂っている。
ただ、地形的には低地にあるため、これが本当に防御に適しているのかは、シンには判別がつかなかった。
「おぉ、流石だな。村長の手腕がここからでもわかる」
追いついたタロスも驚きを隠せない。
すっかり疲れ果てたバンは、タロスの広い背中に背負われ、一行は村の入り口へと歩みを進めた。
「そこの者たち、止まれ!」
木塀の上から、鋭い声が響く。
見上げれば、村人なのか兵士なのか分からない男が、こちらへ向けて弓を構えていた。
もう一人の男が、慌てて奥へと走っていくのが見える。
「動くなよ」
「わかりました」
シンが静かに答える。
しばらくの沈黙の後、奥からピシッとした衣服を身にまとった、厳格そうな中年の男性が現れた。
「旅のお方かな? 私はここの村長、ランドールと言います。申し訳ないが、こちらで私の質問に答えてもらいたい」
丁寧な物言いとは裏腹に、その身体からは、隠しきれない強烈な気が満ち溢れていた。
シンは野生の直感から、思わず身構えそうになる。
「おぉ、ありがたい。背中の荷物が重くてな。質問でもなんでも答えてやるさ」
タロスはプレッシャーを気にする風でもなく、ズカズカと門の奥へ歩き始めた。
シンもその背を追うように、ゆっくりと足を一歩踏み出した。




