よあけの砂漠 後編
復帰したげんぞさんは砂漠を突き進んでいた。
初心者なので、玄人がシュッとすぐに進んでしまう距離をてってってってっと効果音がつくような速度で爆走している。たぶん、ずっと待機状態だったのを気にしているのだろう。
8時間くらい黙々と収集をしていた頃もあったので、待つこと自体は大丈夫──と伝えようか悩んで辞めた。具体的な数字を提示して、それより短いから大丈夫と安心してもらう意図だけど、向こうはどう受け取るか分からない。
もう私は期待したくないし、そういうコミュニケーションから逃れたいのだ。自分の難解さや伝え辛さは酷いものなので、共有は努力したい。でも相手が相互理解や対話を求めていなかった場合の反動がキツい。
難度も、痛い目にあってきた。新しい人間に希望を見て、馬鹿を見る繰り返し。いい加減学びたい。
のに。
はるか後方、まだ目視で確認できる場所に、カラフルなランプ、噴水、焚火が見える。あそこを通りがかった他のプレイヤーはきっと、お祭りの痕跡か何かだと思うだろう。げんぞさんを、守ろうとした通りすがりの人々の優しさの痕跡を。
「ひなたさんはどうしてこのげーむをはじめたですか」
げんぞさんがふいに立ち止まったかと思えば、フキダシを出した。げんぞさんは言葉を考えているのか、言葉の入力に手間どってるのか分からないけど、助かる。ふいに話しかけられるのは慣れないし、げんぞさんが何かを発する前に、心づもりが出来るから。
「趣味もなく、何かを始めようかと思ったんですけど、無料でできるなーと」
「なるほど」
「げんぞさんは」
これは質問してもいいだろう。流れ的に。失礼にあたらないはず。
「まごがいますまごはたぶんすごくあそんでいるのですごくつよいですまごとあそべるようになれたらいいなとおもってます」
げんぞさん、孫がいるのか。年代的に、おかしい話じゃないけど意外性を感じた。じゃあ、さっきの電話は孫だったのだろうか。
なら、孫がげんぞさんに教えるほうが良かったのでは。
考えていると、げんぞさんから飛び出ていたフキダシがくるんっと変わった。
「でもまごはつよいですぼくはまだまだですいちねんくらいかかってしまうかもしれませんまごとあそべるようになるまで」
孫、そんな強いのか。というかガチ勢なのかもしれない。祖父なら手加減する……と考えたいところだけど、家族間に難がある人間はそこそこいる。フレンドを作らずともプレイヤー同士の立ち話が聞こえてきたりとか、普通に、オール・アローン・ワールド関係なくネットで見る。
読んでるだけで鬱々として来たりする記事とか、小学生とか中学生の頃不可解に思えていた同級生の事情が、間接的に理解できてしまいそうな炎上アカウントとかで、色々。
自分にはどうしようも出来ないことだけど、幸せで完璧な家族なんて本当はどこにもいないんじゃないかとは思う。そういう濃い人間関係に至る気もないけど。
「そうですか」
「HI」
またげんぞさんはグローバル化した。しばらくして、砂漠の起伏が減った。ああもうすぐだ。
「わ」
げんぞさんが止まる。
砂漠の先に、空を鏡のように反射させる湖が広がっていた。湖を囲うように、白い草木が伸びている。
「ここです。求められている水があるのは」
「きれいくんできます」
ここに訪れた目的は、NPCの家族の命を救うための水をオアシスでくむこと。げんぞさんは白い草木をかきわけることもなく直進している。身長的に、頭だけ若干見えている感じだ。わっさわっさわっさわっさ、と直進している姿が、どうしてもマスコットっぽい。しばらくして、湖から水を汲んできたげんぞさんは、わっさわっさわっさわっさとこちらに直進してきた。
今気づいた。げんぞさんの移動、全部直進だ。斜めに移動したり、左右にブレたりがない。みはてぬ海の対蟹武装集団みたいなタップダンスで必殺技その後ローリングゴロゴロみたいな論外はさておき。
こういうところを、孫が見たら楽しいんじゃないか。
この世界はいい家族ばかりではないはずなのに、そう思ってしまう。なんでかは分からない。げんぞさんには、優しい家族がいてほしいからだろうか。押し付け極まりないけど。
同時に、苛つかないでほしいなとも思う。げんぞさんがもたつくの、楽しんでくれる孫がいい。
自分でも酷い。
「おみずくめあmした」
「良かった。じゃあ、街に戻りましょう。マップで街を選ぶと、ワープできますから」
「わぷ?」
「はい。まぁ、今日は一応回線が怖いので、一緒に行きましょう。私が近づくので、ボタンが表示されたら押してください」
私はげんぞさんに近づく。げんぞさんが肩車状態になった。
「あかちゃんみたいになってませんか」
え?
げんぞさんのフキダシに、私は硬直した。
げんぞさんて、自分のキャラメイク無意識で赤ちゃんにしてたんじゃないの?
「小っちゃい子かわいー♪」みたいなニュアンスで今の状態にしてるんじゃないの?
逆に、げんぞさん、何を思って今の状態なの?
私はげんぞさんの、どう見てもよだれかけにしか見えないスタイルを、マフラーと言っていたのを思い出す。かっこいいとも言っていた。
待ってげんぞさん、何を思って今なの?
べビ人形ぽてぽてスタイル足首手首丸出し全身タイツスタイルコーデを、どういう意図でしているの?
何の意図もないというわりには、キャラメイクの癖が濃すぎるというか。
私はげんぞさんの「あかちゃんみたいになってませんか?」の問いに「げんぞさんあかちゃんみたいですよ今」と答える勇気はない。そんな勇気があればもう少し、人生うまく生きてる。
「いや、こうすると移動が楽かなと思って」
「なるほどー」
げんぞさんがより、分からなくなった。げんぞさんの基準ってなんだろう。アイテム系への所感は、大衆に近い気がするけど。
げんぞさんについて、知らないことがあまりに多い。まぁ、全部知ろうとも思わない。でも知っていけたら嬉しい。曖昧だ。どっちとも言えない。
「あ」
げんぞさんのフキダシが変わる。
「どうされましたか」
「おひさま」
ああ、と思う。よあけの砂漠は、夜明け前と夜明けを繰り返す。朝が来て昼が来て夜になるのではなく、日が昇りかけて泡のように消えて、また浮かぶを繰り返す。すべての景色が青に染まる。日の出の一瞬のブルーモーメントが、その区切りを担う。
「きれい」
「ですね」
なんだか今、言葉が繋がったみたいだ。
すべてを包む青が消えてから、私は帰還した。
◇◆◆◆◆◆◆NowLoading◆◆◇◆◇◇
げんぞさんと街に戻ってきた。
「ありがとうございますひなたさんぶじもどれました」
彼は私にお礼を言うと、てててててっとNPCに一直線で走っていくと、話しかけた。
「おみずです」
げんぞさんはNPCの前に立ち──そして動かなくなった。
これはイベントシーンに入ったということだ。今げんぞさんは、今話しかけているNPCの人生を映画のように眺めていることだろう。
オアシスの水を飲んで、回復する家族。NPCと家族との思い出。NPCが回復した家族に伝えたいと願っていたこと。
げんぞさんに依頼したNPCは、ずっと愛情を遠ざけられて育ってきた。実力主義の戦いの場にいて、戦う以外に自分の価値を認めてくれる相手はいなかった。いや、いたのかもしれない。でも、あまりにも戦いの機会が多くて、気を抜けば死んでしまうから、見ることが出来なかった。
そうした戦いの日々は、永遠には続かない。戦は終わった。戦わなくてもいい平和な日常が訪れた。結果、NPCはすべてを失った。それまですべてが、戦いだったのだ。自分を肯定できる手段は結果をのこすこと。それしかない。それしかないのに戦いが消えた。
これからどうやって生きていたらいいんだろう。どうすれば生きていることを許される?
苦悩を抱えるNPCのもとに現れたのが、NPCがオアシスの水を求めるようになった家族だ。
家族は──NPCの本当の家族じゃない。血のつながりも無ければ、種族も異なる。恋愛や友情の関係かも、物語では明かされない。
しかしその相手は、NPCと出会い、好きになり、NPCに愛を伝えた。
NPCは、逃げた。
戦いで自分の存在証明をしている彼女は、戦いなしで自分の価値を認められることに耐えられず、愛情を受け止めることも、拒絶することもなく、自分から遠ざかった。
愛することをしてこなかったし、愛されることにも慣れていなかった。それまでの人生で愛情をいらないものとしてきたせいで、いざ目の前にすると異物のように感じられ、手に入れたら自分が自分で亡くなる気がした。
相手のことは嫌いではない。それどころか、好意に近いものを持っている。でも伝えるすべを致命的に持っていなかった。自分がどうしてそう思うのかも、自分の気持ちをどう言葉にしていいかも分からなかった。分からないことを伝えることすら、恐ろしくてだまった。
相手は悲しんだ。愛情を届けて、受け止めるか拒絶するかは人それぞれ。
しかし自分から遠ざかる意図が分からず戸惑い、もがき苦しみながらも彼女のそばから離れないことを選んだ。
NPCは思う。いつか別れが来るくらいなら遠ざかったほうが傷が浅い。下手に気持ちを伝えて困らせるのならこのままのほうが相手の為。
相手は思う。いつか別れが来るのだから傍に入れるうちは離れないほうが良い。相手がどう思うか分からないけど、気持ちを伝えなければ、相手が理解できるかできないかも判断が出来ない。
どちらも後悔しないための選択だったが、そんな二人の均衡が崩れた。
相手が病に伏したのだ。
NPCの想像する通りの別れが訪れた。
今までNPCはきちんと準備していた。
なのに、ああやっぱり離れていて良かったとは思わなかった。どうして一緒にいられなかったんだろう。一緒にいたら何か違ったのかもしれない。自分が行動していれば、何か声をかけていれば。相手の未来は違っていたかもしれない。そうした後悔は、相手の命の期限が見えるたびに、どんどん形を変えていった。
別れの時間が分かっていたら、もっと一緒にいた。
一緒にいたかった。
NPCは自分の願いをようやく知る。
そこまできて、やっと自分の恐れていた正体がわかった。NPCは愛情を恐れていたのではなく、別れの時がただひたすらに恐ろしく、耐えられないあまり自分で別れの練習をしていたことに。
そして、その別れの練習は相手を傷つけていたかもしれないことに。
相手は目を覚まさない。回復にはオアシスの水が必要で、取りに行くこと自体は容易かった。
でも取りに行っているときに相手が死んでしまったら?
今までずっと遠ざかっていた。その分まで傍にいたい。
考えると、足は動かない。オアシスに向かうのが確実なはずなのに、幸せになれるはずの選択肢が選べない。
しかし、プレイヤー……げんぞさんが、オアシスの水を持ってきてくれた。相手に飲ませ、様子をうかがい、回復に向かっていることを悟ったNPCは、とうとう口に出せなかった言葉を伝える。
「おはなしでしたたすかってよかった」
物語を読み終わったげんぞさんの第一声がそれだった。なんかげんぞさんらしいな、と苦笑する。
この物語のイベントは、無視することもできる。よあけの砂漠を突っ切った街の報酬のほうが、時間もかからないし効率がいいと攻略サイトにのっていて、効率的に進めるコツをまとめたブログ、後回ししていいリストに必ず載っているイベントだ。
優先順位低め、しなくてもいい、無視推奨、そういう、イベント。
「ほんとうによかった」
げんぞさんは繰り返す。
「ひなたさんたすけてくれてありがとうございますぼくすごくうれしい」
「良かったです。私も」
──あなたに会えてよかった。
NPCのイベントを見ようが、言えないことは言えない。人はそう簡単に変わらないし、私がこのイベントを見たのはもう何年も前になる。
一度見たイベントは、再現不可能だ。見直しの機能はない。人生と一緒、同じことは起こせないというのが、オール・アローン・ワールド。
「すみませんきょうはおじかんいただいてごめいわくおかけしたとおもうのですがぼくはとてもたのしかったですほんとうにありがとうございましたひなたさん」
「いいえ」
私は短く返す。もうやめたほうがいいかもしれない。こういうこと言うの。どうせこの先、後悔する。分かっている。でも、言わなきゃ言わないで、私は後悔するのだ。げんぞさんが停止した時、すごく怖かったし。
「げんぞさん」
「はい」
今回は平仮名だった。私は思い切って、彼に伝える。
「もしよろしければ、また一緒に遊んでくださいね」
また。あんまり使わない言葉。だってまたなんてあるか分からないし、祈った「また」が訪れたことなんてない。
それでもどうか届けと、送る。
「はいぜひうれしいぜひぜひ」
げんぞさんはクルクル回った。
読んでくださりありがとうございました。ここからはのんびり1話ずつの読み切りをどん、と置いていくシステムです。次の話以後のまえがきに、そこからすぐ読めるあらすじを記載していきます。お時間あるときに、二人の交流記をのぞいていただければ幸いです。