帰郷編・29『百舌萌々香』
萌々香と深く繋がった。
魂ごと混ざり合い、ひとつになって。
体ごと、感覚が、意識が、溶けるように重なっていく。
俺と萌々香の領域が交わり、魂まで深く触れ合った――その瞬間。
心臓がドクンと跳ねた気がした。
そして胸の奥底から、記憶が溢れ出した。
それはまるで産声を上げるかのように。
誰かの声が、聞こえてきて―――――
「――もし会えたら、楽によろしく伝えてくれ」
「はい」
一瞬、図書室が見えた気がした。
俺がよく親しんだ高校の図書室だ。
ただ部屋は暗く、ぼんやりとしか書庫は見えなかった。
すぐに視界が暗転したのも相まって詳しい状況はイマイチ理解できなかったが、ミレニアのときと同じく、誰かの記憶に入り込んだのはすぐにわかった。。
視界が暗転する前、車椅子の零が見えた気がした。
ちらりと見えた零はかなり大人びているように見えた。すでに成人して数年は経っているだろう姿だった。しかし、どこかやつれていて覇気がなかった。
(いまのは未来か? いやでも、未来の記憶なんてあるのか……?)
俺が状況をハッキリと認識する前に暗闇のなか意識が揺れる。
まるで爆発に巻き込まれて気を失ったかのように、脳がグラグラと揺れる感覚に苛まれた。
うぅ、気持ち悪い。
まるで箱の中に入れられて、巨人にシェイクされてるみたいだ。
とはいえ、そこまで長い時間は続かなかった。
少しすると記憶は切り替わって、視界は明るくなった。
白い景色が飛び込んで来て――
「あら? 目が覚めたのね」
部屋の中だった。
壁も床も天井も白い部屋だった。その部屋のベッドで、記憶の主は寝かされているようだった。
女がひとりこっちの顔を覗き込んでいた。
慌ててゆっくりと身を起こそうとするも、女に止められる。
「まだ大人しくしてて。あなた、何日も寝てたんだもの。なるべくあなたに負荷がからない環境を用意したけど、毒素が抜けきってないわ」
軽く肩を押されるだけで、ベッドに倒れ込んでしまった記憶の主。
女は茶髪のウェーブがかった容姿だった。歳のほどは……わからない。少女にも見えるし、かなり大人びても見える。不思議な見た目の女で、部屋と同じ白い服を着ていた。
研究者のような格好だ。
「あの……あなたは?」
記憶の主は、掠れる声で尋ねた。
何日も何も飲んでいないのがわかるほど、しわがれた女の声だ。状況を考えたらこの記憶は萌々香のものだとは思うが……それにしても、何か違和感がある。
女はテキパキとベッド脇の機械のようなものを触りながら、こっちを見ずに答えた。
「私? 私はエマソン。あなたたちの母親とも言える存在よ。名前くらいは知ってるでしょ?」
「……母親?」
エマソン。
(どこかで聞き覚えがあるような……いや、まさか!)
俺がハッとすると同時に、女は怪訝な顔をしながら振り返った。
「あなたたちヒト種を創り出した神よ? 女神エマソン、知ってるでしょ?」
「か、神様っ!?」
「何驚いてるの。ひょっとしてまだ神が図々しく現世に居座ってるのかとでも言いたい……ワケじゃ、なさそうね。もしかして記憶喪失? 自分の名前と年齢はわかる?」
「わ、わたし……」
(なるほど、そういうことか)
俺はすぐに理解した。
ここは神代だ。
俺たちが転生した世界、その一万年ほど前の時代。
そしてこの記憶の主は俺が知ってる萌々香じゃなく、その未来でもなく――
「百舌萌々香です……二十二歳、です」
前回の萌々香の記憶だ。
そしてさっき見えたやつれた姿の零は、前回の世界線の零だろう。俺たちがヘリコプターに押しつぶされて死んだ後の、数年後の世界の零。
(ってことは、75周目の零が聖典を使って成し遂げたことって……萌々香を異世界に転移させたのか!)
なんてやつだ。
いくら俺が二度目の人生ですぐに死ぬ運命にあると知ったとはいえ、それを助けるために異世界に萌々香を飛ばすなんて、どんだけ無謀なことを……一発くらい殴ってやりたい。
もちろん萌々香も覚悟の上だったんだろうが、あの零が倫理観を失うほど、俺たちが死んだことがショックだったんだろうか。
(まて。でもなんで、前回の萌々香の記憶が……?)
ふと疑問が出る。
俺が繋がったのは、76周目の萌々香のはずだ。
75周目の萌々香とは魂も記憶も別。
それが、なんで――
「なんですって!? あなた、別の世界から来たの!?」
声を裏返すエマソン。
俺が考え込んでいるあいだに、萌々香は異世界転移したことを話したようだ。
これには女神といえど驚いたらしい。
「かなり無茶なことしたわね……でもなるほど、だからあなたは魔素に抵抗力がないのね。私のことを知らないのも納得だわ」
「魔素?」
「そうよ。その感じだと、あなたがいた世界には魔素はないってことね? あなた、どう見ても魔素欠乏症だものね。この世界ではすごく珍しいけど、魔素がない世界にいたら当然ね」
「……わたし、病気なんですか?」
「どちらかといえば適応障害かな。この世界に満ちてる魔素に、あなたの体が耐えられないの。耐性がないから魔素が濃い場所だと数分で死んじゃうのよね」
「こ、困ります……わたし、この世界でやらなきゃならないことがっ」
「落ち着いて。だからここに運んできたのよ。ここには魔素も霊素もない……私たち神々が〝空域〟って呼んでる、秩序に満ちた丘にある研究室よ」
エマソンはそう言って、ベッド脇の何かの装置を操作した。
すると真っ白だった壁の色が変わって大きな窓のようになった。すごい技術だな。
そこからは街のような場所が見下ろせた。白くて統一された建物の街だった。
街の景色に見覚えはないが、この丘の角度、そしてその説明……間違いない。ここは聖域〝はじまりの丘〟だ。
この部屋は、はじまりの丘の上に建っている建物の一室らしい。
「これで閉塞感はマシでしょ? あなたはしばらくここで過ごしなさい。私が面倒を見てあげるわ」
「……いいんですか?」
「遠慮しなくていいの。私はあなたたちヒト種の母にして、種族因子の研究者でもあるの。魔素がなくなるほど放逐された後の世界のヒト種なんて、研究者として見逃せないわ」
目をキラキラさせたエマソンだった。
まるで実験動物を見るような視線を浴びて、萌々香は少し身を固めた。
「ふふ、冗談よ。悪いようにはしないわ。あなたの因子を調べさせてさえもらえたら、ここで好きに暮らしていいから」
「……えっと、いいんですか?」
「ええ。あなたにもやりたいことがあるんでしょ?」
「はい」
力強く答える萌々香。
まだ異世界に来て何も知らないはずなのに、すでに覚悟が決まっている返事だった。
「部屋は有り余ってるから好きに使ってくれていいわ。食事は私と一緒に摂ればいいから当面気にしなくていいし、この研究室には侍女たちがたくさんいるから、何か要望があればその子たちに伝えてね。ただし、しばらくは静養しておくこと。いいわね?」
「は、はい」
「じゃあゆっくりしてて。私は研究があるから少し離席するわね」
そう言って端末を操作すると、今度は窓と逆側の壁に扉が現れた。
そのままエマソンは部屋を出て行って、代わりに薄い布服を着た巫女のような女性が入ってきた。
さっき言ってた侍女だろう。侍女は人形のように表情がなく、枕元に水を置いて淡々とシーツの乱れを直すとすぐに部屋を出て行った。
「……レイさん、成功しましたよ……」
拳をぎゅっと握った萌々香。
「わたし、きっと七色先輩たちが戻れるようにしてみせます」
祈るように、強い決意を言葉にする萌々香。
……ようやく確信した。
やはり逆転生の儀式を残してくれたのは、萌々香だったのだ。
神代にいた日本人はクラスメイトじゃなく、異世界転移した萌々香だった。
それから記憶は、転々と様々な場面を映していった。
萌々香の研究の日々が始まったのだった。
「そうね。神と言っても現世で過ごすあいだは他の神々が決めた世界の法則に従わないとダメなの。わかりやすい例えだと、肉体の維持には食事が必要だとか、時間の流れには逆らえない、とかかしら」
研究室の一角で、お茶を片手に雑談するのはエマソンと萌々香。
萌々香の体調も少し良くなり、逆転生の儀式について研究を始めて少し経った頃だった。
エマソンは面倒見が良く、時間があれば頻繁に萌々香の様子を見に来ていた。右も左もわからない萌々香の質問に、イヤな顔ひとつせずに答えていく。
「権能もそう。世界の法則を組み上げたあとの現世では、第2神が定めた秩序があるからそのまま使えないのよ。代行者を通すか、神秘術を使って術式化しないと現象として干渉できない。だから私の種族因子の研究も地道にやらないとダメってことなの」
「そうだったんですね。エマソンさまは、どういった研究をされてるんですか?」
「いまは種族因子の組み換えね。モモカはエルフって知ってる? 樹妖精と人族の混成種なんだけど、樹妖精のなかでも特に魔素に相性が良い個体がいてね、その個体と人族の子どもだけが、普通のエルフと違う因子を持って生まれてくるの。肌が黒いからダークエルフって名付けてるんだけど、彼女たちはうまく子孫が残せないみたいなのよね。一時期は樹妖精側との生活圏が被って数が増えたんだけど、子どもが滅多に生まれないからもう絶滅間近なの。魔素の適性が高くて優秀だから、どうにかして因子情報を遺伝させたいんだけどねぇ。ダニエリフのやつが自分も眷属欲しいって言ってたから、因子情報だけでも渡してあげようかしら……」
かなり早口で喋るエマソン。自分の研究を話すときに嬉しそうな表情で話すのは、神も人間も変わらないらしい。
萌々香も気になったことはどんどん質問していた。
「ダニエリフさまって、ときどき下の研究室に来られるあの優しそうな方ですか?」
「そうそう。やる気はあるのに才能はないから、いつも私がフォローしてあげてるの」
「仲が良いんですね」
「ま、腐れ縁ね。この世界には同じ時期に顕現してるから、同期みたいなものね」
まるで手間のかかる弟みたいに言うエマソンだった。
「話を戻すけど、モモカがやろうとしていることだと、必要な権能を十全に発揮させようとしたら儀式陣のなかに独立した秘術回路が必須になるわ。しかも魂を異世界に飛ばすってなるとすごい数が必要だと思うわ。あと創造神の権能だけは、加護もない人が術式化するのは相当難しいから、そこだけは別で用意しておいたほうがいいわね」
「別って、創造神さまに頼むんですか?」
「それができれば苦労しないけど、あの方々はこの世界を去ってるから不可能ね。創造神は眷属もつくらないし、加護持ちを見つけて頼むのが一番簡単ね。まあそれも滅多にいないだろうけど」
「加護持ち……この前お話してくれた『数秘術』ってスキルですか?」
メモを取る萌々香。
ちなみに萌々香はまだスキルをひとつも発現していないようだった。
肉体がこの世界のものじゃないからか、ステータスの恩恵がほとんどないようだ。
「それもそう。加護持ちはスキル保有者か、代行者――権能そのものを代行できる使徒のどっちかになるわ」
「権能そのものって、そっちのほうが凄いってことですか?」
「たいていの使徒はそうね。でも、創造神や上位神のなかでも最高位――数秘の神々に関してはどっちとも言えないわね。使徒の権能は制限があるし、上達しても性能面での進化はしない。けど数秘のスキルは進化していくから、最終的な性能はスキルの方が高くなる傾向があるわね。まあ進化させるのが難しいし、負化って言ってその性能が裏返ることがあるからリスクもあるけどね」
「裏返る……?」
「そ。例えば星誕神様のスキルがあれば、あらゆる存在や運命をコントロールできるの。でももし負化してしまえば、世界を滅ぼす力となる。だから、スキルか使徒のどっちが便利かっていうと微妙なところね」
(世界を滅ぼす力、か……)
確かに俺が一度死んだときのサーヤは、数秘術を負化させてシャブームの街を消滅させかけた。
あの頃のサーヤはまだレベルも低くてスキルも扱い慣れていなかったし、それがアルテマが予言した『世界を滅ぼすモノ』かどうかはわらかない。
ただロズが止めてくれなければ、それに近しい出来事となっていただろう。
「どっちにしても、加護持ちを見つける方が格段に成功率は高いと思うわ。私でも創造神の権能の術式化なんて考えたこともないくらい高度なことなんだから」
「わかりました。わたしもそれで――ゲホッ!」
と、萌々香がいきなり咳き込み始めた。
何度も咳を繰り返し、エマソンが心配そうに背中をさする。
しばらく発作が続き、ようやく息を整えたのは数分後。
口元に当てていた萌々香の手のひらには、血が滲んでいた。
「……モモカ。やっぱり研究はやめたほうがいいわ。この研究所のなかだけで大人しくしてなさい」
「ダ、ダメです。霊素のあるところで術式を組んでみないと実験ができないので……」
「霊素があるってことは、魔素もあるのよ。魔素欠乏症のあなたはその毒素を分解できないの。このまま続けたら、あと何年生きられるか……」
「それでもやります。やらせて、ください」
萌々香はエマソンの手を取りながら、懇願するように言った。
この視点から萌々香自身の表情は見えないが、きっと、燃え滾るような強い意思を感じたのだろう。
エマソンはしばらく黙ってから、肩をすくめて答えた。
「わかった。あなたの事情も知った身としては応援してあげたいしね。私じゃあなたの体質は変えられないけど、少しでもマシになるようにダニエリフに加護がつけられるか頼んでみるわ。少なくとも、疑似魔術は使えるようになるはずよ」
「ありがとうございます」
「それとあなたが研究している儀式のなかに、魂の転送術式があったわよね?」
「は、はい。肉体転送の儀式陣はレイさんが使ったものを知っているので、その応用でなんとか形にはできたんですけど、まだ実用化は……」
「そっちは私もやりたいことがあるから手伝うわ。まずは参考にしている肉体転送の儀式陣を詳しく教えて。それと……」
エマソンは少しだけ言い淀んだ。
まるで秘密を教えようとするように、声を小さくして言う。
「もし魂を別の肉体に転送できそうなら、あなたの魂を受け継ぐ複製体をつくるのはどうかしら。私の侍女たちに使っている理論だけじゃ足りないから、かなりアレンジする必要はあるけど」
「え? それって……」
エマソンの侍女たちは、みな同じ顔と同じ体型をした複製人間だ。
だが彼女たちに魂はなく、ただ言う通りに動くだけの有機人形だった。
もちろんその技術は、種族因子の研究者として長年研究してきたものなのだろう。
自分のこれまでの研究を応用する――その機会が来たと言わんばかりに、エマソンは目を輝かせていた。
「あなた専用の神造人間。あなたの因子に手を加えて魔素欠乏症を克服した複製体を造ってみない? そしてうまく適合すれば、あなたの魂をそこに移すの。どうかしら?」




