帰郷編・10『サーベルタイガー』
「君たちはいったい、何周目だ?」
意味深にそう言ったのは車椅子の青年、音無零。
生まれた時から目が視えず、中学になる頃には難病で下半身が動かなくなってしまった不幸な男だ。介護なしでは生きられないが、それを思わせないほど頭が良く、堂々としている。
そして俺の幼馴染であり、唯一の友人だった。
てっきりもう帰っていると思ったが、俺たちに用があって追ってきたらしい。
俺はその質問に首をひねる。
「何周目って?」
「……ふむ。僕の思い違いかもしれないが、少しばかり違和感を憶えたのだ。いくつか質問に答えてもらっても良いかね?」
「おう」
追ってきた友人をわざわざ追い返すつもりはない。
「マルチバース。その話題は僕にとってはとても興味深い。しかしいままで楽がマルチバースに言及するような経験はなかったはずだし、なにより君たち四人がこうも親しげに密室に籠るのは、些か不自然な出来事に思えるのだ。君たち四人には何か隠し事があるのではないかと推察しているが、よければ事情を話してくれるかな?」
「うーん……どうすっかな」
じつは卒業式の日に死んで異世界に転生して、別の人生を歩んで、それから逆転生して卒業式前日に戻ってきました。
なんて言ってもさすがに信じられないだろう。
他の三人も困ったような顔をした。
俺たちが話す気にならないことを察した零は、鼻を鳴らした。
「楽、いまさら隠し事か? 君と僕は裸で戯れていた仲だろう?」
「まさか地味男そういう趣味だったです? だから仲間に手を出さなかったです!?」
「ちげえよ。おい零、フルチンで遊んだのは小学生までだろ」
「そうだったかな。しかし君もあのとき興奮していただろう?」
「おい言い方。子どもが噴水で駆け回って楽しいのは当然だ」
「ふっ。僕も存分に濡れたものだ」
「噴水だからな。てか、何が言いたいんだよ」
まあ、さすがに俺をからかっているのはわかる。一神たちも呆れたように笑っていた。
あまり転生のことは吹聴して回るべきではないとは思うが、誤魔化してばかりいるのも疲れる。特に何かを勘付いている零相手なら。
「……ま、零ならいいか」
言いふらしたりはしないだろうし、元から的中率ほぼ百パーセントの占いという異常な特技を持っていたやつだ。
何かしら意見をもらえるかもしれない。
俺たちは、今まで経験したことをかなり大まかに話すのだった。
「……なるほど。逆転生とは」
ひととおり話し終えたら、零は一人でブツブツつぶやいていた。
「彼女がやり遂げたか、それとも別の要因による変化か……しかし運命が変革に至った保証はまだない。特異点を越えるまでは油断はできない……」
「零?」
「ああ、すまん楽。それより詳しく話を聞きたいのだが――む? あれはなんだ」
と零が言葉を止めて、視えないはずの視線を壁に向けた。図書室のほうだ。
その直後、
「キャーッ!」
叫び声が聞こえてきた。
尋常じゃない悲鳴だ。
「楽、ネスタリアくんが危険だ! 行きたまえ!」
「おう!」
俺は即座に零に従い、椅子を蹴飛ばして図書室側の扉から飛び出した。
さっきネスタリアが向かったのは南通路側。こっちとは反対側で遠いが、俺は全力で駆けた。
ほぼ人がいない図書室。中央入口では、受付にいる図書委員の後輩が首を伸ばして南通路側を不安そうに眺めている。
「あ、七色先輩。なんか悲鳴が――」
「そこにいろ!」
何が起こったかわからないが、そのまま通路を駆け抜けて書架の間から南通路に飛び出す。
そこにいたのは、書架を背に座り込んでいるネスタリア。
それと、鋭い牙の――虎。
「サーベルタイガー!?」
間違いない。Cランクの魔物だ。
どうしてこんなところに、と浮かんだ疑問は即座に消えた。
いままさに、サーベルタイガーが襲い掛かろうとしていたから。
「――『拳転』っ!」
とっさに術式を発動した。
霊素が薄い。本来は置換法の術を発動できるほどの密度じゃないが、なんとか発動することができた。だがステータスのないこの世界では慌てて出したパンチなど貧弱で、さらに威力も減衰している。
サーベルタイガーをほんのわずかに驚かせ、怯ませただけだった。
作った隙はほんの一瞬。
だが、俺は迷わなかった。
全体重を乗せた飛び蹴りを、サーベルタイガーの胴体に叩き込む。
「うらぁ!」
『ギャウッ』
「あいてっ」
ドロップキックなんて人生初だ。
腰を床に打ち付けて痛かったが、起き上がる前に隣にいるネスタリアに向かって叫ぶ。
「逃げろ! 入り口まで走れ!」
「ナナイロサン!? ドウシテ――」
「いいから立て! 早く!」
サーベルタイガーはすでに胴体をブルリと震わせて、体勢を整えていた。
なぜか呼吸が荒く苦しそうだが、俺の蹴りが効いたわけじゃないだろう。
この世界では動きが鈍るのはサーベルタイガーも同じらしい。
とはいえ弱っていたとしても、虎は虎。この世界の俺が敵うような相手じゃない。
「ゴ、ゴメンナサイ……アシがふるえて、立てないデス」
「くそっ」
すぐにネスタリアのそばに移動し、背中に庇う。
間髪入れず、サーベルタイガーが涎を垂らして飛びかかってきた。
俺は腕をクロスさせて身を固めた。
せめてネスタリアだけでも逃がしてやらないと――
その瞬間だった。
俺の目の前に躍り出る影がひとつ。
「鬼想流――『門貫き』」
『ッ!?』
サーベルタイガーが、床に叩きつけられた。
いつの間にか、鬼塚が俺とネスタリアの前に立っていた。
何をどうしたのかはわからないが、確実なのは、サーベルタイガーが泡を吹いて痙攣していることと、無傷の鬼塚が小さな背中を俺たちに向けていることだった。
鬼塚は呆れたように息をつきながら振り返った。
「まったく世話が焼ける男です」
手には刀も何もない。素手だった。
こいつ、拳ひとつで虎を制圧したのか……小学生並みの身長で、こうもあっさりと。
そういえば低レベル状態でも中位魔族を殺してたんだっけ。それに比べれば弱った虎なんて簡単だろう。
武の世界じゃ敵なしと言われていただけはある。
「ほら地味男、立てるです?」
「ああ。助かったよ。サンキューな」
「礼はいいです。甲斐性のない男の面倒をみるのはつるぎの役目です」
ぷいっと視線を逸らした鬼塚だった。
「にしても、なぜ魔物がいるです……?」
「そういやネスタリアは大丈夫か? 怪我はないか?」
「ワ、ワタシはダイジョーブ……ありがとデス、ナナイロサン、オニヅカサン」
手を貸して立たせようとしたが、まだ足がプルプルと震えていた。
俺の腕にしがみつついてなんとか立ち上がりながら、倒れて痙攣しているサーベルタイガーを怯えた目で凝視していた。
「コレは何なのデスカ……?」
「さあな。ひとまず虎は鬼塚に任せておいて、ネスタリアはいったん離れよう」
魔物を見たのは初めてだろうし、恐怖はすぐにはぬぐえないだろう。
トラウマにならなければいいけど。
俺がネスタリアを連れて受付まで戻ってくると、一神と憐弥が他の生徒たちを図書室の外へ誘導していた。ネスタリア以外にも何人か二階にいたらしい。
入口近くの席にネスタリアを座らせる。
受付をしていた後輩は、ネスタリアを見てほっと息をついた。
「先輩、何があったんですか? 小さい人が凄いスピードで走っていきましたけど」
「……野良犬が迷い込んでたけど、その小さい先輩が捕まえてくれたよ。病気とか持ってたら危ないから、今日は図書室閉めておこう」
「いいんですか?」
「ああ、今日は司書の先生もいないし、俺たち図書委員の判断を優先だ。一応、学年の先生に報告しててくれるか? 野良犬逃がしたら鍵は俺が閉めておくから、そのまま帰ってくれて構わないし」
「わかりました」
頷いて鍵を預け、帰っていく後輩。
部外者がいなくなると、入口にいた一神が鍵を閉めた。
「……さて。ネスタリアくん、何があったか説明してくれるか」
いや、部外者はまだいた。
車椅子でゆっくりと近づいてきた零は、まだ俺の腕を抱きしめて震えているネスタリアの反応を待つ。
「ア、アノ……ゴメンナサイ、なにもわからないデス……」
「謝る必要はない。未知とは恐怖だ。想定外の事象に遭遇してなお、十全に動ける者はさほど多くはないだろう。その感情は実に人間的であり、大事にしておくべきものであって恥じるものではない。よく耐えたことを僕が褒めようではないか」
「零、事情もわからずによくそこまで口が回るな」
「なら君が説明してくれたまえ。少なくとも、君が問題を解決してきたのだろう?」
「解決したのは鬼塚だけどな」
「なるほど聴こえた通り、脅威自体を排除したのは鬼塚くんだろう。だがネスタリアくんの危機という問題をはじめに解決したのは楽、君だ。楽がいなければ彼女は無事ではなかった。そうだろう、ネスタリアくん?」
「ウ、ウン……こわかったデス」
俺の腕をギュッと抱えて、泣きそうな顔で見上げてくるネスタリア。
そんな近くで見つめないで欲しい。すぐ後ろにいる一神の視線がやけに痛いから。
「そんで七色、何があった? 魔物の鳴き声がした気がしたから、念のため全員退避させたけど」
「サーベルタイガーがいたんだよ。ネスタリアを襲ってた」
「マジか幻聴じゃねえのか……なんでこの世界に?」
頭を抱えた憐弥。
それはこっちが聞きたい。
「ねえ、私たちの逆転生と関係あるのかな? もしかして、連れて来ちゃったとか?」
「無関係じゃないと思うけど、肉体がこっちに来るのは転生とは違う原理のはずだ。巻き込んで一緒に、っていうわけじゃない。転移か、あるいは――」
「先ほどの現象は『召喚』だ」
俺の言葉を遮って断言したのは、零だった。
その指先で、霊素をくるくると操作しながら言う。
「霊素を操って成せる技のひとつに、所有物を手元に呼び寄せる技法がある。僕はこれを『召喚』と呼んでいる。先ほど、僕には何かが召喚されたのが視えた。それが君たちの言う魔物なのだろう」
「零!? おまえ、神秘術が使えるのか!?」
「無論。なぜ僕が図書室で〝占い師〟をやっていたと思う? この学校にはここにしか霊素がないからだ。さきほど君が使った力も、僕には視えていた。君も異世界で僕と同じ力を身に付けたようだな」
さすがに驚いた。
まあでも零だから……で納得できるのは、俺が零に慣れすぎているからだろうか。こいつなら占いが実は未来予知でした、と言われても信じる気はするけど。
とにかく。
占星術。
俺は使えないが、霊素を使って特定の情報を得る理化秘術だ。
師匠曰く、星の配置から読み解いた特定の対象にまつわる情報を〝召喚法〟で脳内に直接インストールして、それを言語化したものらしい。未来予知ではなく、あくまで時系列を問わない情報の召喚だから、それを正しく言語化する能力も問われるので、神秘術の腕だけでは使いこなせない術式だ。
それに正解が出てくるわけでもないので、捉え方によっては間違った解釈をすることもある。
一部ではタロットカードなどの道具を媒介にして使う人もいるらしいが、腕が良い神秘術士は道具は使わない。
零は水盆や数字の書かれたカードを使ってたっけ。
「『召喚』は特定の対象や情報を呼び出す術だ。霊素が安定していない場所では成功率は低いうえ、実体として呼び出すのは難易度が非常に高い。だが先程、ネスタリアくんが叫ぶ前に図書室の奥側の霊素が不自然な動きを見せた。僕の見立てでは、誰かが『召喚』を用いていたはずだ」
「奥側って……なあ音無、壁や書棚がいくつもあるのに視えるもんなのか?」
「何を言っている五百尾くん。そもそも僕は生まれて一度も障害物など視えたことがない。君たちと違って、僕の視野は物質的影響は受けないのだ」
そう。全盲の零は、生まれてから一度も光を視認できたことはない。
てっきり何も見えないんだと思っていたけど、違ったらしい。
産声を上げたときからずっと、霊素だけは視えていたのか。
つまり零は、生粋の神秘術士。
「……大先輩じゃねぇかよ」
俺が偉そうに語れるような相手じゃなさそうだ。
「それで零、おまえの目から視てどうだ? 誰が召喚主かわかったか?」
「残念ながら人は視えない。それに僕以外の誰かが霊素を操作したのを視たのは今日が初めてだったから、推測を立てるのも難しい」
サーベルタイガーの召喚主はわからず、か。
「ただ、少し違和感があった」
「違和感?」
「そうだ。霊素の流れに関してだが、人物など特定の場所を起点に動いていたのではなく、この空間そのものが大きなうねりとなって『召喚』をおこなったような動きだった。おおよそ個人が操れる域を超えていたように思う。まるで『召喚』を目的として霊素が操作されたのではなく、『召喚』という事象を再現するために霊素が動いていたようだった」
神妙な面持ちで言う零だった。
空間そのものが魔物を召喚?
そんなことってあるのか?
俺が首をひねっていたら、一神が隣に座った。いまだ俺の腕にしがみついているネスタリアをチラチラと見ながら、
「七色くん、空間そのものをひとつの術式と見立てて構築するって、儀式陣の応用じゃないかな? たとえばロズさんが言ってた条件作用と術内術式、あと連結陣も使えば、大人数で儀式陣を起動しなくても個人で同じ仕組みは再現できると思うんだけど、どう思う?」
「……うーん。難しいところだなぁ」
「難しいかな? 私としては技術的には不可能じゃないと思うんだけど」
「うーん……難しい……」
難しい。
一神の言うことを理解するのがまず難しい。
「あ、これ違うやつだ。ごめんね音無くん。七色くん考えるの諦めちゃったみたい」
「楽は変わらないようだな。むしろ安心した」
零がクスリと笑みを漏らした。
俺は研究者ではないのだ。許して欲しい。
それに俺は召喚法が一番伸び悩んだからな。師匠も置換法を伸ばす方向に舵を切ったし、いくら神秘術とはいえ得意不得意があるのだ。
まあ言い訳ですけど? わかってますよ?
「……所詮俺なんて〝神秘の赤ちゃん〟ですよ」
「拗ねないで? よしよし」
「あずさ、そうやって甘やかすから地味男が成長しないです」
と、俺の頭を撫でる一神の手を払いのけたのは鬼塚だった。
なぜ俺を睨む。
「七色くんはがんばってるからいいの。それよりつるぎ、サーベルタイガーは?」
「消えたです。たぶんあっちの世界に戻されたです。それより、これからどうするです? 下手人は見つかってないようですが」
「どうしよっか。同じことが起こらないか、しばらくは見てた方が良いと思うけど……」
不安そうな一神。
確かに、霊素が視える俺か一神、あるいは零はこの場にいた方が良いだろう。
俺と同じことを思ったのか、零がうなずいた。
「ではこの場で話を進めよう。僕なら物理的に視界を遮られず、図書室全体の霊素が常に視れるうえに、不規則な動きがあったら霊素を操作して阻害することもできる。せめて話し合いが終わるまでは邪魔されないようにはできるとも」
「そうだな。俺も手伝う」
「助かる。では先程の話に戻ろう。君たちの身に起こった不可思議な現象について、僕からもひとつ知識を提供しよう」
「知識?」
そういえば、異世界転生や逆転生のことを言っても、零はまったく驚いていなかったな。
神秘術士だったこともそうだし、零にも隠し事があったらしい。
「僕の見立てでは、先程この空間に干渉した――いや、あえてこう言おう。侵蝕しようとしている何者かは、君たちを確実に始末するのが目的だ」
「……俺たちを? なんで?」
「動機は定かではない。しかしこれには確信がある。先程僕が君たちに『何周目か』と尋ねたことにも関係がある重要なことだ」
「もったいぶるなよ」
「せっかちなやつめ、だがそれも楽らしい。……実を言うと君たち三年二組の生徒は、過去どのような行動を取っても未来で同じ結末を辿ることになるのだ。まるで運命の糸束を手繰り寄せられるように」
「運命を……」
「そう。君たちにも身に覚えがあるだろう。個別に行動していたとしても、遠い海外に逃亡したとしても、たとえクラス写真で全員ひと固まりに身を固めていても、君たちは必ず――」
零は頭上を指さした。
まるで空に、何かがあるかのように。
「――明日の正午きっかりに死ぬことになる。僕は、それを知っているのだ」




