10『若人よ夢を抱くのです!』
結局、家久ちゃんの必死の懇願が通じたのか、有馬晴信の撤退は島津軍の築く防塁を見極めてから、という事に決着した。
それから、速やかな防衛ライン構築のために、丸尾城近辺までの視察を急ぐ家久ちゃんに、私と直茂ちゃんも同行した。
元々、丸尾城攻撃隊を率いるはずの私たちも、その視察については利害が一致していたため、直茂ちゃんも私の行動に異議は挟まなかった。
そして夜――
「なんだか、すみません。昌五郎さんたちまで、お付き合いいただいて」
野宿の輪の中で、家久ちゃんがすまなそうに口を開いた。
「いいって、いいって。私たちも田んぼだけじゃなくて畑も考えてたから、ちょうどこの辺も見ておきたかったんだよ。――ねっ、直次郎ちゃん」
「そうですね。この辺りまで来ると、ずいぶん『足場』もよくなりそうですしね」
さりげない相槌の様だが、直次郎ちゃんこと鍋島直茂の言葉には――『迂回路なら、こちらの山手側の方が大軍を通すのには有利だ』という、昌五郎こと私、木下昌直だけに向けたメッセージが込められている。
それには私も同意だ。
日暮れまで歩き回ったが、こちらのルートなら森岳城まで多少遠回りだが、足場がしっかりしている分、伏兵がいても数の力で押し切れる。
家久ちゃんへの闇討ちを諦めたせいか、直茂ちゃんの顔付きも、もうすっかり落ち着いている。
今の発言の様に、本来の知将としての冴えも復活してきた様子だし、何はともあれ安心した。
だが、まだ私たちには『課題』が残っている――。
足軽、そして農民に化けながら、担当の別働隊を置いてきてまで、本隊を追い抜き二人だけでここまで先行してきたのは、この『沖田畷の戦い』の舞台に、運命を覆す『楔』を打ち込むためだ。
このまま戦が始まれば、龍造寺軍は大将である隆信ちゃんが討ち取られ、大敗北を喫する。
それを回避する『根回し』を、タイムリミットである今日、三月二十一日中に施すのが私と直茂ちゃんの目的だった。
昨晩の島津家久に続き、今日は有馬晴信に遭遇し、彼女は戦場からの撤退を示唆した。
だが、それはいまだ不確定要素で、家久ちゃんの熱気に、有馬晴信がそれを逡巡する展開となってしまった。
もう明日には島津軍が到着する。
龍造寺軍の到着はその翌二十三日だ。
何かをするなら、もう今しかないんだ。でも今、私たちに何ができる⁉︎
正面きって家久ちゃんを斬るなんて事は不可能だし、元より私は直茂ちゃんの闇討ちを止めた様に、そんな事はしたくない。
暗殺を『不正』という気はないが、ビジネスに置き換えてみても、その手段に私はなんともいえない違和感を感じてしまうのだ。
ビジネスウーマンの信念を戦乱の世界に持ち込むのは、そもそも間違っているのかもしれない。
でも一つだけはっきりと言えるのは――己が信念に反する行いには、必ずその『しっぺ返し』がくるという事だ。
それは私が生きていた世界でも、この『姫戦国時代』でも絶対に変わらないはずだ!
だから――
「ねえ、家久ちゃん。あなたは、これからどうしたいの?」
私は自然に口を開くと、そう言っていた。
「えっ……?」
家久ちゃんは戸惑っている。
我ながら突拍子もない質問だと思う。
でも、それを聞いておかなくては、私は正々堂々と前に進めない気がするのだ。
島津家久という存在の、現時点での評価の低さには私も驚いた。
冷静に考えれば、家久ちゃんが歴史に名を轟かすのは、『沖田畷の戦い』以降の事だ。
有馬晴信が『部屋住みの小娘』と言った様に、まだ家久ちゃんは城持ちでもない『ただの』一門格の武将に過ぎない。
だから武功を立てんとする気概はあってもいいのだが、何かこの子の根底に流れるのはそういった気概とは別の、言うなれば――度が過ぎた『奉仕の心』の様に思われるのだ。
「私は……島津の家の役に立てれば、それが本望です」
そらきた。やっぱり彼女は自分じゃない、他の誰か――家のために滅私奉公しようとしている。
そりゃ奉仕の心は大事ですよ。
でもそれにしたって、まず自分の事を一番に可愛がってあげてからの事でしょ!
「ねえ、それはお姉さんたちが、そうしろって言ってるの⁉︎」
「いえ、そんな事はありません。棟梁の義久姉様は雌母様が違う私にも、分け隔てなく優しくしてくださいます。義弘姉様だって武勇に優れてますし、歳久姉様はとても頭が良くて……、本当に私なんか足元にも及ばない、みんなすごい姉様たちなんです。だから私は――そんな姉様たちに『追い付かなくてはならない』んです」
……ああ、なんとなく分かったわ。
まあ少しは姉妹仲はギスってるんでしょうけど、それにしてもこの善良すぎる子には、前を走るチート姉妹たちの存在が一種の『強迫観念』になっているって事ね。
このケースのタチの悪いとこは――本人がそれに気付いてないって事なのよ。
これってビジネスの世界も同じで、下手をすれば過労死寸前まで走り続ける。
人間、時には死に物狂いも必要だけれど、本当に死んでしまっては話にならないのに……。
ああ、なんか無性に腹が立ってきたぞ!
「追い付かなきゃならないって……、私は『あなたが』どうしたいか聞いたのよ!」
「……えっ⁉︎」
突然の剣幕に、家久ちゃんが驚いている。
でもここは、お姉さん止まらないわよ!
「そんなんじゃダメだよ! 何か『夢』を持たなきゃ!」
「夢……ですか?」
ああそうだよ、夢だよ!
誰のためでもない、自分自身の夢をだよ!
私にもあったさ。それはそれは、たくさんの夢が……。
年齢イコール彼氏いない歴のまま三十路手前まで来たけど、バリバリのビジネスウーマンやってたのは仕事に生きるためじゃなくて、タワマン買いたいとか、いつか素敵な社長さんと出会って玉の輿かましちゃうとか、それはそれは俗物的な願いが山ほどあったのさ。
でも私は、それが恥ずかしい事だとは全然思わない。
人様に迷惑さえかけなけりゃ、そういった欲望こそが、誰でもない『自分』が自分らしく生きるための原動力になるんじゃないのかい⁉︎
「そう、夢! 何かないの? 例えばさ、城持ちになるとか、すっごい偉い官位もらっちゃうとか……、じゃなけりゃ『素敵なお相手と結ばれちゃう』とか?」
――ん? 今、なんか直茂ちゃんの方から、すっごい熱い『圧』を感じたんだが……。
き、気のせい?
と、とにかく今は家久ちゃんの事だ。
「私の……自分の夢……」
「そう。私はあなたが――島津家久が、こうしたいって思う夢を持って生きてほしいの」
「…………」
「そうすれば……きっとあなたは、もっと強くなれるはずよ」
「――――!」
話はそこで終わり、三人並んで就寝となった。
あー、でも我ながらなに言っちゃってんだろう。
どこぞの熱血教師かよ。
まあでも言いたい事は、言ってやった。
これで『とりあえず』悔いはない。
今日がダメでも明日がある。
私は最後の最後まで何も諦めない――そう諦めが悪い女なのだ。
だから全力で明日に向かうためにも、己が信念を貫いた事には満足だ。
し、か、し、それはさておき――隣で眠る直茂ちゃんの距離が近いぞ!
こ、これではまるで添い寝だ!
いやー、もしやとは思うが、家久ちゃんへの闇討ちをごまかすためとはいえ、直茂ちゃんにはセクハラ三昧かましちゃったから、そのせいでなんか変なスイッチが入っちゃったか?
さっき家久ちゃんに、恋バナ持ちかけた時も、私の事じっと見てたしなー。
とはいえ、この女しかいない『姫戦国時代』に召喚されてから、私もちょっと新たな嗜好に目覚めた気もする……。
人生初の恋人が、彼氏じゃなくて彼女――。
って、いやいやいや、明日も早い! 寝よう!
翌朝――
沖田畷まで戻った私たちの目に、南方からけたたましい馬蹄の響きと共に、砂塵が近付いてきた。
到着したのだ――薩摩島津家の援軍が。
「昌五郎さん、直次郎さん、ここでお別れです。日をおかず、ここは戦場になりますので、お二人は戦が終わるまで安全な所に隠れていてください」
そう言った家久ちゃんの顔は――まぎれもない『武士』のものになっていた。
「うん。こういう時って……『ご武運を』、でいいのかな?」
私はなにを言っているんだろう。
これから相対する敵軍の大将の武運を祈るなんて、我ながら失笑してしまいそうだ。
「……はい、ありがとうございます!」
でも、この少女の笑顔が見れたんだ。
それはそれでいいか――なんて考えていると、
「昌五郎さん。昨日の話ですが、私にも『夢』ができました」
思いがけない家久ちゃんの言葉に、面食らってしまった。
だが驚きよりも、喜びの方がはるかに上回っている。
だから私は、家久ちゃんの言葉を笑顔で待ったのだが――
「私は……あなたの様な『武士』になりたいです!」
「――――!」
その答えに私も直茂ちゃんも、揃って絶句してしまった。
家久ちゃんからは、ものすごい熱気を感じる。
ただ言葉を受け取っただけなのに、その清々しいまでの『圧』に、私は吹き飛ばされてしまいそうだった。
そして背筋に冷たいものが走る。
まさか……、まさか、まさか、まさか⁉︎
「あと戻られたら、すぐ馬に水と飼葉をやってあげてください。私に付き合わせたせいで、可哀想な思いをさせているかもしれませんからね」
やっぱり――バレていた!
私たちが馬でここまで来た事も分かっているなら、最初からなのか⁉︎
「それでは……ご武運を――」
そう言い残し、家久ちゃんはもう振り返らずに自軍に向かっていった。
「ま、昌直さん……!」
「…………あっちゃー」
直茂ちゃんと二人で見送るその背中は、初めて見た時よりも、とてつもなく大きくなっている様に私には見えた。




