74《17》聖女は再び王宮に行った
放課後、エレンは訓練場に来ていた。
普段通りな感じでのほほんと過ごしていたのだけれど、突然、訓練場が騒然となる。
エレンが休憩中の兵士達や見学の子と話していると、受付にいたはずの兵士がよろよろと打ち合いスペースにやってきて、ぱたりと力尽きた。
「おいしっかりしろ! なにがあった!?」
「女神だ……女神様が現れた……」
「え? なになに?」
エレンが他の兵士達と同様に入口に目を向けたら、イアンと一緒に水の女神が現れた。歩く度に水色の髪がさらりと艶めいて揺れる。なるほどマーリン様か、とエレンは思った。
マーリンを初めて見た兵士達が我を忘れて、エレンと初めて会った時と同じ過ちを犯そうとするから、マーリンがぎょっとしてイアンの影に隠れる。
それでも「彼氏いますか」「どんな人がタイプですか」と言いながら突進して行く勇猛果敢な兵士達は、イアンの風魔法で「わー」と軽く吹き飛ばされた。
基準が曖昧で謎だけど、魔力がない人に対しても、転ばす程度の魔法なら使ってもいいようだ。
もしくは……今の兵士達が、世界に野獣か魔獣判定をされたのかもしれないけれど。
エレンの側にいた女の子が震えて「無理無理無理。あいつら最悪! あんなことされるの恐怖しかないですよっ。イケメンでも有罪! 万死! あほ!」とか小声で言うから、エレンも「そだねー」と言う。
イアンが呆れながら言った。
「訓練場の心得その1は?」
「『まずは安心感』!! ……は! しまった!」
「すみませんでした! イアン様と女神様!」
「うん。あとこの方は婚約していますよ」
一瞬で兵士達を絶望に落とすイアンである。
お通夜状態になってようやくマーリンが顔を出した。
「エレンさん?」
「あ、ここです! ……外行きましょっか」
「ええ、そのほうがよさそうですね」
兵士達がいい人だとは知っているけれど、マーリンの名前は、兵士達の前では呼ばないように気をつけることにした。
恋は時に人を盲目にさせるって言うしね!
用心はするに越したことはないのだ。
外に出て、周りに人気がないことを確認してから3人で話す。
「今日、ウィリアム様は学園に来ませんでした」
「そうですか……まあそんな気はしてました」
イアンの言葉にエレンは同意しかない。だってあんな別れ方したら、エレンなら絶対仮病で休む。
「でも、明日以降もそれでは困りますわ……」
マーリンの指が無意識に唇に触れている。
そうして、イアンとエレンの方を見て言った。
「なので、今から王宮に行こうと思っています。
一緒に来てくれますか?」
「ええ」
「もちろん」
この時まではまだ3人とも、たぶんもっと軽く考えていた。王宮まで押し掛けたら、会えるだろうくらいに。
そうして王宮に行くと、ウィリアムの私室に通される。中には王様がいて、諦めたように哀しく微笑みながら、非情なことを告げる。
「ウィリアムは、一人で《挑戦》することを選んだようだね。……書き置きがあった。3日で戻らなければ、王位継承権を返上し、マーリン……君との婚約も解消すると」
ウィリアムは眠ったままだ。
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「この子は反対されそうなことをする時はいつも、こうして書き置きを残すんだ。そして強硬する。
……私はいつも、出し抜かれてな。
迷宮の話をした時も、こうなる可能性は感じていたんだ……でもどうしようもなかった。
君達にも、心配をかけてすまなかったね」
王様はそんな風に言う。マーリンは固まっていたから、エレンが代わりに「いえ……」と言って首を横に振った。
続いてイアンが質問する。
「ウィリアム様はずっと眠ったままなのですか?」
「ああ。なにをしても起きない」
「……申し訳ありません。扉をくぐる順番を決めた時に、ウィリアム様を、私が、最後にしました。
マーリン様が、警戒していたにも関わらず」
「いいや、イアン君。ウィリアムは誘導が上手いんだ。それでもなお、君に危機感を抱かせないくらい、本気だったということだろう」
マーリンがそこでようやく口を開いた。
「……もう少し、このまま、王宮に留まっていてもよろしいでしょうか」
「ああ。もちろん。……私は公務に戻るが、君達はゆっくりしなさい」
「ありがとうございます」
王様が気をきかせて、部屋を出ていった。
マーリンが再び口をつぐんでしまったので、エレンは心配して声をかける。
「マーリン様……」
でもなんて言えば。
エレンは、マーリンの名を呼んだものの、その先の言葉が見つからなくて、マーリンを見つめた。
イアンもなにも言わない。
しばらく時が流れて、静かに眠るウィリアムを見つめていたマーリンが、顔を上げて振り向いた。
「『3日間』……これは飲まず食わずで人が生きられるとされる、リミットの日数です」
マーリンのエメラルド色の瞳に必死な光が宿っている。
「この前……エレンさんが具合を悪くした時……絵を見ていましたね……王妃様の絵を。あれが、入口かもしれません。お願いです、もう一度」




