8話
「私、寂しいですわ」
シンタロウとイザナギがやってきて2週間が経過しようとしていた。
色々とぎこちなかったところもあったが、驚くほど上手く馴染んでいる。
二人は勿論のこと、両親とメグルも騒がしい日々を楽しく過ごしていた。
余談だが、特に一番気難しく反発があるだろうと思われてたメグルがイザナギとは目に見えて随分と仲良くなっているのに、両親は密かに安堵していた。言うと恥ずかしがるだろうとノボムもユメも見守っているだけである。
そんなこんなで、気付けばすっかり本田家の新たな日常が定着しつつあった。
そして、現在。
夕飯を食べ終わり、リビングにてダラダラと家族で取り留めのない会話をしていると、イザナギが伏し目がちにこぼした。
「きゅ、急にどうしたのイザナギ」
寂しい、と言う言葉に大いに動揺したのはシンタロウだった。
全身を肌を重ね合わせることは無理でも、適度にスキンシップは出来ているはず。
自分に落ち度はないと必死にここ数日の出来事を巡らせるも、やはり思い浮かばない。
青い顔で固まっていると、ユメが責任重大と言った顔で神妙に頷いた。
ウイスキーの入ったグラスを片手に持ち、若干顔は赤いが。
「イザナギ、ウチの息子が甲斐性なしで済まないっ!」
「一緒に寝るのを禁止したの母さんじゃないか! 僕だって夜寂しいよ!」
「やらしっ」
「姉さんまで乗っからないでよ……」
横道にそれたところで、ノゾムがイザナギを促した。
非常に上手く役割が決まっている家族である。
「まあまあ。それで? イザナギちゃんはなにが不満なの?」
「よくぞ聞いてくださいましたお義父様。私、昼間が暇で暇で仕方ないのです」
「昼間かあ」
ううむと悩むノゾム。
確かに、平日の昼間は子供二人は学校へ、ユメは会社にノゾムはパートへ稼ぎに行って家にはイザナギ一人だ。
最初の数日こそパートを休んで家や世間のあれこれをイザナギに教えるために自宅にいたが、最近は留守番を任せていた。
向こうの世界でシンタロウと結婚していたと豪語するだけあって家事は(ノゾム基準ではまだまだ及第点ではない)しっかりやっているし、粗相をするわけでもないので彼女がどう過ごしているか考えていなかった。
寂しいし、暇なのだろう。
「そうだねえ……どうしようか、ユメさん」
「ふーむ――よし、アレを渡そう」
腕組みをしてしばらく思案した後、立ち上がり物置部屋に向かう。
しばらくして戻ってくると、手に持つソレをイザナギに渡した。
「スマートフォンだ。私のお下がりだけど、家のwifiで使えるから」
「まあ、私にも戴けるんですの?」
ユメが珍しく画面を割らずに使い終えたので、取っておいたものだった。
銀色の端末――スマホをなでなでして喜ぶイザナギ。
が、すぐに首を傾げる。
「これがあれば――なにが出来るんですの?」
「それはメグルに聞いて教えてもらって」
「お母さんさあ……いいけどさあ」
メグルが脱力しながらボヤくと、イザナギの顔がさっと曇る。
耳や尻尾があれば盛大に垂れ下がっている事だろう。
「ごめんなさいお義姉様。教えてほしいですわ」
「あ、いや、その、言葉の綾だから! 教えるの好きだから、シンタロウに勉強教えてるし、ねっ?」
「姉さんはイザナギには甘いなあ……」
「うるさい」
はあ、メグルがため息を吐くと、イザナギが申し訳無さそうに見つめてきたので慌ててフォローする。
彼女はいちいちずるい。素直すぎるのだ。甘やかしたくもなる。まだ安心して突き放せるほどの距離にないとも言えるが。
現にすぐにぱっと顔を綻ばせるイザナギを見て、大きく安堵する。
「ありがとうございます! これ、使ってみたかったんです」
「――ん。取り敢えず。お母さん、これ初期化して」
しょうがないなあとヤレヤレという体だが口元が緩んでいるメグルは、イザナギから一旦スマホを受け取りニヤニヤ見ている母に突き出した。
ユメはスマホを見て、次いで夫を見る。
「ノゾムくん、娘が難しいこと言い出したぞ」
「もう、私がやるから。ロック解除して!」
◆
「――で、ここタップ、押して」
「はい……わ! 映りましたわ!」
メグルのスマホに映るイザナギの顔が綻ぶ。
メグルの部屋で、基本操作から教えてLINEの使い方を教えている。今は、テレビ通話を試したところである。
イチから教えているが、如何せん初めて触れるものなので中々に覚束ない。
メグル自身そこまで詳しいわけではないし所々詰まりながら説明していたのでかなり時間がかってしまった。
「こういうのは向こうの世界になかった?」
「そうですわね、こんなに便利なものは無かったですわ」
「ふーん……」
魔法みたいなのがあるらしいし、必要ないから作っていないのかな。
一人納得して、時間的にも取り敢えず今日はここまでと切り上げた。
イザナギはスマホを胸元で大事そうに包み込む。
「これでシン様と何時でもお話できますわ」
「――あ」
メグルは肝心な事を忘れていることに気付いた。
凄くキラキラした目でスマホを見つめているので言い難いが、どうせすぐに分かる事だ。
「……あのさイザナギさん、シンタロウはスマホ持ってないよ」
「ええっ!?」
「それに小学生はスマホ学校に持ってっちゃ駄目だしね」
「そんなっ!?」
ずがーんと雷が落ちたようにショックを受けるイザナギ。
なぜメグルが教えて、この場にシンタロウがいないのかやっと気付いたようだ。
ちょっと申し訳なく思うがどうしようもない。母と学校の方針である。
「それじゃあ、お義姉様に電話しますわね」
「……うん、いいよ」
「ありがとうございます! お話できるの、楽しみですわ」
不満の声をあげようものならまたしょげてしまうのが思い浮かんだので、頷く。
――喜んでるからいいか。
しょうがないなとメグルは微笑んだ。
「あ、でもお昼にかけてね。授業中は電話、出れないから」
学校の休み時間を把握していないのでどう考えてもメグルから掛けたほうがいいが、自分からというのは恥ずかしいのでイザナギ任せにする。
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、イザナギは嬉しそうに笑う。
「お昼ですわね。明日、必ず掛けますわ」
「ん。……あ、でもさっき教えたチャットなら授業中でも返せるから」
「? 授業を受けているのに、ですか?」
「硬いこと言わない言わない」
目を丸くして驚く彼女に、余計なことを言ったかなと思いつつメグルは誤魔化した。
そんな様子にイザナギは小さく笑う。
「あまり褒められたことではありませんが……お義姉様と連絡できるなら私も目をつむりましょう」
「なにそれ」
人差し指を立てて芝居がかった言い方に、メグルは吹き出した。釣られてイザナギも笑う。
世界を越えて押しかけてくるだけあってすこし図々しいし、口調の割に随分俗っぽいのが、彼女を魅力的にしているのだ。
恥ずかしくて本人には絶対言わないが。
「じゃあ、明日ね」
「はい、また明日」
ちなみに、二人の寝る部屋はまだ同じである。
◆
「……と言う訳で連絡待ちしてます」
昼休み。
今日は、メグルの他は友達のリサの二人で昼食を食べた。リサが、人気の少ない校舎裏でなぜこそこそ食べるのか質問したところである。
メグルは教室では隠しているが、時折人気のないところで家族――主にシンタロウやイザナギの話をリサに打ち明けていた。
「ははぁナルホド。愛しの義妹さんからの電話待ちですか。お熱いじゃん」
「ちょ、茶化さない。これでも不和ができないよう私なりに上手く立ち回ってるんだし」
肩をすくめるメグルを見て、リサはニンマリと笑う。
口ではヤレヤレと言っているが、ここ最近の彼女は至極楽しそうであるとリサは感じていた。
というより目に見えて機嫌がいい。
ほんの一ヶ月前は弟が倒れて終始暗く沈んでいたので、リサとしても親友が上機嫌なのは喜ばしい。
「毎日愛情弁当ニヤけながら食べてるくせによく言うわ〜」
「は? ニヤけてないし」
「今度食べてるとこ写真撮ったげよっか」
「……撮ったら怒るから」
手に持っていたスマホから着信音が聞こえて、メグルは慌てて画面を見る。
スマホのアプリからの着信。相手はもちろんイザナギである。
それもテレビ通話をご指定だった。
メグルは一度隣に座るリサを一瞥する(リサはにひひと笑い返した)と、思い切るように受話器のマークをタップした。
「あ、お義姉様! イザナギです。映りました!」
「ああうん、こっちも見えてるよ。ちゃんと使えてるしすごいじゃん」
画面に映るイザナギがひらひらと嬉しそうに手を振るので、メグルも照れ臭いが返してあげる。
「いま、お昼休みですか?」
「そーだよ。食べ終わって、だらだらしてたとこ。あと30分くらいはあるから」
「ならたくさんお話しできますわね!」
「ん、ギガ減るからほどほどでお願い……」「ぎが?」
他愛ない会話を続ける二人に、端末のカメラに入る様メグルに身体を寄せてリサが割って入った。
「うわ、ちょ、リサ――」
「やっほ。イザナギちゃん久しぶり」
いつもと変わらない飄々とした態度だ。
イザナギとは違うが、リサもまた人の輪に気負うことなく入っていけるタイプである。
少し羨ましいと思う反面、メグルには到底真似できないとも思っていた。
突如現れたリサに、イザナギは一瞬戸惑うが、直ぐに思い出したように両手を合わせる。
「まあ――ええと、タイチリサさんですわね。しばらくぶりですわ」
「カタイね~。リサでいいって」
「では、リサさん」
「おけおけ。前はあんまり話せなかったしね。覚えててくれて嬉しーし」
「うふふ。シン様に近づく方は皆忘れませんわ」
スマホの画面からも漏れ出る圧。
そんな気ないよ~と軽い調子で否定すると、イザナギの険も晴れてしまう。
あまりの素直さににリサはけらけらと笑った。
「やっぱいいキャラしてるわイザナギちゃん――どう? こっちは慣れた?」
「はい、シン様ご一家が暖かく迎え入れてくれて、私は幸せ者です」
「さっきもオネエサマが映って嬉しそうだったしねえ~」
「電話するって約束しましたもの。ちゃんと応えてくれて嬉しいですわ」
二人の会話を聞いていると、メグルはなんだか無性に恥ずかしくなってきた。
リサには色々と話しているし一緒に通話してもいいかと構えていたが、今はこの場から離れたい。
双方メグルにとって余計なことを言わないか気が気ではない。
気付かれないようにスマホをずらしてリサに向けていく。
「ね、オネエサマもイザナギちゃんと話すのすっごい楽しみにしてたんだみたいよ。授業中もたまに見てたし昼休み入ってからはずっとソワソワしてんの」
「まあ、ふふふ。私もですわ。本当は12時ぴったりにかけようかと思っていましたの」
「お熱いね~」
「――リサ、後で覚えてなよ」
「お~こわ」
ふざけた調子で舌をんべ、と出すとリサは立ち上がる。
「そんじゃ、名残惜しいけどアタシはこの辺で」
「リサ、なんか用事あったっけ?」
「ないけどぉ、二人の邪魔しちゃ悪いじゃん?」
「別にそんなんじゃないんだけど。私は去る者追わないからね」
「素直じゃないなあ――それじゃイザナギちゃん、またね~」「あ、はい。……また?」
そのまま本当に立ち去ってしまった。
相変わらず、引っ掻き回すだけ回して満足したら去っていく。かと思えば親身に話を聞いてくれたり、掴みどころのなさすぎる友人だ。
イザナギとの初通話に同席させたのは間違いだったかもしれない。
メグルが内心そう考えてながらイザナギの映る画面を見ると、彼女は困惑とは縁遠く微笑んでいた。それも、寂寥を含む笑みだ。
彼女の寂しそうな笑顔に、メグルは虚をつかれて面食らう。
「お二人共、家族の前とは違う顔を見せているのが、少し羨ましいですわ」
「え?」
「シン様もお義姉様も、お友達の前では家族に見せているのとは違う、穏やかな表情で、なんだか少し遠く感じて」
「イザナギさん……?」
「――ふふ。ごめんなさい、暗くなってしまいましたわね」
イザナギは文字通り身一つでこちらの世界にやってきた。
向こうでのシンタロウ以外の家族や友人も居たはずだ。
でも、夫と添い遂げるために全て置いてきた。
彼女のことだからきっと後悔はしていないだろうが、それでも時折寂しくなるのだろう。
もしかして、今朝の「寂しい」も。
はっとして、メグルは画面越しの彼女にどう声をかければいいか解らなくなった。
だが、ここで黙ってしまうのはどう考えても悪手なのも解っていた。
――もしかしたら私の思い過ごしか気の回しすぎかもしれないけど。
「ねえ、イザナギさん。……あのさ、私、一回しか言わないから」
「は、はい?」
別にここでフォローしなくても、彼女はなにもなかったように振る舞うだろう。
でもだからこそ、とにかく、脳から直接言葉を絞り出すように。
小細工なしに、素直な言葉でぶつけるしかない。
「私と――」
彼女にはいつも笑っていてほしかった。
彼女が居なければ、メグルとシンタロウは、家族は元以上に賑やかにはならなかったはずだから。
だからメグルなりに考えて、イザナギにしか出来ない頼み事をする。
「私と友達になって…………ください」
メグルはあまりの恥ずかしさに目をつむった。
今更関係を精算する必要なんてどこにもないし、急になに言い出すんだコイツと戸惑うかもしれない。
色々と悶々して、じわりと瞳が潤む。
ドキドキと高鳴る鼓動以外、何の音も聞こえないので余計怖くなってきた。
意を決して薄目で端末の画面を見ると、
「ちょっ、なんで泣いてるの!?」
「うう……」
イザナギは静かに涙を流していた。
またも予想外な反応に、メグルはもうどうしたらいいか本当にわからなくなった。
また、涙が滲んでくる。溢れるほどでもないのが鬱陶しい。
頭から湯気が出そうな慌て様が功を奏したのか、イザナギが涙を拭って表情を緩める。メグルとしては複雑な気持ちだが、彼女の笑顔を取り戻せて安堵した。
そしてイザナギもまた、意を決してメグルを見つめた。
「ありがとうございます、お義姉様。私も、私からもお願いします」
「うん――はい」
「私とお友達になってください」
「……うん」
お互い、潤んだ瞳で画面越しの相手を見つめる。
必死の表情に、気付けば双方吹き出していた。
なぜ涙がこぼれたのかサッパリ分からないが、とても気分が晴れやかなので良しとしよう。
「ね、イザナギさん。私やっぱりまだ義姉とかよく分かんないしさ。……その、メグル、でいいよ。呼び方」
「ふふ、そうはいきませんわ。お友達であると同時に、お義姉様はシン様の姉ですもの」
「ええ~この流れでそう来るかなあ……」
「ごめんなさい。メグル様、と呼ぶよりお義姉様と呼ぶほうがしっくり来ますわ」
「様はいいってば」
「はい、お義姉様」
「もう……」
他愛ないことで、クスクスと笑い合う。
それから少し話して、程なくしてチャイムが鳴った。
なんだか、メグルの人生の中で一番長い昼休みだったような気さえしたのだった。