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悪魔はご満悦






 背後から、鼻唄が聞こえてくる。

 どうやら、イウリアを抱き締めている悪魔はご機嫌のようだ。

 この様子は、実はこの間からずっとではある。


 よく晴れた午後、庭で一番大きな木の下で、イウリアはどきどきを抱えながら、抱き締められるままになっている。

 自らを脚の間に収めたアゼルをちらっと窺うと、アゼルはにこりと笑った。


「何だ? イウリア」

「…………アゼルのせいで、ルメが来ないわ」


 ちょっと間をあけて答えたイウリアは、離れたところに行ってしまった犬を示した。例によって怯えた様子だ。


「犬の意気地がないのが悪い」


 怯えさせている当の悪魔は、完全に犬が悪いと決めつけ、一層イウリアを包み込んだ。






 ──イウリアがアゼルと契約して、二週間が経っていた。

 両親がその事実を知ったとき、父はもちろん、さしもの母も驚いた顔をしていた。


 ──「一体、どういうつもりだアゼル!!」

 ──「お父さま、わたしがアゼルに頼んだの!」


 悪魔の胸ぐらを掴まんばかりの父に、イウリアは慌てた。


 ──「アゼルが戻らないと、お父さまも、お母さまも、危ないと思ったから……」


 そんなの、絶対に嫌だった。

 確かにイウリアも危険な目に遭いかけて、父がアゼルが来させてくれて助かった。でも、そのせいで父は危険だったはずだ。

 思い出して声が震えると、父は狼狽えた様子になった。


 ──「アゼルをこちらに戻すために契約したのか。……くそ、私の落ち度だった。もう少し、言い方を変えていれば……」


 髪を乱し、悔いるように言い、父はその目でアゼルを見た。

 今度は掴みかからず、落ち着いた様子だ。


 ──「アゼル、イウリアとの契約内容の解釈はどうしている」

 ──「『両親を助けてほしい』だから、とりあえずは両方もしくはどちらか一方が生きている間は継続出来るぞ」

 ──「……イウリアの魂は、今回一回では持っていかないと?」

 ──「もちろん」

 ──「何がもちろんだ……。いつもはこっちの都合の悪い方にばかり隙をついてくるくせに」

 ──「当然イウリアを贔屓しているんだ」

 ──「ふざけるな。……召喚陣も無し、制限も無し……イウリアとの契約において、お前は一つの枷もついていない」

 ──「命令は聞くぞ」

 ──「それも明確に契約内容に盛り込まなかった以上は、お前の任意でだろう。それに、契約終了の主導権はお前が握っている」

 ──「契約なら、結び直してもいい」

 ──「は?」


 父が間の抜けた声を出した。


 ──「元々契約自体は俺達の力で結ぶものだ。俺達が取引に応じて、初めて成り立つものなわけだからな。つまり、魂を取引に使った契約の事実自体は変えられないが、契約内容の変更は契約者が望み、俺達が応じれば出来る」


 普通はしてやらないがな、とアゼルは笑った。


 ──「イウリアとの契約内容の改訂は俺も望むところだ。このままだと、ご主人サマたちが死んだら、さすがに契約満了になってしまう。ただ、ご主人サマも理解している通り、今回のイウリアとの契約の主導権は俺が握っている。命令を聞く義理はあるが、契約変更の内容は、俺がうんと言わなければ通らない」

 ──「………………。……イウリア、アゼルとの契約内容を変更しなさい」

 ──「お父さま、勝手に契約して、怒っている?」


 あまりに静かな声音に、恐る恐る尋ねると、父は首を横に振った。


 ──「イウリアを怒るはずがない。イウリアは、私達を思ってしてくれたんだろう? 事実、それでここにいられる」

 ──「それに、将来どこのどいつが来るか分からない召喚作業をするよりも、俺が契約しておいた方が安心だろう」

 ──「安心!? どの口が言っている!」

 ──「まあまあ、あなた。契約内容も見直してくださるのだから」


 こういったやり取りを経て、両親の監修とアゼルの納得の元、契約内容は変更されたのである。

 もしも将来的に先に両親がいなくなったとしても、契約満了にならない形に。


 しかしながら、契約の事実が出来たこと以外は何も変わらず、元の生活に戻っている。

 平穏に、平和に。

 何も、変わらず。



 イウリアはまたちらっとアゼルを見た。目が合う。目を逸らす。

 途端にぎゅうと力を込められるけれど、以前あったように何かを囁かれることはなくなった。

 契約を交わした日から、ぱたりとなくなったのだ。

 以前はその対応に困っていたイウリアだったけれど、何も言えないままになくなって、勝手にも次はそのことに戸惑っていた。


「……アゼル」

「ん」


 アゼルは短い返事で何だと応じてくれた一方、話しかけた側のイウリアは躊躇した。

 こんなことを言うと、何だか面倒な女ではないだろうか。

 でも、ずっと気にかかっていて、心にかかるもやもやは日に日に分厚くなっていくばかり。


「……わたしのこと、好きじゃなくなった?」


 消え入るような声で尋ねると、


「──どうしてそんなことを言う」


 びっくりした声に聞き返された。

 俯きがちにした顔を上げさせられ、後ろから覗き込んで来る顔がすぐそこにあった。


「イウリア」

「……その、好きだって、言わなくなったから」


 自分から言うのも何かもしれないが、イウリアにとって、大きな変化だった。

 契約を結んだあの日から、アゼルはイウリアに好きだとは言わなくなった。


「わたしと、契約したかっただけ?」


 契機を元に考えた理由がそれだった。

 悪魔にはそういう感じの「好き」があるのかもしれない。

 どのみち、イウリアが抱いた気持ちとは異なっていたのかも。


「リリデアが、悪魔の恋愛は遊びだって言っていたし……」

「リリデアが?」


 アゼルはむっとした表情と声をした。

 そして、イウリアをもっと引き寄せ、顔を近づけて。目が、イウリアの視線を逃がさない。


「遊びなんかじゃない。俺は本気で、出来ることならずっとずっとイウリアの側にいたい。──伴侶にしたいっていう意味の好きだってずっと言っていたじゃないか」


 そうイウリアに訴えかけたアゼルは、瞳を陰らせた。


「イウリアは、酷い」


 悲しそうな表情になり、イウリアの胸が痛くなる。


「違うの、ごめんなさいアゼル。わたし、不安になって……」


 違う。そんな顔をさせたいわけじゃない。

 慌てて謝ると、アゼルは「不安?」と不思議そうにした。

 不安の内容を促されたイウリアは、迷った。

 好きだと言われなくなってから、不安になった。イウリアもアゼルが好きで、でも、返事をしない間に言われなくなった。もしかして、「そういう意味」ではなかったのかと、勘繰ってしまった。


 けれど、それはイウリアの勘違いだった。

 こんな風に後から後悔するのなら──。

 イウリアは覚悟を決めて、アゼルをまっすぐに見つめた。


「わたし、アゼルのことが好き」


 赤い瞳が見開かれた。

 動いたかと思うと、大きく瞬きをする。


「それは──」

「その、異性として愛してる方の、好きよ」


 誤解のないようにと付け加えて、イウリアは恥ずかしくなって視線をずらした。

 言った。とうとう伝えた。

 近くからの視線を感じるが、顔は見られないからどんな顔をしているのかは分からない。

 じわじわと、顔の熱さが増してくる。


「イウリア」


 名前を呼ばれると同時だった。

 顔を上向かせられ、アゼルの顔が近いと思ったときには──唇同士が触れ合っていた。


「!?」


 触れていた柔らかさと熱は、一度離れ、アゼルが顔を傾けてまた近づく。熱い息が無防備な唇にかかり、そこでイウリアははっとして触れる寸前の目の前の口を手で覆った。


「ちょ、ちょっと、アゼル、待って」


 塞ぐ手は剥がされ、いとも簡単に絡めとられてしまって、イウリアは焦る。

 もう片方の手でまた塞いで待ったをかけるが、その手も外されてしまう。


「それは、命令か?」

「命令、では、ないけれど……」


 命令と聞かれると、命令とは強制だ。イウリアは、アゼルに強制したいとは思わない。

 だから強制かと問われると、頷けない。


「命令ではないけれど、……急に、そんなことされると、心臓が……」

「急でなければいいのか? それなら、今からイウリアにキスしたい」

「────だ、め」

「急でなければいいんじゃないのか」


 そういうことだけど、それだけではなくて。

 急だと心臓にもっと悪くなるだけで、その行為自体に心臓が速く速く、大きく打つから、少し、待ってほしい。


「どうして。イウリアは、嘘を言ったのか?」

「嘘……?」

「好きだって言っただろう」

「それは、嘘ではないわ。でも、好きだから」


 どきどきしすぎて、どうなってしまうか分からない。

 小さく言うと、アゼルはぱちぱちと瞬き、そして、笑った。嬉しそうに、あまい笑みを浮かべたアゼルはキスをしようとはせず、ただイウリアを包み込んだ。


「イウリア、俺はちょっと満足していたんだ」


 キスされたことにどきどきが収まらないイウリアに顔を寄せ、アゼルは言う。


「イウリアが、顔もまともに見てくれなくなって、このままじゃイウリアの側にいられないかもしれないと思っていた。だが、イウリアと契約を結べた。俺は、イウリアの側にいられる」


 それで、とりあえずところ満足してしまっていたんだろうと言ったアゼルは、見上げて見ているイウリアの頬に手を添え、慈しむ手つきで撫でる。


「イウリア、愛している」


 最近聞くことのなくなっていた愛の囁きは、とても、あまく聞こえた。


「だから、魔法使いを退治するための契約じゃなく、俺を、イウリアの伴侶として側に置く契約をしてくれ」

「そ、それはまだ気が早いというか……」

「そういう『好き』を俺にくれたんじゃないのか?」

「それは、そう……」

「じゃあ、いいだろう?」


 これは、プロポーズ?

 予想を越える言葉を新たに送られて、イウリアはたじたじだ。


「イウリア、俺のことを愛してくれているんだろう?」

「うん……」

「俺は、他の男の元にイウリアが渡るなんて、嫌だ」

「そんなこと、考えていないわ」

「じゃあ俺と結婚してくれ」


 イウリアは、この悪魔を愛している。

 異性として、好き。

 それは、両親が互いに向ける感情と同じなのだろうと思う。

 では、この先に、そういう関係があってもおかしく……ない?


「……わたしが人間でも、本気?」

「そんなの関係ない。イウリアだから本気なんだ。なあ、イウリア、返事は? 俺と結婚してくれるだろう?」


 ──俺と一緒にいてくれ


 請う言葉、声、目。

 イウリアは、小さく、頷いた。


「……でも、お父さまやお母さまに相談を──」


 そう言う口は、キスで塞がれた。


「あ、アゼル」


 とっさに止めようとした手は、両方とも反対に止められて、イウリアは何度も何度も柔らかなキスを受けた。






 ──その人間は、悪魔の手に。










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