下の名前呼び
三好からある程度のことを教えてもらった後、僕はずっと気になっていた
ことを聞いてみることにした。
「三好さんは桜子と付き合いは長いの?」
「いいえ。氷浦さんとは一年の時に同じクラスになったって、たまたま
私と席が近かったってだけだから」
何もそんなに威張らなくてもいいのに。
彼女は何か意地を張っている気がした。それが何なのかは分からないけど。
「そういう氷浦真。貴方はどうなのよ?氷浦さんと同じ苗字だけど」
「僕はある事情で氷浦家の養子に入ったんだ。桜子とは去年の夏に初めて
会ったから、三好さんよりはかなり浅いよ」
「なんですって、貴方それはそれで早く言いなさいよ!」
本当のことを言っただけなのに、彼女はどうしてこう大げさというか
敏感に反応するのだろう?正直言うと、すごく疲れてしまう。
「だからその声なんとかしてよ。あと、そのフルネームで呼ぶのなんとかな
らない?苗字に「君」を付けて呼ぶとかぐらいしてよ」
「しょっ、しょうがないじゃない。まだ慣れてないんだから!」
慣れてないというのは、学校で男子がいることを差しているのだろう。
女子だけの環境の中で今までやってきたのだから、それで慣れてないという
のもおかしいことじゃない。
そんな三好の言葉を聞いて、黙っていた桜子が動き出した。
「でしたら、真さんと呼べばいいんじゃないでしょうか?まだ氷浦と
呼ばれ慣れしてませんし。これを気に私の事も桜子と呼んでください」
「なっ!?」
同じ苗字の上でクラスも同じ。下の名前で呼ばれるのは嫌だったけれど、
桜子と出会ったことでもうどうでもよくなってしまった。
「桜子の性格知ってるなら、何言ってもダメなことぐらい分かるよね?」
「えっ、真さん。それはどういう意味ですか?」
「そのままの意味だけど?自覚ないの?」
桜子はわざとぼけている。そして僕もそれに付き合う。
そしてそれを見ていた三好は僕達の会話を間近で聞きながら、ついに
口を開く。
「わっ…わかったわよ。呼べばいいんでしょ?呼べば!」
「だからその声どうにかしなよ」
「うるさいわね!ひっ…まっ、まこと…」
さん付けされず、呼び捨てにされた。
だが、彼女の性格からして桜子みたいに「真さん」と呼ぶのは
想像してみるとこれはこれで気持ち悪いので呼び捨てに文句を付けなかった。
「さっ、さくらこ…」
「はい。なんでしょうか、三好さん」
桜子は嬉しそうに聞いてくる。
「わっ、私のことも…しっ、下の名前で呼びなさい!」
どうしたのだろうか?途中から恥ずかしさのあまり元の性格に戻ってしまっ
た。
「はい。では、玲央奈さん」
「違う!アリスの方よ」
日本名でなく、外国名のアリスの方をご所望らしく桜子に思い切り突っ込む
三好。
「はい。では、アリスさん。これからもどうぞよろしくお願いしますね」
「まっ、まぁ、よくってよ」
もはやツンデレなのか高飛車なのかが分からなくなってきた。
そんな中、桜子が僕の顔を見て「では、真さんも」とにこっこりとほほ笑んで
言ってきたのだ。
「えっ、僕はいいよ」
「ダメです。さぁ!」
「いや、だから…」
「わっ、私は別にかっ、構わないわよ」
なんだろう、この展開は…。
これだとまるで少女漫画に出てくる話の内容とよく似ている気がしてならない
んだけど。
「さぁ、真さん。せーのでいいましょう!さん、はいっ!」
「って言えるか、恥ずかしい」
「そんなぁ…」
「あのね、そんな急に言えないの。仲が良いならまだしも、まだ知り合った
ばかりなんだからさ」
桜子とは初めて会ったにも関わらず、下の名前で呼び合ってしまったけど。
それは彼女がしつこかったってだけの話で、実際は嫌だったのである。
いくら本人からの承諾があったにせよ、急には呼べないものなのだ。
「ちょっと、それだったら私のあれ返してよ!」
あれ、というのは恐らく先程の名前呼びのことだろう。
すぐに呼べないから仕方ないのに、またしても大声で言う彼女に僕は両耳
を手で塞いで「あぁ、もううるさいなぁ」と言ってしまった。
「うるさいですって!?貴方が呼ばないからいけないんでしょ?このヘタレ
!」
「ヘタレ言うなっ!そもそもアリスって名前、あんたには似合わないと思う
んだけど。いったいどういう意味で名づけられたのかが気になるね」
「まぁ!?人の名前を侮辱したわねっ!?もう許さないわ」
段々といらいらしたせいで思ったことをつい口に出してしまう。
そして等々、我慢の限界に達した三好は怒りを思い切り爆発させた。
「二人共、落ち着いてください!」
部活動などしている場合ではないと、部員達が集まり始めてぎゃーぎゃー
と騒いだ際、三好が自慢の大声で僕にこう言い放った。
「真。私と勝負しなさい!」