森の木こりと古いベンチ
町の北端、深いナラやブナの樹海がどこまでも広がる森の入り口に、一基の古い木製ベンチが佇んでいる。
太い丸太を半割りにし、分厚い脚を取り付けただけの無骨な作りだが、長年にわたり旅人や木こりたちの腰掛けとして親しまれてきたものだ。
しかし、雨風と光に晒され続けた木の表面は、すっかり灰白色に擦り減り、あちこちに深い亀裂が入っていた。
そのベンチに深々と腰掛け、太い指で真鍮のパイプに葉を詰めているのは、熟練の木こり・トムだった。
足元には使い込まれた大きな斧と、木屑のついた重い作業靴。
一日に何本もの巨木を倒してきた力強い腕を持つ彼だったが、その瞳はどこか空虚で、くゆらせる煙の向こうに広がる暗い森の奥をじっと見つめているだけだった。
「トムさん、こんにちは。夕焼け郵便局です」
アリスが落ち葉を踏みしめながら近づくと、トムは重い首をゆっくりと持ち上げた。
深く刻まれた額のシワと、無精髭に覆われた顎。彼は長く厳しい作業の疲れを全身に纏っていた。
「やあ、見習いのかわいい郵便屋さんか。こんな森の入り口まで、何の用だい? ここには薪と落ち葉くらいしかないよ」
「トムさんにお届けものなんです。とても特別な手紙ですよ」
アリスが革鞄の奥から取り出した手紙には、「森のベンチを作ってくれた、あたたかい手の大工さんへ」と、丸みを帯びた丁寧な文字で書かれていた。
「俺に手紙……? 冗談だろう。俺はただの木こりだ。手紙をくれるような知りあいもいなけりゃ、大工なんて大層なもんでもない」
トムは困惑しながらも、大きな手で不器用に封を切った。
しかし、中に収められていたのは一通の便箋ではなかった。
そこから溢れ出てきたのは、大きさも紙質もバラバラな、無数の小さな紙切れの束だった。
羊皮紙の破片、ノートの切れ端、小さなレシートの裏紙——それらすべてに、異なる筆跡で短い言葉が書きつけられていた。
『このベンチのおかげで、生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしながら、ゆっくりとおっぱいをあげることができました。木の温もりがとても優しかったです』
『長い旅の途中、足が動かなくなって倒れそうだった私を救ってくれたのは、このベンチでした。丸太の抱擁に包まれて、涙が止まりませんでした』
『何年も前、ここで大切な人にプロポーズをしました。彼女は笑ってうなずいてくれました。私たちにとって、ここは世界で一番特別な場所です』
『いつも森を整え、誰もが休める場所を作ってくれてありがとう、木こりさん』
トムは分厚い指先を震わせながら、一枚一枚の紙切れを拾い上げ、噛み締めるように読み進めた。
三十年前、彼が木こりとして駆け出しだった頃。
「森に入る人々が少しでも安らげるように」と、余った丸太を使って初めて作ったのが、このベンチだった。
だが、いつしか日々の過酷な労働に追われ、木を切り倒すことだけに追われるようになり、彼は自分が何のために木を愛していたのかを見失っていたのだ。
「俺の削った丸太が……こんなにもたくさんの奴らの体温になっていたのか……」
トムは掠れた声を漏らし、擦り切れたベンチの木目をなぞった。
長年の風雪に耐えてきた木肌は、冷たい秋風の中でも、どこか人肌のような確かな温もりを宿していた。
彼の大きな瞳から一筋の涙がこぼれ落ち、深く入った木の亀裂にしみ込んでいく。
「ありがとうよ、見習いちゃん。俺は……まだ木を護り、切り続けることができるよ」
トムが立ち上がると、その背筋はかつてのように丸太のごとく力強く伸びていた。
沈みゆく夕日を受けて黄金色に煌めく森の中で、彼の振り下ろす斧の音が、再び力強くこだまし始めた。




