第1話 セイレーンの歌
「レオ! レオナール! 良かった、生きてた!」
壊れかけた海賊船が身を寄せる入江で、一人の少女が涙を流しながら青年を抱きしめていた。少女の耳は鰭のような形をしている。青年は両手をあげながら、ぽかんと口を開いた。
「……えっと、どちら様?」
少女はぴたりと動きを止める。青年は少女から視線を外し、後ろにいる仲間へ振り向いた。おじさん、というべき最年長らしき男は笑いつつ、口を開く。
「お嬢ちゃん、こいつの知り合いか?」
「うん! 婚約者だよ。小さい頃、結婚の約束をしてたの」
「……お前、何も覚えてないか?」
「……うん」
「だよな。……お嬢ちゃん、こいつ、子供ん時の記憶、忘れてるんだわ」
少女は青年を見上げる。青年は苦笑いを浮かべていた。
◇
それは、海賊船が入江に着く前のこと。大海原を旅する小さな海賊、アレグ海賊団にて。乗組員のレオは甲板から釣り糸を垂らして歌っていた。
「〜〜♪」
テノールが伸びやかに広がる。その瞬間、ピシッと釣り糸が張った。彼は立ち上がって竿を引き、慣れた手つきで魚を釣り上げる。
「……ちょっと小さいかな」
釣り針を外して海へとリリースする。その時、仲間の一人が「何の歌っすか?」と声をかけてきた。
「ノエル、どうしたの?」
「いや? 楽しそうっすね、って声かけただけっす。で、何の歌っすか、それ?」
「覚えてない。何語なんだろうね」
「オレに分かると思うっすか?」
ノエルはきゃらきゃらと笑った。
「相変わらず大漁っすね」
「そう?」
そう言って笑うレオの傍には、魚がいっぱい詰まった桶がある。
「姐さんが褒めてましたよ? レオが魚を釣ってくれるから、食費が浮くって」
「なら、良かった。今日のご飯、なんだろうね」
「その釣果なら魚っすよ」
「だよね。バター焼きがいいな」
「姐さんのバター焼き、美味いっすからね」
レオは笑って、空を見る。雲がポツポツと浮かび、青空は柔らかく輝いている。……潮風がさっきより少しだけ湿っていた。
「……嵐、来るかも。みんなに伝えてきて」
「分かったっす!」
「転ばないでよ!」
どたどたと駆けていくノエルの背中に、レオはそう声をかける。レオは釣竿と桶を抱え、甲板を歩き出した。
◇
「お前ら、急いで畳め!」
「口ばっか動かしてないで、あんたも手を動かす!」
「……はい」
船長であるアレグを、奥さんであるミレーユが叱り飛ばす。舵取りはガルドに任せ、レオとノエルは急いで帆を畳んだ。
帆を畳み終えた頃には、空を覆う雲がさっきまでとは別物になっていた。風が唸り始め、船体がぎしりと軋む。
ガルドは何も言わず舵輪を切った。船首がゆっくりと風へ向きを変え、うねる波を正面から受け止める体勢に入る。
「今回、きつそうか?」
「……嵐としては小さいと思う。けど、嫌な予感がする」
風が唸り、稲妻が空を裂く。ガルドは舵を切り、他の手が空いているものは切れそうな縄を縛り直し、船体に溜まった水をかき出していた。その時だった。
「〜〜」
聞き心地のいい歌が響く。ガルドの手から舵輪が滑り落ちそうになる。
「……ガルド?」
呼びかけても返事はない。虚ろな目のまま、歌のする方へ顔を向けていた。
「……セイレーンの歌だ。……船が、沈む……」
アレグの額に冷や汗が浮かぶ。声を張り上げようとするが、その動きはぴたりと止まる。ミレーユも、ノエルも、その歌が聞こえた方に視線を向ける。レオの瞳も虚ろに揺れる。——その時だった。
「〜〜、〜〜」
気づけばレオは歌っていた。その瞬間、彼の意識がふっと晴れた。レオは慌てて千切れそうなロープを掴む。歌声が風を裂いて響く。
ガルドが一度、大きく瞬きをした。
「……レオ、どっちだ?」
「右!」
レオは一瞬だけ指示を出し、また歌を再開する。ノエルも、ミレーユも、ハッと気がついたように桶で水を外にかき出し始めた。
「……っ、レオ! その歌、続けろ!!」
「うん」
嵐の中、船が揺れる。アレグの怒号に混じり、伸びやかなテノールが響いていた。
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