家族とやわらかな光の庭
――温かい。
まぶたの向こうに、やわらかな光がある。
どこか懐かしい匂い。
「とおるー。ご飯よー」
「…………」
有馬透は、ゆっくりと目を開けた。
自分の部屋。見慣れた机。棚。幼い頃から使っていたものが、当たり前のようにそこにある。
(…………)
なにか、とても恐ろしい夢を見ていた気がする。その残滓を振り払うように額にそっと手をかざし、深く息を吐き出し――ゆっくりと体を起こす。
理由のない焦燥感を胸に抱えたまま部屋を出て、階段を降りた。
「透。おはよう」
……父さん。
「……おはようございます」
家族みんながいる。なぜか俺は、確かめるように周囲を見回してしまう。廊下には二匹もいるようだ。
肩の力を抜き、洗面所で顔を洗って歯を磨いていると、妹がダーッと駆け寄ってきた。
「にー! この前のゲームの続きやるよ!」
「ちょ、待てって」
まだ口もすすいでないのに、小さな両手がぎゅっとまとわりついて引っ張ってくる。
「まったく……朝から騒がしいんだから。透、ここ髪立ってるよ」
姉さんが俺のはねた髪を指でちょんとつまみニッと笑う。
「ほら、二人とも座って。冷めないうちに食べてね」
母さんが、いつものように優しく微笑んでいる。
「…………母さん」
「なあに?」
胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
理由は分からない。だが――全身の力が抜け、強い安堵が押し寄せてくる。
「……よかった」
それだけが、自然に口からこぼれた。
母さんは不思議そうに、少し心配そうに俺を見る。
「透、どうしたの?」
「ううん……なんでもないよ。俺は大丈夫だよ」
うまく答えられなかった。
食卓を見つめる。ふんわりとしたいつもの玉子焼き。
父さんがいる。姉さんがいる。妹がいる。母さんがいる。
痛いくらいに安心した。
――その瞬間だった。
頭の片隅で【精神保護固定】と通知され、静かに作動した。
父さんの顔が、ふっとぼやけた。
「…………?」
輪郭がさらに揺らぐ。目の前にいるはずの父さんが、認識が出来ない別の何かへと変わっていく。声までもが変わる。
「透くん」
その『声』を聞いた瞬間――ゾクリとした。
「すまない」
父さんの姿を借りていた何者かが、静かに続ける。
「“場の安定化”には、必要なプロセスだった」
俺は言葉を失っていた。
「あまり考えられる領域ではないだろうから、どうか、そのままで話を聞いて欲しい」
「まず……私は名前を名乗ることができない」
その声には、焦りにも似た色が混ざっていた。
「この“意識帯”を使用しているのも、念のためだ。君に接続している高次元生命体への警戒……いや、正確には『用心』と思ってくれていい」
父さんだった何かが、申し訳なさそうに苦笑した気配がした。
「さて……時間がない」
彼は左へ視線を向ける。
「紹介しよう」
そこに、小柄な若い女性が立っていた。
古風な着物。綺麗に切り揃えられた前髪。日本人を思わせる黒髪のストレートロング。
陽光に照らされた初雪のヴェールを纏ったような白い肌に、ほんのりと桃花色に染まった唇。
その人は俺の目を見つめ……そしてたおやかに一礼した。
「ネムリと申すものじゃ」
鈴を転がすような、柔らかな響きだった。
「少年よ。安心せよ」
(…………)
「畏くも尊き御方にございます」
『声』は深々と頭を下げた。
「少年……有馬透よ、夢の如きかの」
ネムリは可愛らしく首を傾げる。
「“泥舟”に乗ったつもりでおれよ?」
(…………)
「……何を言っておるのじゃ、という顔をしておるのう」
分かってるならやめてくれ。
「心構えの話をしておるのじゃぞ、有馬透よ」
ネムリという女性は、どこか楽しそうに笑った。
「もしも、わしが泥舟だった場合はどうするのじゃ?」
(………………)
ネムリは満足そうにコクコクと頷いた。
「よい。そういうことじゃ」
「これより先、おぬし自身で学び、考え、“真に”正しく選び、進まねばならぬ……ということじゃ」
その声が、少しだけ真面目なトーンに変わる。
「おぬしは、まだこの領域すら正しく認識できておらんよの……イシ、“意識”のことよ。ミテいるだけであろうがな」
「じゃからこそ、“ここ”からもしっかり励むのじゃぞ」
(……帰りたい)
(家族に……また会いたい)
ネムリはほんの少しだけ目を細め、そっと閉じた。
「うむ」
短く、けれど心強い返事だった。
「その“意志”ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「ネムリ様……そろそろお時間かと……」
『声』が恐縮したように頭を下げながら告げる。
「有馬透よ。この領域に来られるよう、まずは怠りなく勤しむがよい。大事の儀は、この庭限りのこと――」
袖より手を差し出でて、しとやかに手を振った。
「透くん……万全のサポートとはいえないが、家族の元に帰れるよう我々も動いている。だが、いないものと考えて動いて欲しい。無論、“心構え”ということだ」
――そして、やわらかな光の波が境目を撫でていき、俺はミルのを止めた。




