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辺境領再建記 〜追放された天才文官は、鉄血の女領主をロジカル内政力で救い出す〜  作者: 雅 佳人
第六章:愛おしい日常

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第40話 騎士が望む明日

 その朝、まだ霧が地表を離れきらぬ頃だった。

 

 領都グランディアの中心にある小高い丘には、領主を守る最後の砦、領主館が静かに佇んでいる。

 石造りの城壁は夜露を吸い、薄く白んだ肌を朝の光に晒していた。


 ガレス・ヴァレンタインは、その見張り台に上り、ぐるりと周囲を見渡した。

 

 東では昇り始めた陽が大河を照らし、金の帯のように揺れている。

 南には整備された街道が関所を備えた宿場町へと伸び、

 はるか西の彼方では草原と荒野が風に波打ち、その先の牧草地へと続いている。

 北には穀倉地帯が広がり、その奥には“魔の森”と呼ばれる深い森林が続く。

 さらに山々の麓には、再興された鉱山からの煙が微かに立ち上っていた。


 数年前には想像すらできなかった光景だ。


 ガレスは小さく息を吐き、呟いた。


「……変わったな」


 見張り番の若い兵士が、不思議そうに振り返る。


「何がですか、隊長?」


「……全部だ」


 それだけ告げ、ガレスは階段を降りた。


 すべてが変わったのだ。

 本当に。


 街も。

 人も。

 そして、


 あの日はまだ幼かった領主様も。


⸻


 ガレスはエリザベートが生まれた時から知っている。

 正確には、生まれる前からだ。


 ガレスの父もまた先代辺境伯に仕えた騎士であり、ヴァレンタイン家は代々この地に忠誠を捧げてきた。


 だから。


 赤子の頃の泣き顔も、

 幼い日の笑顔も、

 悔し涙も、

 剣を握る小さな手も。

 すべて、この目で見てきた。


 エリザベートは昔から真面目だった。


 誰よりも早く稽古場へ来て、

 誰よりも遅く木剣を振っていた。


 負ければ悔しがり、

 嘘をつけば自分で落ち込み、

 小さな約束ひとつ忘れなかった。


 だからこそ、苦しんだ。


 先代辺境伯が魔獣の牙に倒れた時。

 領地が疲弊していく時。

 民が飢える時。


 すべてを自分の責任だと抱え込んだ。

 領主を継いだ時には、まだ二十歳にも満たない可憐な令嬢だったのに。


⸻


「馬鹿だよな」


 誰にも届かぬ声で呟く。


 本当に、馬鹿だ。


 普通なら逃げる。

 泣く。

 投げ出す。


 だがエリザベートは違った。


 誰も見ていない場所で泣き、

 誰もいない場所で苦しみ、

 そして翌朝には、何事もなかったように美しく立っていた。


 ガレスだけは、その目の赤さに気づいていた。

 その姿を、何度も見てきた。


 だからガレスは知っている。


 あの娘はずっと孤独だった。

 誰より強く見えるが、誰より弱音を吐けなかった。


 放っておけるわけがない。


 年の離れた妹のような存在だったのだ。


⸻


 思いに沈んでいたせいか、気づけば館内にも朝陽が差し込んでいた。

 その光に促されるように歩いていくと、中庭の方から賑やかな声が聞こえた。


「だから違うと言っているだろう!」


「ですが事実です」


「違う!」


「そうでしょうか」


 聞き慣れた声だった。

 ガレスは思わず足を止める。


 朝露に濡れた芝生。

 整えられた花壇。

 魔素石で動く噴水の水音。

 柔らかな朝陽。


 穏やかな景色の中に、二人の姿があった。


 エリザベート。

 そしてレオン。


 どうやら今日は仕事終わりに市場へ視察に行くらしい。


「だから私は別に楽しみにしているわけではない!」


「仕事を早く終わらせるために、こんな早朝から呼び出したのにですか?」


「違う!」


「いつもより早起きだって侍女が言ってましたよ」


「違う!」


 レオンが楽しそうに笑顔を浮かべてからかう。

 端正な表情を必死に取り繕うエリザベートの耳が赤くなる。


 ガレスは思わず吹き出しそうになった。


 (……あんな顔もするのか)


 かつては決して見せなかった、年相応の表情だ。


 頬を膨らませ、怒り、拗ね、照れる。

 領主ではなく、一人の若い女性の顔だった。


⸻


 ふと、幼い日の記憶がよみがえる。


 エリザベートがまだ八つか九つの頃。

 その日は珍しく、剣の稽古を嫌がった。


 理由を聞いても首を振るばかりで、頑なに口を閉ざしていた。


 仕方なくガレスは彼女を稽古場から連れ出し、館の裏手の小さな丘へ向かった。

 風がよく通る、彼のお気に入りの場所だった。


「……ここ、好きなの?」


「まあな。嫌なことがあった時は、よくここでサボってた」


「サボってたの?」


「おう。父上には内緒だぞ」


 エリザベートは小さく笑った。


 しばらく沈黙が続いたあと、彼女はぽつりと呟いた。


「……私、皆に迷惑をかけてるのかな」


「なんでそう思う」


「だって、私がもっとしっかりしていれば……」


 幼い声が震えていた。

 ガレスは悩んだ末、こう言った。


「エリザベート。お前は強くなりたいんだろ?」


「……うん」


「なら、強くなるまで俺が隣りにいてやる。兄貴分くらいにはなれる」


「兄貴……?」


「そうだ。困ったら呼べ。泣きたくなったらここに来い。稽古が嫌ならサボれ。俺が隠してやる」


 驚いたように目を丸くし、彼女は小さく笑った。


「……ありがとう、ガレス兄様」


 その言葉を聞いた瞬間、ガレスは胸の奥が熱くなるのを感じた。

 その日、彼は密かに誓った――この小さな背中を、必ず守り抜くと。


⸻


 その呼び方は、その日だけだった。

 だが、あの笑顔は今も胸に残っている。


 そして今。


 中庭でレオンと笑い合うエリザベートは、あの頃よりずっと自然に笑っていた。

 肩の力が抜けていて、誰かに頼ることを覚えた顔だった。


 (あいつになら任せられる)


 心の底から、そう思った。


⸻


 二人に気づかれないように中庭を離れ、ガレスは領主館を出て市場へ向かった。

 急ぎの仕事がない日の、最近の日課だった。


 市場を見るのが好きになった。

 かつては足を運ぶ余裕すらなかった場所だ。


 人が増えている。

 荷車が増えている。

 笑顔が増えている。


 果物を売る娘。

 野菜を並べる店主。

 工芸品を売る職人。

 香ばしい匂いがする屋台。


 どこも忙しそうだ。

 そして皆、未来の話をしている。


「来月はもっと仕入れよう」

「新しい服でも買うか」

「息子が大きくなったら職人の弟子に出そう」


⸻


 かつては違った。

 生き延びる話ばかりだった。


 今日は食えるか。

 冬を越せるか。

 税を払えるか。


 それだけだった。


 今は違う。


 皆、明日の話をしている。

 未来の話をしている。


⸻


 市場の端で足を止める。

 そこには小さな木彫り細工の露店があった。


 店主は老人だ。

 昔からの顔なじみだ。


「よう隊長」


「元気そうだな」


「景気がいいからな」


 老人がにかっと笑う。


「ありがたいもんだ」


 そう言いながら老人は空を見上げた。

 ガレスもつられて見上げた初夏の空は、どこまでも澄んで青かった。


「エリザベート様も頑張った」

「レオン様も頑張った」

「俺たちも頑張った」

「だから今がある」


 その言葉にガレスは深く頷いた。


 まったくその通りだった。


 誰か一人ではない。

 皆で作った今。

 だからこそ価値がある。


⸻


 夕刻。

 領主館の窓に灯りがともる。

 エリザベートとレオンがまだ仕事をしていた。


 窓越しに見える二人。

 何か言い合っている。

 だが楽しそうだった。


 かつての執務室は違った。


 静かで。

 重くて。

 苦しかった。


 今は違う。


 灯りが温かい。

 人の気配がある。

 希望の匂いがする。


 ガレスはしばらくその光景を眺めていた。

 

 そして、誰にも聞こえないように小さく笑う。


「……よかったな」


⸻


 夏の夜風が吹く。

 領都の灯りが揺れる。

 その灯りは、以前よりずっと多い。


 かつて闇に沈んでいた領都が、今は確かな光を宿している。


 そしてその中心には。

 もう独りではないエリザベートがいる。


 ガレスは静かに微笑みながら、夜の領主館を後にした。





最後までお読みいただき、ありがとうございました。

皆様の応援のおかげで、四十話まで書き続けることができました。本当に感謝しています。


“ガレス兄様”という呼び方は、作者としてもとても気に入っています。

エリザベートが再びそう呼ぶ日が来るのか──ぜひお楽しみにお待ちいただければと思います。


次話からは、内政・改革パートに戻ります。

南端の宿場町レストを舞台にした「第七章:夜明けを待つ街」が始まります。引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。


皆様の反応があると、とても励みになりますので、「ブックマーク登録」や「評価の☆☆☆☆☆(星)」、感想やリアクションなどをいただけると大変ありがたいです。


レオンとエリザベート、そして仲間たちの旅路を、これからも一緒に見守っていただければ幸いです。


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