表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/43

第25話 はじまりのひ

 ひんやりと湿った山の夜風が吹き抜ける。


 冷たい空気の中で、炉の炎が輝きを放ちながら燃えている。

 かつて火が絶えたこの山に、ようやく息が戻り始めている。

 その光は、まるで辺境そのものへ再び命が灯ったかのようだった。


 炉へ火が戻ってから、十日ほどが過ぎていた。

 一度動き出した炉は、その温度を維持するために昼夜問わず動かす必要がある。

 炉を担当するバルグらベテランの鉱夫たちは、技術を伝承するために若い鉱夫たちと必ず二人一組になり、当番制で魔鉱石の精錬に励んでいる。


 辺境の山々には早春の風が流れ始め、雪解け水を集めた谷川は、白い飛沫を上げながら岩間を走っている。

 朝靄は山腹へ薄く広がり、その向こうには山肌を覆う針葉樹が黒々と連なっていた。


 その静かな自然の中で――鉱山だけが、熱を持っていた。


 ごう、ごう、と炉が鳴る。


 白熱した空気が煙突を通って空へ抜け、時折り混じる黒煙が、ゆっくりと白み始めた夜空に溶け込んでいく。

 立ち上る煙は、夜空を汚してはいたが、星の瞬きをなぞるように混ざる朱の火花だけは、どこか美しくもあった。


 槌で叩く。

 炎が弾ける。

 鉱石や木炭を運ぶ荷車が軋む。

 木や炭を割る。


 様々な音が混ざり合う。そして、それにも負けない活気ある人の声。


 以前はどこか沈滞していた鉱山に、今は絶えず“動きと明るさ”があった。



 レオンは、サラと護衛役のドーガンを連れて、作業場の全体が見渡せる見晴らしの良い高台からその光景を見つめていた。


 長年放置され傷んでいた作業場は新たな息吹を吹き込まれ、坑道内外の丁寧に改修された運搬路を、今日も一輪車が軽快に往復している。

 俯瞰して見ると、一台当たりの積載量の少なさが、顕著にわかる。


 だが、止まらない。

 流れ続けている。

 それが結果的に大きな成果に繋がっている。


「……不思議なものですね」

 隣でサラが思わず呟いた。


「何がです?」


「人間だ」

 続けてドーガンが、せわしなく動き回る人々を見つめたまま言った。


「少し前まで、死んだような顔をしていた連中が、今は自分から動いている」


 その言葉通りだった。

 鉱夫たちの空気が変わっていた。


 以前は、ただ掘るだけだった。

 掘っても金にならない。

 生活は苦しいまま。

 疲弊だけが残る。


 そんな諦めが、この山には染みついていた。


 だが今は違う。

 炉がある。

 掘った塊が魔素石になる。


 “価値が増える”実感がある。

 ただ掘るだけの毎日ではない。

 自分の手で未来を作っているという実感があった。


 やりがいと未来への予感、それが人々を変え始めていた。



 昼頃。

 山々は、まさに早春の瑞々しさに満ちていた。日差しはぽかぽかと温かいが、山奥から流れてくる空気はまだツンと冷たい。

 魔導炉の煙突にたなびく薄暗い煙に、魔素の残り香である緋色の火花がチリチリと混ざって見える。

 これから何かが始まる予感に満ちた、心地よい山の昼下がりだった。


 精錬炉から、十日分の成果としての魔素石が運び出される。

 小綺麗な布に包まれた貴重な石は、硬い丈夫な木箱に入れられ、若い鉱夫と兵士が二人で慎重に運んでいる。軽いが重い。兵士は緊張で手が震えている。


 まだ粗い。

 精錬されたばかりの魔素石は、規格こそ正規品に合わせた大きさと重さで作られているが、表面に黒い不純物が残り、輝きは鈍い。


 だが、それでも魔素石だった。

 魔鉱石ではない。


 原料から加工された素材へ。

 つまり、“付加価値が付いた売れる商品”だ。


「本当に高く売れるんですかね?あんなに大量の魔鉱石を使って、これだけっすよ…」

 若い鉱夫が半信半疑で尋ねる。


 バルグは、最後の仕上げをするために集められた魔素石を一つ手に取り、鼻を鳴らした。


「当たり前だ」

 老人の声は低い。が、興奮と喜びの色は隠せない。


「この魔素石に比べれば、魔鉱石なんざ、ただの石っころだ」


 そう言って左手に持った魔素石を、右手に持ったきめの細かい少し硬めの繊維でできた布で、丁寧に拭う。

 静かな作業部屋に、時折り魔素石に吹きかけられるバルグの吐息だけが響く。


「だが魔素石は違う。精錬後に捨てられる千の石からやっと取れるこの一滴が、万の価値を持つ」

「お前にもわかりやすく言えば、運ぶ手間が馬鹿みたいに楽になって、儲けが十倍って話だ」


「親方!そりゃあすげぇじゃねぇか」

 若い鉱夫の瞳が輝きを増す。


 魔道具である魔導炉に火を入れ。

 惜しげもなく炭を使い。

 稀有な人材である王命証を持った専門家の管理監督の下で、職人が昼夜を問わず精錬したもの。


 そこには“恩寵”が宿る。付加価値が乗る。

 だから価値が変わるのだ。


 レオンはその様子を見ながら、作業部屋の片隅に設けられた机で静かに帳簿を開いていた。


 魔鉱石の採掘量。

 魔素石の生産量。

 木炭の消費量。

 魔鉱石と魔素石の輸送費。

 一部が魔素石として輸出されることで、削減される様々な費用と護衛を手厚くすることで増える経費。


 そして魔素石の売却価格予測。

 魔素石総額での価格はまだ小さい。

 だが、確実に変わり始めている。


(利益率が違う)


 魔鉱石のまま売る場合、とにかく輸送費が高い。時間と手間をかければそれだけで損失は右肩上がりに増えていく。

 しかも、大量に含まれた不純物込みの重量を運ばなければならない。


 だが製錬すれば違う。

 価値のない、低い部分を山で削ぎ落とせる。


 つまり──


 より少ない費用で、高く売れる。利益が増える。



 次の日の朝、魔素石の初出荷の日は、雲ひとつない空が広がっていた。

 春霞を纏った薄水色の空。


 今日は、半月に一度、領内の商人が鉱山の麓にある村へ集まってくる日だ。

 このザルツ村に集約された魔鉱石を運び出すために、多くの荷馬車を引き連れて商人と御者たちが集い、北門から魔獣の警戒をしつつ護衛をしてきた兵士たちもそこに混じっている。


 荷車には、食料品や雑貨、サラがレオンに頼まれて発注していた魔素石加工に使う布などの品々が積まれ、荷下ろしの順番を待っていた。


「私が今まで見てきた隊列に比べて、荷車の数が減ってませんか」

 荷の確認をしていたサラが、ふと気づいたように言う。


 レオンが、よく気づきましたねと笑顔になって頷いた。

「はい。その分、今までは全て一頭立てだった荷馬車のうち、特に魔鉱石をたくさん載せる荷重のかかる荷馬車は、二頭立てにしてもらっています」


 前回までは、すべての荷車に大量の鉱石袋を積んでいたが、今回は、隊列の真ん中に位置する小ぶりの馬車には、魔素石だけを積んでいる。

 もちろん、この馬車に護衛の兵士を手厚く配置する。

 

 荷車の数を減らした分だけ、積載量は少ない。

 だが、商人側にとっても利益がある。

 二頭立てにすることで、馬の消耗が減る。

 一台あたりの重量を適正量にすることで、荷車が壊れにくい。

 隊列が短くなれば、護衛の負担も軽くなる。


 つまり、“運びやすい商品”になるということだ。



 霞が薄れた空は青く、まるで吸い込まれるように天高く続いていたその日の午後、魔鉱石を取り扱う商人たちの取りまとめ役をしているベルマンが、レオンの下を訪れていた。

 彼の黒髪は、すでにその半分が白髪になっている。


 痩せた栗毛馬。

 泥だらけの荷車。

 旅慣れた灰色の外套。


 彼は並べられた魔素石を凝視すると、じっと黙り込んでいた。

 レオンたちが寝泊まりしている宿舎に一つだけある応接室。そこでしばらく固まっていたベルマンは、視線をレオンに戻すと、振り絞るように口を開いた。

「レオン様、……本当にこの鉱山で作られたのですか」


「はい」

 レオンは静かに答える。


 ベルマンは、レオンの許可を得ると、薄い清潔な手袋をはめて、魔素石の一つを持ち上げる。応接室の窓から入る光の中で、魔素石が翠色にきらめいた。


 重さを感じる。

 表面をなでる。

 光に透かして不純物の有無を確認する。


 そこにいるのは、老練な商人の目だった。

「磨きがまだ甘いですね」


「おっしゃるとおり完璧ではありません。他領の熟練工と比べれば粗があるとは思いますが、まだ試作の段階です。ここからは伸びしろしかありません」

 レオンが、目に少し挑戦的な笑みを浮かべて言い返す。


「ですが、重さも大きさも正規品の規格を満たしておりますので、お見せ頂いた魔素石は十分に売り物になると思います」

 ベルマンが落ち着いて言葉を返す。


「王命証を所持した“魔素石管理士”が指導して作られたことを示す証明書も、ご覧のとおり署名入りで添付しますので」

 レオンが、今朝作成した証明書を手渡す。


 その証明書を鋭い目で確認したベルマンは、しばし黙り込んだ。

 その沈黙は、否定ではない。

 商人としての計算が静かに始まった証だった。

 

 頭の中で計算している。

 今回の魔鉱石を含めた全体の輸送量。

 隣領の取引先との交渉価格。

 現在の魔素石の需要と供給。

 いくらで売れるか、レオンから提示される金額がいくらまでなら妥協できるか。

 利益率はどれほど望めるか。


 そして、一番大切な継続性は、どうなのか。


 少し離れた場所で、サラと鉱夫を代表してこの場に立ち会っているバルグが緊張した面持ちで、黙り込んだ商人の様子を見つめていた。


 バルグには商売の細かな理屈はわからない。

 だが、“売れるかどうか”は重要だった。もっと言えば、“どれくらい高く売れるか”が重要だった。


 魔導炉を維持するには、とにかく金がいる。

 高品質の炭も。

 魔素石の加工に必要な道具も。

 鉱夫たちとその家族が生きていくためにも。

 明日に向かう希望を得るためにも。


 利益が出なければ、報われなければ。

 気合いと根性だけでは、事業は長続きしないから。



 風が吹く。

 少し離れた炉の熱気が山からの冷たい風と混ざり、白い湯気を生んでいた。


 しばらくして、ベルマンが口を開く。

「……売る自信はあります、あとは、レオン様から提示いただく価格次第かと」


 その瞬間、空気が少しだけ変わった。

 否定ではない。

 それは売れることを前提とした、交渉の言葉だった。


 レオンは静かに価格を提示する。

 試作品であることを考慮した、相場よりわずかに低い価格。

 商人側にも利益がしっかり残る額。


 レオンがこれまでの人生で培ってきた感覚。

 相互扶助という考え方。

 相手を潰せば続かない。それは結局、自分の損失につながる。


 金も物も者も、流れを維持することが重要なのだ。



 その日の夕暮れ。

 山々は赤く染まり、炉の煙が黄金色の空へ細く伸びていた。


 鉱山全体が、まるで長い眠りから少しずつ目覚めていくようだった。

 バルグはその光景を見ながら、静かに呟く。


「魔素石を作ると、人が集まる」


 炭焼きが必要になる。

 荷運びも増える。

 いつの日か、魔道具製作師ですら呼べるかもしれない。

 魔素石の輸出ではなく、魔道具の製作、そして輸出までできるかもしれない。


 仕事が増える。

 つまり、金が回り始める。



 レオンは、穏やかな表情で炉の火を見つめていた。


 修復した魔導炉はまだ小さい。

 もたらされる利益も多くはない。

 だが、その小さな火は確かに“流れ”を生み始めていた。


 掘るだけの土地ではなく、価値を生む土地へ。


 今日という日を境に、辺境は静かに変わり始めている。


 夜風が吹く。

 赤い火の粉が空へ舞い上がる。


 小さな火でもいい。

 ここから始まるのだから。


 その赤い光は、長く眠っていた山にそっと灯った“新しい息吹”のようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ