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第23話 焔の揺り籠

 古い精錬炉は、鉱山のさらに奥――山肌を削るようにして作られた石造りの工房跡に残されていた。


 朝靄の中、その姿はまるで朽ち果てた砦のようだった。

 崩れかけた煙突。

 黒ずんだ石壁。

 煤に染まった屋根。


 長年放置されていたせいで、壁面には蔦の蔓が絡みつき、屋根の一部が剥がれ、冷たい朝露が内部へと浸み込んでいる。


 だが、それでも。

 その場所には“火の記憶”が残っていた。


 鉱石を溶かし、フォルスワーグ領の活況を支えていた時代の熱が、建物の奥底に染み付いているようだった。



 レオンは崩れかけた炉床の前で足を止めた。

 炉の内壁へ手を触れる。


 冷たい。

 ざらついている。

 黒い煤が指先へ付着した。


「……思っていたより状態が維持されていますね」


 静かな呟き。


 隣でバルグが鼻を鳴らす。

「昔はもっとでかかった…ように思ってたんだがな」


 長年この鉱山で働き、在りし日の製錬炉をよく知る、くすんだ灰色髪の老人は、煤けた石壁を見上げた。


 白く濁った片目が、光を宿すもう一つの瞳とともに、遠い過去を見つめるかのように細められている。

 あの日も吹いたであろう山風が、そっと頬をなでる。


「ここら一帯、昼も夜も火と灯が消えなかった」

 低い声。懐かしい日々を想うそんな落ち着いた声色。


「夜になると山が橙色に輝いて見えたもんだ」



 かつて、この辺境が勢いよく花開いた時代があった。

 エリザベートの祖先たちが、長い年月をかけて少しずつ開拓したフォルスワーグの奥地に、魔鉱石が産出する鉱山が発見されたのだ。


 純度の高い魔鉱石は、飛ぶように売れた。

 魔鉱石は、魔素石に加工する必要があるため、地元の商人だけでなく、他領から買い付けに来た商人たちによって各地へ運ばれていった。


 鉱山から領都、そして関所につながる街道を多くの荷馬車が往復し、関所のある宿場町を中心に領内のすべての街や村が活気づいた。


 フォルスワーグ産の鉱石から作られた魔素石は国中の工房へ運ばれ、多くの魔道具の材料となった。

 修理用にも燃料用にも使われる高品質の魔素石は、特に富裕層から重宝された。


 だが、その繁栄は長くは続かない。

 掘りやすい手前の鉱脈は、素材のままの魔鉱石として大量に運び出されたことで、数年で枯渇した。そのたびに、採掘場所は坑道の奥へ奥へと延びていく。

 採掘費用は右肩上がりで上昇し、そこに怪我人の増加が追い打ちをかける。

 

 商人たちや当時の文官たちも手をこまねいていたわけではない。

 ”魔道具製作”の資格(王命証)や”魔素石の作成と管理”の資格(王命証)を持つ専門家たちを、高い報酬で王都から招聘し、魔素石への加工を試みた。

 魔道具の一種である小型の”魔導製錬炉”の完成後は、若くて見どころのある鉱夫たちを選抜して専門家の下で鍛え、試作を繰り返し、”魔素石”への加工に成功したのだ。

 魔鉱石という原材料の輸出から、”魔素石”という高付加価値品の輸出へ。


 これで、鉱山は持ち直す、誰もがそう思った。

 あと数年で初期費用を回収でき、いよいよ商人に利益が出て、多くの税として回収ができる目途が立ってきたあの日…。


 皆が描いた夢を、大量発生した魔獣による襲撃が壊した。すべてを破壊した。

 兵士だけでなく、多くの有能な人材が命を散らした。死を免れ、何とか逃げ延びることができた他領の商人や王都の専門家も二度と戻ってこなかった。

 魔素を好む魔獣たちが山へ入り込んできたことで、職人が死に、怪我をし、設備が荒らされて、鉱山の衰退は決定的になった。それは、山そのものが人の手を拒むようになった瞬間だった。


 そして最後には──


 純度の低い鉱石だけを安く買い叩かれる、そんな場所になった。

 

 火を失った山。

 それが今の鉱山の姿だった。



「この精錬炉って魔道具なんですよね?そもそも修理して大丈夫なんですか?」

 興味深そうにあちこちを眺めていたサラが、急に不安げな表情を浮かべてレオンに話しかけてきた。

 彼女は普段とは違った厚手の外套を羽織っていた。山の冷気で頬が少し赤くなっている。


「魔道具の修理に必要な資格を持った専門家を招聘する予算もなければ、仮に修理できたとしても、魔素石の生成と管理にも資格がいりますよね」

「領の財政を預かる担当者としては、ない袖は振れないのですが…」


「はい、そのとおりです」

 レオンは、穏やかな表情で頷きながら続けた。


「サラさんは、王都から届いた私の異動通知書を見ていると思っていたんですが、経歴とか資格の欄までは見ていないのですか?」


「えぇっと……ちょっと待ってくださいね。確か……」

 サラが、徐々に青が濃くなってきた空を見つめながら必死に頭を巡らせ、エリザベート様に見せてもらった異動通知書の画像を脳内に再現する。


「確か、この国の天才・秀才たちが集まる唯一の高等教育機関”王立学院”を三席で卒業された俊英で、中央で行政官を務めていたんですよね。あと、資格欄は……あっ!”魔道具修理士”と”魔素石管理士”って書いてありました!」


 その二つは、王都でも取得者がほとんどいない難関資格だった。


 その言葉を聞いたバルグの表情が驚きに彩られる。残った片目に希望の光がわずかに滲む。口角が上がるのを押さえつけようとして失敗する。


「今なら、予算を使わずに済みますよ。私が専門家として担当すれば、余計な出費を抑えられます」

 レオンに浮かんだ笑顔は、珍しく子供のような無垢なもので、サラはなぜか、心があたたかくなった気がした。


「ただし、魔導精錬炉の修理はしますが、魔素石の作成を大規模にするつもりはありません。まだですが……」


「“全部はやらない”か、レオンさん、あんた若いのによくわかってるな」

 バルグが腕を組みながら、厳めしい顔を取り繕う。


 黒に近い濃紺の艶やかな髪が朝の光を受け、淡く輝いていた。

 サラの表情には驚きと感心が半分ずつ混じっている。


 レオンは声を出して少しだけ笑って言った。

「急ぎすぎると壊れますから、人も物も」


 レオンの考え方は、一貫していた。

 街道でも。鉱山でも。


 無理に拡大しない。

 特定の人の力に依存せず、維持できる形を作る。


 これまでの人生でレオンは何度も見てきた。

 自分がいる時のことだけを考え、短期の利益を追い、現場を酷使し、最後に崩壊する組織を。見て見ぬふりをしながら去っていく長を。


 だからこそ彼は、“続く仕組み”に執着していた。

 一時の成功ではなく、誰がいなくなっても回り続ける仕組みを──それが彼の理想だった。



「新しい炉の製作等は当面不要です。まずはここに眠っている小型炉を復旧することに注力しましょう」

 そう言って、レオンは古ぼけた炉を指差した。


 目の前に眠っている精錬炉は、大炉ではない。

 補助炉と言ってもおかしくない小さな炉が一つだけ。

 でも、崩壊箇所は少なく、状態は良さそうだ。


「まずは、試験的に小さな魔素石を作ってみましょう」


「量産じゃねぇのか?」

 護衛として付いてきていたドーガンが怪訝そうに言う。


「はい、何ごとも地道な試作の積み重ねが大事です」

 レオンが諭すように言う。


「”果てなき道も足元の土”って言いますもんね」

 サラが、誰もが一度は親に言われたことのある”ことわざ”で言い直し、ドーガンの苦笑を誘った。


「まずは、たくさん失敗することが大切ですよ」


 その言葉に、バルグがじっとレオンを見つめる。

 普通の文官なら逆だ。今までの役人たちは「失敗しないように」としか言わなかった。

 とにかく大量に掘れ、大量に作れ。

 もっと急げ。頑張れ。

 そして、結果を残せ。利益を出せ。


 そう命じるだけ。


 だがこの男は違う。

 失敗を前提にしている。


 その上で、“壊れない形”を、続けて行く方法を探している。


(……変わってやがる)


 だが同時に、現場を知る者ほど理解できた。

 鉱山も炉も、“無理を始めた瞬間”に人が怪我をし、時には死ぬことを。

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