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第20話 山に眠る火

 その鉱山は、“死んで”はいなかった。

 ただ、痩せ細っていた。


 かつては昼夜を問わず響いていた鉄槌の音も、今では風にかき消されるほど弱々しい。

 坑道の入口には、使われなくなった道具が錆びついたまま放置されている。



 領都の北門から、さらに北へと向かう道を、途切れるまで進んだその奥に鉱山がある。

 道は、まず穀倉地帯を通り、そこを抜けると左右には荒野が広がり、その先には“魔の森”と呼ばれる魔獣の支配地が続く。


 街道と呼ぶにはあまりに頼りない道を日常的に使うのは、鉱石や食料品・日用品などを積んだ荷馬車、その護衛役も兼ねた兵士、魔の森を警戒する巡回兵くらいのものだ。

 鉱山の麓にこじんまりと広がる村に暮らす鉱夫たちが、単独で領都に出てくることはほとんどない。魔の森が近くに広がるこの細い道を、護衛の兵士なしで歩くことはもはや自殺行為といえるからだ。


 フォルスワーグ領の北に広がる山脈の一部に、三代前の領主時代に発見されたその鉱山は、“魔素”を含んだ鉱石が産出する貴重な鉱山だ。

 “魔素”を含んだ鉱石は、専用の設備と技術を用いることで精錬され、“魔素石”になる。この魔素石と呼ばれる石は”魔道具”の燃料となることから、王都や大都市の貴族、裕福な商人などの富裕層に需要があり、その希少性から高値で取引される。


 ちなみに、魔獣からも純度の高い魔素石は採取できる。

 天然の魔素石は翠色がひときわ濃く、人工では決して再現できない独特の輝きを放つため、魔道具用ではなく装身具を彩る宝石として珍重されている。

 大きさによっては驚くほどの高値がつくこともあり、その美しさから“森の心臓”と呼ばれ、王都の宝飾店では常に品薄になるほどだ。



 山肌を縫うように吹き抜ける風は、領都に吹くそれより冷たく、朝靄は谷間へと白く沈んでいた。針葉樹の森から漂う湿った土と樹脂の匂いが、生きているものたちの胸の奥へとゆっくり染み込んでいく。


 その中を、レオンたちは歩いていた。

 レオンとサラ、そして護衛も兼ねたドーガンと、その部下である若い兵士三名。


 山の麓にある寂れた村から、鉱山へ向かうその足取りはいつになく重い。

 崩れかけた山道。

 使われずに放置され、泥に埋もれた軌道跡。

 かつて荷車が何度も往復した痕跡だけが、薄くわずかに残されている。


「……思っていたより、人が少ないな」

 ドーガンが眉をひそめた。

 日頃から鍛錬を欠かさないからか、若い兵士の息が上がる中でも、呼吸にゆとりがある。


 レオンたちの視線の先。

 山腹の開けた場所には、十数人ほどの鉱夫たちがいた。

 交代で食事を取っているのだろうか。

 焼いてから時間が経っているであろう硬い黒パンを、具がほとんど浮いていないスープに浸して、黙々と食べている。


 誰もが痩せている。

 煤と赤土で汚れた服。

 擦り切れた革手袋。


 布で口元を覆う余裕もなく、咳をする者があちらこちらにいる。

 彼らの咳は乾いていて、時折血の混じった痰を吐く者もいた。

 それでも休む者はいない。休めば、その日の食事すら危うくなるからだ。


 だが、それでも彼らは働き続けている。

 細々と。黙々と。

 目に輝きはなく、ただ生き延びるためだけに。



 休憩している男たちからわずかに離れた坑道の入り口近くでは、小柄な老人が鉄槌を振るっていた。

 髪はくすんだ灰色。

 片目は白く濁り、左足を少し引きずっている。


 だが腕だけは異様に太く、長年にわたり岩を砕き続けてきた人間特有の骨張った力強さがそこにはあった。


「親方」

 ドーガンが一度喉を鳴らしてから、明るい声音で気さくに声をかける。


 老人がゆっくりと振り返る。

「……誰だ」


「俺だよ、ドーガンだ」


「まだ魔獣の餌にはなってなかったようだな」


「勝手に殺すな」

 皺を年輪のように顔に刻んだ老人は、わざとらしく鼻を鳴らした。

 だが、その口元はわずかに緩んでいる。


 老人の名は、バルグという。

 この鉱山で四十年以上働いてきた古株だった。


 かつてこの山にはもっと人がいた。賑わっていた。

 朝も昼も夜中でさえも交代で働き続ける鉱夫や人夫のために、炊事の煙が途絶えることはなく、鉱石を積むための荷車が、何台も順番待ちをしていたような時代もあった。


 だが、獣害等による度重なる凶作と、魔獣による輸送中の人的・物的被害、そして領主が戦死するほどの大規模な魔獣暴走による未曾有の災害……。

 領主をはじめ多くの有能な人材を失った。

 復興のためには莫大な費用が必要だった。

 土地は荒れ、物流が機能しなくなり、他領からの商人が来なくなる中で、鉱山を開発し続ける余力はなかった。


 人的資源と設備投資が途絶えた鉱山は、当たり前のように衰退した。

 まだお嬢様と呼ばれていた当時のエリザベートにそこまで求めるのは、あまりにも酷だった。


 人が減り、金が減り、物が減る。

 坑道は崩れ。設備は古くなり、けが人が出て、人が減る。


 採取しやすい鉱石は取り尽くし、新たな鉱脈の開発に取り組むこともできず、今では細々と純度の低い鉱石を掘り出しては、原石のまま安値で売るだけ。


 だが、掘り尽くされたのは“浅い層”だけだ。

 山の奥には、まだ手つかずの鉱脈が眠っていることは、誰もが薄々わかっている。

 しかし、新たな坑道を掘るには人手も金も設備も必要で、今の鉱山にはそのどれもがない。

 だから彼らは、枯れかけた古い鉱脈を掘り続けるしかなかった。

 本当に掘るべき場所に手を伸ばせないまま、今日もただ“生き延びるための採掘”だけが続いていく。


 それが現状だった。



「それで?」

 ドーガンに見せていた気さくな雰囲気を消したバルグが、少し後ろに立っていたレオンとサラを睨む。


「今度の文官様は何をしに来た、何を言いに来た」

 歓迎はされていない。


 いつの間にか、広場にいた鉱夫たちが食事の手を止め、レオンとバルグのやり取りを固唾を飲んで見守っている。


 当然だった。

 領主が交代した後、鉱山には何度も役人が来ていた。


 予算を増やすこともせず、減り続ける数字だけを見て”もっと頑張れ”と言うだけ。

 事故が起きれば、改善策も取らず現場へ責任を押し付ける。


 だから彼らは、“文官”を信用しない。信用しないことに決めた。


 レオンはその視線を正面から受け止め、

「鉱山を立て直しに来ました」

 と静かに言った。


「……立て直す?」

 バルグが笑う。ドーガンに見せた笑みとは違う乾いた笑いだった。


「言うだけなら簡単だが、それは無理だ」

 即答だった。


 バルグは、鉄槌を握ったその太い腕で周囲を差す。

「見てみろ、これがお前たち役人が放置し続けた結果だ」

「俺たちは文句を言いながらも掘り続けた。だが、お前たちは一度でもここに立って、この空気を吸ったことがあるのか?」


 崩れかけた坑道。

 古ぼけ、油も差されていない滑車。

 車輪にひびが入った荷車……。


「枯れて採掘しつくした鉱脈なんて、今さら掘っても儲かるわけねえだろ!」

 吐き捨てるような声。泣き叫ぶ心からにじみ出た声。


「質の良い鉱石が出ることを祈りながら、ただひたすら石を掘る」

「純度の低い重たいだけの鉱石を荷車で運ぶ」

「街道もまともに進めず、時間を掛けてやっと他領へ持って行っても、買い叩かれる」

「毎日、毎日、同じことの繰り返し」

「いや、同じじゃねぇ。気づけないほど少しずつ悪くなっていく」


 ただそれだけの繰り返し。

 それで得たわずかばかりの利益は、鉱山に還ってこない。


 だから設備も直せない。

 人も増えない。

 事故が増える。

 さらに人が減る。


 その繰り返しは、まさに悪循環だった。



 静かに話を聞いていたレオンは、反論することもなく、広場に積まれた鉱石の山へ黙って近づいた。


 積み上げられた、わずかに緑がかった魔鉱石と呼ぶにはあまりに低品位な石。

 ”貧鉱”と呼ばれ蔑まれる鉱石は、昨日降った雨に濡れ、鈍く光っている。


 その横には、輸送待ちの木箱。

 中には、鉱石が入れられた粗雑な麻袋が乱雑に並べられているのが見えた。

 そして、疲れ切った鉱夫たち。


(……王都からフォルスワーグ領に来るまでに通ってきた、街や村で見てきた光景と同じだな)


 王都や中核都市に利益を吸われ続ける地方の疲弊。

 裕福な商人の下請けになるしかない職人たち。

 一生懸命、真っ当に働いている人間が逆に疲弊していく構造。


 レオンの胸の奥に、静かな火が灯る。

 その火は、かつて王都で押し殺してきたものと同じ色をしていた。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第二十話までお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございます。

ここから物語は「第四章:山に眠る火」へと進みます。

新たな舞台で、鉱山で描かれる物語を、最後まで楽しんでいただければ幸いです。


皆様からいただく【ブックマーク登録】や【評価の☆☆☆☆☆(☆)】の一つひとつが、

この物語を前へ進めるための何よりの糧となっています。

反応をいただけることが、作者にとっては本当に大きな励みです。


レオンとエリザベート、そして仲間たちの旅路を、

これからも温かく見守っていただければ嬉しく思います。

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