第19話 夜明けを待つ祝杯
その夜、辺境にあるフォルスワーグ領の領都には珍しく灯りが多かった。
茜色の空は群青に沈み、領都を囲う柵の向こうには薄く霧が漂っている。昼間の熱を失った北風は冷たく、穀倉地帯を撫でながら街の中へと吹きつけていたが、それでも今夜ばかりは、人々は早々に窓を閉ざそうとはしなかった。
街の中央にある広場に、大きな篝火が燃えている。
魔獣討伐の成功と街道整備の慰労、そしてレオンや元茨の聖域メンバーの歓迎等々……重苦しい辺境での生活を少しでも彩ろうと、ガレスとサラが発案し、領主であるエリザベートの了承を得て、街を上げての祝宴が開催されようとしていた。
乾いた薪が爆ぜ、橙色の火の粉が夜空へ舞い上がる。その周囲には粗末な長机が並べられ、木皿の上には干し肉、黒パン、塩漬けの豆、それに薄い麦酒などが置かれていた。
豪華な宴ではない。
王都の貴族が見れば鼻で笑うような食卓だろう。
だが、この辺境では──十分すぎるほどの“祝祭”だった。
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「おい、そっちの鍋が吹きこぼれそうだぞ!」
「押すなって言ってるだろ!」
半分ふざけながらの怒声と笑い声が入り混じる。
大きな鍋の周りには、兵士と住民たちが時折り肩をぶつけ合いながら料理を運んでいた。
大鍋の中で煮えているのは、一ヶ月ほど熟成されたことで柔らかくなった魔獣肉の煮込みだった。先日の襲撃で仕留めた魔獣のうち、食用にできる部分を切り分けて保管していた肉を、香草と一緒に長時間煮込んでいく。
本音を言えば、癖は強い。
王都の住民や富裕層であれば、一部の自称美食家を除いて誰が好き好んで食べるだろうか。
だが、腹は膨れる。
何より──久しぶりに腹いっぱい食べられる新鮮な肉だった。
「もしかして初めてかも…こんな量の肉」
ひときわ若い兵士が目を丸くする。
確かリオという名の、茨の聖域に所属していた少年。
隣でベテラン兵士のドーガンが鼻を鳴らした。
「ちゃんと骨までしゃぶれよ。次いつ食えるかわからねぇからな」
その言葉に周囲から笑いが起きる。
彼は大鍋をかき混ぜながら、ちらりと周囲を見渡した。
以前なら考えられない光景がそこには広がっていた。
兵士と元盗賊、いや義賊か、が同じ鍋を囲み、笑い合いながら肉を食い、酒を飲んでいる。
ほんの少し前までは、互いに刃を向け合うような関係だったはずなのに。
(……変なもんだ)
ふと、胸の奥でそんな感想が浮かぶ。
まだ、わだかまりがすべて溶けて消えたわけではない。
だが、今日この場では、不思議と悪い気はしなかった。
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広場の端では、子供たちが走り回っていた。
今日だけは夜更かしを許され、興奮した少年少女たちが小さな木剣を振り回し、
「私がエリザベートだ!」
「じゃあ俺が狼の魔獣をやる!」
などと叫んでいる。
だが、その魔獣役の少年はすぐに三人がかりで叩き伏せられていた。
「弱っ!」
「魔獣弱すぎ!」
「うるせぇ!」
じゃれ合う子供たちの笑い声が広がる。
その様子を見ていたシエルが、少し心配そうに眉をひそめる。
「あの子たち、現実の魔獣の恐ろしさをしっかり認識しておかないと、いざという時に最初に死んでしまうのでは…」
貴族の女性に顕れやすい青い瞳が不安げに揺れる。
「今日くらい、夢を見させてやってくれ」
ふいに横から声が割り込む。
騎士隊長のガレスだった。
麦酒で並々と満たされた木杯を片手に座り込み、すでに少し酔っている。
シエルの透き通るような銀髪とは違い、やや燻んだ彼の銀色の髪が、火の光を受けて赤く揺れ、頬にはうっすら酒気が差していた。
「……ガレス様、飲みすぎなのでは」
「祝いの日くらいいいだろ」
そう言いながら、ガレスは勢いよく杯を掲げる。
「魔獣討伐! 街道完成! ついでに有能な文官殿と新たな仲間たちに乾杯!」
「ついでかよ」
近くで聞いていた若い兵士の一人が吹き出した。
だが、その言葉を否定する者はいない。
実際、今夜の宴は色々な意味を含んでいた。
魔獣を退けたこと。
街道整備が形になったこと。
そして──
レオンという男と茨の聖域のメンバーたちが、この領地の“内側”へ本当の意味で迎え入れられたこと。
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その当人であるレオンは、珍しく少し困ったような表情をしていた。
広場の隅。
木杯を持ったまま、妙に居心地悪そうに立っている。
「主役なのに、どうしてそんな端にいるんですか」
声をかけたのはサラだった。
いつもと違い、帳簿を抱えていない彼女は、黒に近い濃紺の髪に珍しく翠色の髪留めを付けている。琥珀色の瞳にはからかうような笑みが浮かび、普段より少しだけ柔らかな雰囲気だった。
「……正直なところ、慣れていないんですよ」
いつもよりわずかに自信なさげな声色。
「もしかして、歓迎されることにですか?」
「はい」
レオンは、微かにうなずきながら真面目な顔で答える。
サラは一瞬目を丸くし、それから小さく笑った。
「変な人ですね。いつもはあんなにも自信満々で落ち着いているのに」
レオンは答えに困ったように漆黒の瞳を揺らして、視線を逸らす。
その様子を見ながら、サラは少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じていた。
この人は、本当に飾らない。
自分の力量や権力を誇示しない。
誰かに恩を売ろうともしない。
ただ必要だからやる。良くなるからやっているだけ。
その在り方が周りの人を巻き込み、この領を少しずつ変えている。
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爆ぜた薪が大きな音を立て、風が火の粉を夜空へと導いていく。
その時だった。
「レオン!」
よく通る綺麗な声。
振り向くと、そこには深紅の髪と蒼い瞳の美貌を持つ妙齢の女性の姿があった。
小高い丘の上にある領主館からエリザベートが広場へと降りてきていた。
品のある濃紺の外套を羽織り、長い髪を夜風に揺らしている。その姿は篝火の光を受け、まるで古い戦乙女の伝承画のようだった。
ざわ、と空気が動く。どよめきとともに浮き足立つ人々。
兵士であれ領民であれ、誰もが自然と視線を向け、憧れと敬愛の表情を浮かべる。
それほど彼女の存在感は強かった。
エリザベートは真っ直ぐレオンの前まで歩み寄ると、木杯を掲げた。
「お前のおかげで、人も物も動き始めた」
静かな声。
だが、広場全体によく響いた。
「私はこれまで先頭に立って戦うことしか知らなかったが」
そこで一度言葉を切る。
篝火の炎が揺れる。ひときわ大きな音で爆ぜた炎が天高く伸びる。
蒼い瞳が、真っ直ぐレオンを見る。
「……お前は、“皆を生かす戦い方”を知っている」
広場が静まり返る。
兵士も。
領民も。
誰も口を挟まない。
領主が、はっきりと一人の男を認めた瞬間だった。
「だから今夜は祝おう」
エリザベートは、美しい顔に麗しい笑みを浮かべて杯を高く掲げる。
「この領地が、まだ前へ進めることを!」
「誰もが腹いっぱい食べ、家族を愛し、誇りが持てる、そんな領になることを!」
その瞬間。
歓声が爆発した。
「おおおおっ!!」
木杯が打ち鳴らされる。
薄い麦酒がはじけ飛び、もったいないと慌ててすする。
大人たちの、そして子供たちの笑い声。
笑顔の混ざった怒鳴り声。
火の粉と熱気。
貧しく粗末だ。
だが、その空気には確かな高揚と、今までにない希望の灯があった。
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レオンは、その中心でしばらく言葉を失っていた。
こんな風にたくさんの人から笑顔で迎えられることなど、今までの人生で一度もなかった。ましてや、王都で暮らしていた時には歓迎などされたことがない。
数字は評価された。
成績も認められた。
だが──“必要とされた”実感は薄かった。
だから今。
騒がしい広場の中で、人々が笑い、自分へ杯を向けてくる光景が、どこか現実味を持たなかった。
「……どうした」
エリザベートが不思議そうに見る。魅惑的な蒼い瞳がレオンの漆黒の瞳をまっすぐに見つめる。
レオンは小さく息を吐き、
「いえ、なんでもありません」
ほんの少しだけ笑った。
「悪くない夜だと思いまして」
その言葉に、エリザベートもわずかに口元を緩める。
「そうだな」
短い返事。
けれど、そこには今までにない穏やかな親しさがあった。
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夜は更けていく。
篝火は揺れ、人々の笑い声は途切れない。
子供たちは眠そうにしながらも走り回り、大人たちは安い酒を酌み交わし、誰かが下手な歌を歌い始める。
その光景を見ながら、レオンは静かに思う。
(……守りたいな)
大きな理想ではないかもしれない。
世界を救う英雄譚でもないと思う。
ただ。
こんな夜を。
明日もまた続けられる場所を。
失いたくない。
それだけだった。その思いだけだった。
ふと見上げると、雲一つない夜空には、無数の星が広がっていた。
辺境の冷たい空気の中で、その光は驚くほど鮮明に瞬いている。
まるで、この小さな祝祭を静かに見守っているかのように……
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第三章『命を繋ぐ道』は、ここで一区切りとなります。
ここまで物語を追いかけてくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
次章「山に眠る火」では、魔鉱石や魔素石といったこの物語特有の鉱石が眠る鉱山開発にレオンたちが挑みます。また皆様とお会いできれば嬉しく思います。
皆様からいただく【ブックマーク登録】や【評価の☆☆☆☆☆(星)】の一つひとつが、この物語を前へ進めるための大きな力になっています。
反応をいただけることが、作者にとっては何よりの励みです。
レオンとエリザベート、そして仲間たちの旅路を、これからも温かく見守っていただければ幸いです。




