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第17話 黎明の路、泥濘の靴

「……レオン」


 道の状態を念入りに確認していたレオンに、背後から突然かけられた声。

 振り向くと、そこには騎士隊長のガレスが立っていた。


 いつの間に来たのだろうか。腕を組み、少しの心配とこれから起こることへの期待が入り混じった表情で、地面とレオンの顔を交互に見る。


「これ、どうにかなるのか?」

 率直な問い。


 ガレスの隣りにいるサラも、見つめていた地面から、レオンの顔へと琥珀色の視線を移す。

 レオンはいつもの穏やかな笑みを浮かべながら立ち上がり、周囲を見渡した。


 街道は林の間の草原部分を、時折りあらわれる丘陵地帯を避けながら概ねまっすぐに伸び、その先にある関所と小さな宿場町まで続いている。

 だが、街道とは名ばかりで、その実態は──歪だ。

 人と馬と荷車が通った跡が重なり、結果として“道のように見えているだけ”。


 そこに綿密な計画もなければ、緻密な設計もない。

 しかも驚いたことに、維持や保守という概念もないのだ。


 ただ──使われているだけ。そこにあるから使っているだけ。


「これから“整備”をします。この街道を使う全員の力で」

 レオンが言ったその声は、あくまで静かで穏やかで、ガレスやサラへ向けた宣言というよりは、確認に近い響きがある。


「どうやってするんだ?」

 ガレスが眉をひそめる素振りをする。だが、唇は楽しそうで、口角が上がっている。

「周りの土や砂で、泥の部分を埋めて固めるのか?」


「それでは不足です、一時しのぎで継続的な損失を防ぐことはできませんから」

 レオンが即答する。


 その言葉に、サラの琥珀色の瞳がわずかに動く。

 

 少しずつ縮んでいく影と同じように、風に含まれる水気が減っていく。

 乾いた風が三人の頬をなで、髪が揺れる。


 目にかかる濃い灰色の前髪を払いつつ、レオンが続ける。

「今回の原因は、土だけの問題ではありません」


 笑みをわずかに深めたガレスが続きの言葉を促す。

「それは、どういう意味なんだ」


「そもそもの問題は前例踏襲の弊害です。当たり前のことだからと何も考えずに繰り返し、不満があっても仕方がないとあきらめながら文句だけ言う」


 レオンは地面を指す。

「同じ場所を通り続けている結果として、そこだけが壊れる」


 単純な話。

 だが、それを止めようとする意識もなければ、回避する仕組みもない。


「……なら、通るなって言えばいい」

 ガレスが、いつもは鋭い深緑の瞳に、からかいの色を混ぜる。


「守られません。もちろん、エリザベート様の命令であれば、一時的には守られるかもしれませんが」

 レオンが、そんなことわかっているでしょうに、と苦笑を浮かべながらも律儀に否定する。

「それとも、街道にある同じような箇所をすべて、兵士が見張り続けますか?そんなこと、非現実的です」


「お二人もよくご存じでしょう。人は、“楽な方”を選びます」


 その言葉に、ガレスとサラが顔を見合わせて小さく笑った。

「違いねぇ(ないですね)」


 レオンの言葉は、生きていれば嫌でも実感として理解できる。


「だから」

 レオンは続ける。


「任せるのではなく、仕組みとして“分けます”」



 それから数日が過ぎた夕方。

 陽は徐々に傾き、道に横たわる木々の影が長く伸びる。

 通行の合間を縫って行われた作業によって、街道に何か所か存在する、通行困難な一部の道が“区切られた”。


 レオンとの話が終わってすぐに、ガレスの指示で、南門に詰めていた兵士が十人ほど連れてこられた。

 サラの指導を受けながら、壮年の兵士であるドーガンと若い兵士たちが、草を払い、木の杭を打ち、丈夫な縄で区切り、簡単だが新しい道となる”迂回路”が作られる。


 幅は広くない。荷馬車が一台やっと通れる広さだが、明確に分かれている。道を二つに分ける通行帯も作られる。そこにあるのは分割された“線”。


「……これでうまくいくのか?俺だったらいつもと違う道を通るのは面倒だけどな」

 ドーガンが疑いのにじむ声でぼやいた。


「これで誰も使わなかったら、疲れただけだぜ。まあ、新兵たちの鍛錬にはなったから別にいいが」

 口調は軽いが、その目は真剣だった。


 意味はわかる。

 道にかかる負荷を分ける。

 それ自体はドーガンにも理解できる。


 だが──


「こんな面倒くさいこと、誰が守るんだ」

 その問いが、本質だった。


 ガレスもサラも、黙々と作業している若い兵士たちも、誰もが思っている。

 そして、誰も答えを持っていない。


 その問いに対して、レオンは一呼吸置いて、きっぱりと言い切った。

「守らせます」


 その言葉が具体的に何を指しているのか、その意味は、まだ誰にもわからなかった。



 次の日。

 その日は、珍しく青い空が広がっていた。白い雲がところどころ楽しげに形を変えながら流れていく。草原を揺らす風が、草の傾きとともに軽やかに滑っていき、陽のきらめきは、体とともに心も少し温めてくれる気がした。


 今日も、人と馬が、荷車が、動いている。

 だが、その動きには、昨日までとは違う種類の”ぎこちなさ”があった。


 区切られた道。

 慣れない流れ。


 それでも──

 少しずつ、変わり始めている。

 だがレオンは、それを見つめながら、わずかに首を振った。


(これでは足りない)


 道を分けただけでは、維持されない。

 今は、レオンや兵士たちが見ているから、荷物の量や道の状態に応じて指示された、言われたとおりの道を進んでいるだけ。守られているだけ。

 

 目を離せば簡単に崩れる、必ず。

 人は、戻る。楽な方へ。俺は大丈夫だろう、という根拠のない自信で。


(なら、どうすればよいか)


 必要なのは――理由だ。


 続ける動機。

 仕組みを守り、壊さずに継続する理由。


 その両方を、利用者に提示すればよいだけ。


 一日中、観測を続けたレオンは静かに空を見上げた。

 薄く染まり始めた茜空に輝く空。


 その色に柔らかく照らされながら、レオンの思考はすでに次へと進んでいた。



 翌朝、今日も空は高く澄んでいた。


 風は乾き、昨日まで残っていた湿り気を少しずつ奪っていく。整えられたばかりの街道の仕組みはまだ不安定だが、それでも今までとは明らかに違う形がそこにあった。


 新しく作られた通行帯の脇に――昨日までなかった大きな木の板が立てられ、濃い黒の塗料で何かが書かれている。


 最初に大きく書かれていたのは見本だった。日付と名前、二つの記号の選択。そして、その下には多くの枠で区切られた空白がある。


「……これは、いったい何ですか?」

 サラがきれいに整った眉をひそめながら尋ねた。


 レオンが、いつもの帳面を閉じながら笑顔で答える。

「見てのとおり、記録を付けるための掲示板です」


「何を記録するんですか?」


「もちろん”通行”のです」

 その答えに、眉間のしわがもっと濃くなる。


 小柄なサラが、横に並ぶレオンの目を見つめるには顔を上げるしかない。

 淡い茶色のシャツに動きやすい濃紺のズボンで精一杯背伸びした琥珀色の瞳が、レオンの漆黒の瞳をとらえる。いつもは落ち着いた知性的な表情が、好戦的な色を帯びる。


 意味が見えない。理解ができない。


 だが──


 レオンは、その掲示板の前に立ち、穏やかに諭すように伝える。


「この記録板がある道を使う時に、記す。記録して残す、ただそれだけですよ」


 単純なルール。

 だが、その背後には明確な意図がある。


「利用するたびに、元の街道か迂回路かを自分で記録するだけなら、簡単なことだとは思うが、少し面倒ではあるよな」

 今日もレオンとサラの護衛だと称して付いてきたガレスが言う。


「その通りです」

 レオンが小さく頷く。

 否定はしない。むしろ、肯定する。


「だからこそ、その記録に意味をもたせます」

 ガレスとサラへ、話しながら一歩近づく。


 その言葉に、周りにいた兵士たちや、いつの間にか集まってきていた街道の利用者たちが聞き耳を立てる。場が静まり、鳥たちのさえずりが軽やかに響く。


「記録された通行数に応じて」

 レオンは続ける。


「休憩スペースの使用やどちらの道を通行するかの選択権を優先的に与えます」

 言葉を理解しようと、空気にざわめきが戻る。


「優先……?」

 ガレスが周りにも聞こえるようにあえて聞く。


「はい」

 レオンがうなづく。


「具体的には、どういうことなんですか?」

 サラが、周りの理解を補足するために、更に問いを重ねる。


「単純な話です。多く記録した者ほど、“待たされない”。簡単に言えば、得をするということです」


 確かにそれは、単純な話だ。

 それでも──、荷車の車輪が嵌り、馬が立ち往生し、靴が泥に埋まる。そんな街道の通行で日常的に発生している大幅な時間の損失を、道を優先的に通行することで”ゼロ”にできることの恩恵は大きい。


 例えば、野菜などの生鮮食品を少しでも新鮮な状態で輸送できれば、商品の価値が上がり、売値が上がる。しかも、行き帰りの時間が短縮できれば、宿泊費等を削減できるだけでなく、今までもよりも多くの日数を、運ぶことに使えるのだ。


 さらに、レオンの言葉が続く。


「ちなみに、ごまかしなどの不正が確認された場合……、今までの記録はすべて無効になります」


 金銭的、肉体的な損失を伴う罰ではない。


 だが──


 自分で懸命に積み上げてきたものが消えて無くなる。

 誰にとっても痛みを覚えるそれは、誰もが避けたい損失になる。

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