第16話 差し込む光
魔獣襲来の後始末がひと段落したその日、レオンはサラと街の中心にある行政府で働いていた。
相変わらず行政府とは名ばかりの簡素な屋敷の一室で、帳面の記録を確認していたレオンは、何度かうなずくとサラに声をかけた。
「そろそろ、南の街道の整備に着手しましょう」
南の街道は、領都と関所、そしてその先の臨領をつなぐ重要な道だ。
言葉に反応したサラが報告書から顔を上げる。
黒に近い濃紺の髪がさらりと揺れ、驚いたように見開かれた琥珀色の瞳がレオンを見つめ、続きを促した。
「サラさん、なぜこのタイミングで街道整備をするかわかりますか?」
レオンにしては珍しく、目元にからかうような笑みが浮かぶ。
「そうですね。二つ理由があると思います」
サラは、何を当たり前のことをと言わんばかりに、少し早口で自信ありげに話し始めた。
「まずは、効果の視点ですね」
一応簡素ではあるものの、二人がいる執務室は行政府の一画だけあって、窓にはガラスがはめられている。
曇ったガラス越しの陽光を受けて、サラの琥珀色の瞳がいっそう輝いた。
「レオンさんがこの領に来て最初の二週間で取り組まれたように、物流の改善は人間でいう血流の改善に等しいです。領地の活気を取り戻すためには、街道整備は最重要課題です」
「効果としては、既存の物流改善による領民や行政の作業効率化、旅費や旅程の削減によって行商人が定期的に訪れる可能性の上昇。そして何より、物流が回れば人と物とお金が動き、経済が回り出します」
「今は、それができていないのが歯がゆいのですが……」
そう言って、サラは唇の端を無意識に噛みしめた。
「次に、費用の視点です」
乾いた喉を、手元の水差しに入ったぬるい水で潤しながら続ける。
「先日の魔獣討伐で、純度の高い魔素石や毛皮、牙・爪などの素材を手に入れました。これらを他領へ持ち込んで販売すれば、貨幣や食料と交換できます。この臨時収入を前提に予算を組み替えれば、街道整備の費用をなんとか捻出できます」
話し終えたサラは、当然と言わんばかりの表情に、少し誇らしげな笑みを浮かべた。
この国では、貴族身分でもない辺境出身の若い女性で、ここまで論理的に経済を理解し説明できる人材は貴重だ。
この女性を要職に抜擢したエリザベートは、客観的に見ても人を見る目がある。
“できる人間を出自・性別・年齢を問わず起用し、孤立させず周囲を納得させる”──その難しさは、今も昔も変わらない。
(このフォルスワーグ領は、危険で、貧しくて、人も少ない。けれど──
魔素石を生む魔獣や鉱山という資源。
ガレス、サラ、オスカー、シエルといった優秀な人材。
実直な統治の継続による民と兵士からの信頼。
そして、変化を受け止める度量を持つ領主がいる)
レオンは、久しく感じていなかった胸の高鳴りに、自分でも驚いていた。
ここには、自分ができることがある。
自分を正しく使ってくれる上司がいる。
そして、頼れる仲間がいる。
「レオンさん、そんなに笑って……もしかして間違っていましたか」
少し不機嫌に細められた琥珀色の瞳は、先日戦った狼に似た魔獣の姿と少し重なった。
「笑っていましたか……すみません、嬉しくなってしまって」
レオンにしては珍しく、取り繕わない言葉が慌ててこぼれ落ちる。
それを隠すように、次の言葉を紡いだ。
「もちろん、その二つで正解です。さすがサラさんですね」
狼のような気配が、ふっと和らいだ。
「付け加えるとすれば、三つ目として“損失がなかったこと”です」
レオンは続ける。
「今回の魔獣討伐は、けが人こそ出ましたが、幸い死者が出なかったため弔慰金の支払いが不要です。砦内への侵入も防げたので物的損失も軽微。そして“茨の聖域”のメンバーが加わったことで、言い換えれば『使える人材の拡充』という大きな加算要素がある。領全体で見れば、損失どころか大きな利益が出ています」
「だから今なのです。早速ですが、エリザベート様に相談に行きましょう」
曇りガラスから差し込む光が、ひときわ強くなった気がした。
⸻
街道整備の許可がエリザベートから出るや否や、レオンとサラは毎日朝早くから街道へと通い詰めた。
今日も、領都の南門から関所へと続く道には朝靄が低く垂れ込み、地面と空の境界を曖昧にしている。
湿り気を含んだ空気は重く、呼吸のたびに肺の奥へと冷たさが沈み込んでいく。
夜の間に降りた露が土へと沁み込み、街道はまだ乾ききらぬまま鈍く光を反射していた。
その上で──
臨領へ向かう荷馬車の車輪が、相変わらず沈んでいる。
フォルスワーグ領には、魔素石を使った魔道具を作る職人も設備もない。
鉱山から産出する特殊な鉱石を魔素石へ精錬する技術すらない。
だから、魔獣から採取した純度の高い魔素石以外は、製品どころか魔素石にすら加工されない重い鉱石のまま、荷馬車に大量に積まれている。
ぎしり、と軋む音。
馬が鼻を鳴らし、蹄で地面を掻く。
だが動きは空回りするばかりで、荷車は微動だにしない。
「……動かねぇ」
御者席に座っていた中年の男が低く吐き捨てる。
腕を組み、泥に飲まれた車輪を見下ろす顔には、苛立ちと諦めが入り混じっている。
「全員で押そう」
誰かが言う。
護衛の兵士たちが集まり、荷台に肩を当てる。
“茨の聖域”にいた若者も混ざっている。
力を込める。
だが──沈む。
ぐ、と音を立てて、さらに深く。
ロープを馬にかけて補助することで、ようやく動き出した荷車が重い足取りで街道を進み出す。いつ止まってもおかしくない。
「助け合いだけじゃあ、どうにもならねえ」
搾り出すような兵士の声。
それは誰か一人に向けられたものではなく、この状況そのものへの苛立ちだった。
⸻
頼りなく遠ざかっていく荷馬車を、レオンはサラと並んで見送っていた。
その視線は動かない。
だが、漆黒の瞳が見ている範囲は広い。
車輪の沈み方。
人の立ち位置。
押す角度。
そして──そこに至るまでの“流れ”。
隣りに立つサラが帳面を開く。
紙の上には、昨日までの記録が並んでいる。
「同じ場所での停滞は、これで四件目ですね」
押し殺した声には、ため息が滲んでいた。
数字は重い。偶然ではない。繰り返しだからだ。
「……理由は同じですか」
「はい」
サラが短く答える。
レオンはぬかるみに足を取られながら、車輪がはまっていた場所へ歩み寄る。
しゃがみ込み、泥に触れる。
指先にまとわりつく感触。
粘り。
重さ。
そして──
(繰り返し重い荷を踏み続けたせいで、泥の下が固い岩盤のように締まり、水を吸い込まない。だから乾かない)
その事実が、はっきりと伝わってきた。
柔らかいのは表面だけで、その下は異様に硬い。
そして、その硬い地面の上に、周囲より柔らかい砂と土が泥化している。
それは自然な状態ではない。
人為的な“集中”だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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レオンとエリザベート、そして仲間たちの旅路を、今後とも共に見守っていただければ幸いです。




